"The Body" (「スタンド・バイ・ミー」)の翻訳について


私は翻訳の専門家ではありませんが、原作と邦訳どちらも 繰り返し読むうちに、どうもしっくりいかない箇所がいくつか あるのに気がつきました。 私の中でこの小説はベストの位置を占めているため、 細かいところでもどうしても気になってしまいます。 新しい版の邦訳では修正されているかもしれませんが、 一応私の解釈をあげておきました。 私の手元にある翻訳本は、 新潮文庫、「スタンド・バイ・ミー」、平成3年5月31日、第1版21刷です。

原作と邦訳を突き合わせてチェックしたわけではなく、大抵は 邦訳を読んでいて前後がつながらない気がして原作を読み返してみた、 というパターンです。

このページは決してもとの翻訳者の方のミスをあげつらうものでは ないことをお断りしておきます。 人の仕事のあらを探すのは簡単ですが、 何もないところからあれだけの翻訳を作り出すというのは 並大抵の作業ではありません。全部訳せと言われたら私はお手上げです。 ただ、このメモがよりこの作品を深く理解するのに役だってくれれば いいなと思い、ここに掲載しました。

引用は、邦訳は上記文庫、原作はSIGNETのpaper back AE6753, "Different Seasons", ISBN 0-451-16753-8からです。引用の前の括弧内の数字は章とページですが、 ページは版によって異なるかもしれないのであくまで参考です。

原作:Copyright (c) 1982 by Stephen King
翻訳:Copyright (c) 1987 by Junko Yamada

2003/4/5 改訂: 掲示板でのHiroさんとmarikoさんの書き込みを反映しました。


まずはいきなり最初のページ。
(1, p.24) もしかすると、 自分でもなにを言ったのかわからないままに、あるいは、 ほとんど泣かんばかりに話をしながら、自分はなぜこんなことを重要だと 考えていたのだろうと疑問に思いつつ、打ち明けてしまうかもしれない。 その結果は、人々の名状しがたい奇妙なまなざし、という高い代価を払う ことにしかなるまい
ちょっと意味がはっきりしない文章です。 原文の該当箇所は:
(1, p.273) And you may make revelations that cost you dearly only to have people look at you in a funny way, not understanding what you've said at all, or why you thought it was so important that you almost cried while you wewe saying it.
"not understanding" の主体はyouではなくpeopleとしたほうが すっきりするように思えます。それでも訳しにくい文章であることは かわりませんが。
もしかすると、 せっかく秘密を告白したのに、人々から、この人は何を 言っているのだろう、あるいは、なぜ泣かんばかりに話すほどこのことを 大事に考えているのだろうというような奇妙な目つきで見られるだけ、 というはめになるかもしれない

おなじく1章。
(1, p.26) わたしが初めて人間の死体を見たのは、やがて13歳になるという 12歳のときだった。1960年代の出来事だ。 はるか昔のことだ...
(1, p.293) I was twelve going on thirteen when I first saw a dead human being. It happend in 1960, a long time ago...
なんで「年代」って訳したんでしょう。原作でははっきり1960年と書いてあります。
2章、テディの眼の悪さの話。
(2, p.29) ときどきテディにまともにボールが当たることがある。 意識をとりもどしたテディは、全速力で樹上の小屋近くのフェンスの 中に走り込んでしまう。そしてごろんと寝ころび、たっぷり五分間は 白眼をむいたままでいるのだ。それはちょっと恐ろしい光景だった。 やがてテディは起き上がり、血まみれの鼻に、額には大きな紫色のこぶを つくった顔で、あれはファウルだったと主張するのだ。
なんかこの訳だとテディはボールが当たるたびにこの奇妙な行動を 取るようにとれますが、それだとあまりにもエキセントリックすぎないでしょうか。 原作は:
(2, p.295) Every now and then he got bonked a good one, and once he went out cold when he ran full-tilt-boogie into the fence by the treehouse. He lay there on his back with his eyes showing whites for almost five minutes, and I got scared. Then he woke up and walked around with a bloody nose and a huge purple lump rising on his forehead, trying to claim that the ball was foul.
つまり、
ときどきテディにまともにボールがあたることがあった。 一度などは、樹上の小屋のそばのフェンスに まともに激突して、気絶してしまったことがある。 彼は白眼をむいてたっぷり五分間はあおむけに倒れたままで、 私は恐ろしくなった。 やがてテディは起き上がり、血まみれの鼻に、額には大きな紫色のこぶを つくった顔で、あれはファウルだったと主張したのだ。

(2, p.30) テディの父親はテディをつかまえて、キッチンの奥の大きな薪ストーブの ところに行くと、鋳鉄の火口受けに、 テディの側頭を打ちつけた。十回、それがつづいた
これだと打撲傷を受けたみたいですが、テディの耳は火傷で変形した んですよね。
(2, p.296) Teddy's dad took Teddy over to the big woodstove at the back of the kitchen and shoved the side of Teddy's head down against one of the cast-iron burner plates. He held it down there for about ten seconds.
"ten seconds" は素直に10秒ととっていいんじゃないかと思います。
...テディの側頭を押しつけ、十秒間そのままにした

ちょっと飛んで11章。ゴミ捨て場での休憩シーンです。
(11, p.117) 「あーあ、ほんとにいい休憩だ」 バーンは単純にそう言った。 ゴミ捨て場でどれくらい休めるかとか、仲間をごまかそうとか、 線路をつたってハーロウに入ろうとか、そんなことはひとことも 言わなかった。今にして思うと、彼はそんなことをすべて含めて そう言っただけではなく、それ以上のことを、仲間全員が知っている ことをも言ったようだ。
(11, p.339) "This is really a good time," Vern said simply, and he didn't just mean being off-limits inside the dump, or fudging our folks, or going on a hike up the railroad tracks into Harlow; he meant those things but it seems to me now that there was more, and that we all knew it.
バーンのセリフ、的確に訳すのは確かに難しいです。 "time" が「休憩」ではないのは、その後の文章で明らかなんですが。 "folks" は「両親」ですね。なんとか日本語にしてみると:
「あーあ、ほんとに気持ちいいな」 バーンは単純にそう言った。ただ 立ち入り禁止のゴミ捨て場に侵入していることとか、 両親をうまくごまかしたこととか、 線路をつたってハーロウに入ることについてそういっただけではない。 彼はそんなこと全てを含めてそう言ったのだが、今にして思えば 彼はそれ以上のことを言っていたし、我々は皆それを知っていたように 思えるのだ。

(12, p.123) その事実に直面したのは、ロイ・カンパネラの車が引っくり返り、 新聞が第一面に悲惨なニュースを書きたてたときだった。 ロイ・カンパネラの野球人生は終わり、残りの生涯を車椅子ですごさねば ならなくなったのだ。 それから二年たって、今も使っている このタイプライターの前にすわったわたしは、ラジオをつけた。 そしてサーマン・マンソンが飛行機で着陸しようとして死んだという ニュースを聞いたとき、どういうわけかロイ・カンパネラのニュースを 読んだときの、気分が悪くなるような重いショックがよみがえったものだ。
この前のパラグラフによれば、ロイ・カンパネラの事故は1958年。 それから二年たったのなら、サーマン・マンソンの事故は1960年という ことになります。サーマン・マンソンが誰だか知らない無知な私ですが、 「今も使っているこのタイプライター」というのに引っかかります。 プロの作家が12歳の時から同じタイプライターを使い続けるでしょうか? そう思って原文を当たると:
(12, p.342) That knowledge came when Roy Campanella's car overturned and the papers screamed mortal news from the front pages: his career was done, he was going to sit in a wheelchair for the rest of his life. How that came back to me, with that same sickening mortal thud, when I sat down to this typewriter one morning two years ago, turned on the radio, and heard that Thurman Munson had died while trying to land his airplane.
後半のパラグラフは、この物語を書いている今から「二年前の朝」 のことですね。
14章、トレッスルのシーンです。
(14, p.155) レールは手の中で鈍く単調な音をたてていた。そのはっきりした音は、 まるで、死んだ金属のヘビを束にして握りしめているようなものだった。
レールがこう言っているのが聞こえる。 "こいつの内蔵は溶けて流れてしまったのか" と。 わたしにはその意味がわかった---明確にわかった。
(14, pp.358-359) It [the rail] was thrumming so hard that it was like gripping a bundle of deadly metallic snakes.
You've heard it said "His bowels turned to water"? I know what that phrase means---exactly what it means.
"You've heard it said" の "it" は the rail でしょうか。 流れからすると、漠然とした対象を表す代名詞としたほうが しっくり来るように思えるのです:
レールは手の中で鈍く単調な音をたてていた。そのはっきりした音は、 まるで、死んだ金属のヘビを束にして握りしめているようなものだった。
こんな言い回しを聞いたことがあるだろう。 "こいつの内蔵は溶けて流れてしまったのか" と。 わたしにはその意味がわかった---明確にわかった。

(2003/4/5追記) 掲示板にて、 "deadly metallic snakes" は「死んだ」ヘビではなく、 「致命的な」ヘビではないかとの指摘がありました。 確かにここで死んだヘビとするのはおかしいですね。 同掲示版のmarikoさんの訳がぴったりくるので引用させてもらいます。

レールは低い音で猛烈にうなっていて、まるで鋼鉄製の毒ヘビを束にして握りしめているような気がした。

(15, p.166) "書く" という行為そのものは、マスターベーションのように、人知れず 行なうものだ--- そういえば、わたしの友人の一人に、たとえば 本屋やデパートのショウ・ウィンドウの中でものを書くように、 公然とマスターベーションをするやつがいるが...
いくらなんでも、公然とマスターベーションしたら変態ですって。 原作は:
(15, pp.364) The act of writing itself is done in secret, like masturbation--- oh, I have one friend who has done things like write stories in the display windows of bookshops and department stores,...
"things" はmasturbationを指すのではなく、一般的な「もの」を 指すと考えればいいんじゃないでしょうか。
"書く" という行為そのものは、マスターベーションのように、人知れず 行なうものだ--- そういえば、わたしの友人の一人に、本屋や デパートのショウ・ウィンドウの中でものを書くようなまねをやって のけたやつがいるが...

(15, p.168) 奇妙な表現をすれば、仕事をあまりしないというのは、 同性愛者になるようなものだ---あるいは、当時の私たちには そういう意味だったと言おうか。わたしが恐れているのは、今日では、 どれほど頻繁にそれが害になるかということだ。 当時、わたしはときどき、書くことがどんなに気分がいいかに気づき、 むかつく思いをした。今日では、ときどきタイプライターをみつめ、 いつかことばを使い果たしてしまうのだろうかと考える。 そんなことは起こってほしくない。 わたしはできるだけ長いあいだクールでいられれば、 ことばを使い果たさずにすむと思っているが、どうだろう?
ここも日本語で読んでるとちょっと混乱します。原作は:
(15, p.365) Doing less would, in an odd way, be like going faggot --- or what that meant to us back then. What scares me is how often it hurts these days. Back then I was sometimes disgusted by how damned good it felt to write. These days I sometimes look at this typewriter and wonder when it's going to run out of good words. I don't want that to happen. I guess I can stay cool as long as I don't run out of good words, you know?
まず最初の部分ですが、ここは私にもよくわかりません。 "what that meant to us back then" とキングが 言い直しているのは、当時は俗語 "faggot" をホモセクシュアルの意味で 使ってなかったからなんじゃないかと推測しているのですが、どうでしょうか。

二番目の箇所、"hurts" は自分の心に痛みを感じるってことのように 思えます。三番目の箇所は原因と結果が逆になっていますね。

変な言い方をすれば、仕事をあまりしないというのは、 オカマになるようなものだ---あるいは、当時の私たちに とってそれに相当する意味のものに。わたしが恐れているのは、今日では、 そのことを思う度にどれほどわたしが傷つくか ということだ。 当時、わたしはときどき、書くことがどんなに気分がいいかに気づき、 むかつく思いをした。今日では、ときどきタイプライターをみつめ、 いつかことばを使い果たしてしまうのだろうかと考える。 そんなことは起こってほしくない。 わたしはことばを使い果たさずにいる限り、 クールでいられると思っているが、どうだろう?
これもあんまりうまい訳じゃないですが。

(2003/4/5追記) 掲示板にて、 『昔は "faggot" を不能の意で使っていたということでは』との 情報を頂きました。但し、これに関しては、1950年代から既に "faggot" が同性愛者の意味で使われていたという 小説 もあり、真相はまだよくわかりません。


(15, p.170) 本物の町の名前だって、ばかばかしいのがたくさんあるよ... ロトのエルサレムは?
(15, pp.365-366) Lots of real towns sound stupid, ... Or Jerusalem's Lot?
クリスのセリフ。 これはキングの他作品との関連を考えると、そのものずばり、 「ジェルサレムズ・ロット」でしょう。
(17, 201) まるでとっくに一生を生きてしまった人の話のようだった。 まっすぐに歩いて運命のルーレットをまわせ、そうすればルーレットは 快調に回り、ペダルを踏めばハウス・ナンバーのダブル・ゼロで止まり、 他の者をみんな負かしてしまう。
(17, p.382) It was as if he had lived that whole life already, the life where they tell you to step right up and spin the Wheel of Fortune, and it spins so pretty and the guy steps on a pedal and it comes up double zeros, house number, everybody loses.
ここの "they", "the guy" ですが、キングはテレビ番組や カウンティフェアでの露店 (デッド・ゾーンで出てきますね) みたいなものをイメージしてるんじゃないかと思います。 何のかんのとのせられてやってみたはいいが、ダブル・ゼロ、 つまり胴元の総取りで全部もってかれてしまう、人生ってのはそんなもんさ、 っていう感じですかね。
まるでとっくに一生を生きてしまった人の話のようだった。 「さあ、まっすぐ進んで運命のルーレットを回しましょう!」 そしてルーレットは快調に回るが、ペダルを踏むとそれは ダブル・ゼロで止まってしまう。胴元の総取りだ。 「残念でした、皆はずれです。またどうぞ!」
うーむ。文才が無い...


(24,p.240) 結果として、わたしたちが線路を歩き続けていくと決めたことを、 疑問に思ったことはなかった。これは言いかえれば、わたしたちが どうするかを決めたことに対して疑問をもつのではなく、どうして そう決めたのかということに対して疑問をもった、ということだ
(24,p.401) As a result, I never really questioned our decision to walk down the tracks. Put another way, I've wondered sometimes about what we had decided to do but never how we did it.
ちょっと要領を得ない文章ですね。訳は原文から外れているわけではないのですが、 前後が、「(少年時代から今までの間に)事件のことをほとんど思い出したこと がなかった」という文脈なので、後半の文も全体として肯定形にするよりは 否定形にする方がいいような気がします。
結果として、わたしたちが線路を歩き続けていくと決めたことを、 疑問に思ったことはなかった。これは言いかえれば、わたしたちが 何を決めたかということが気になったことはあったが、どんなふうに決めたか については気にしたことはなかった、ということだ。

(27, p.273) 「少しだけ、こいつを埋めといてやろうよ、 ゴーディ」
「きみがそう言うんならね、クリス」
「本気さ! ボーイ・スカウトでやるみたいにしよう」 クリスの声は奇妙にうわずり、かん高くなった。 「ボーイ・スカウトそっくりにさ。 少しだけ---ポールとシャツとで。 ハンドブックどおりに。いいかい、ゴーディ?」
ここだけ読むと変なことはないんですが、 このすぐあとで、クリスは死体を連れて帰るんだと怒鳴ります。 なんか辻褄が合わないなと思って原文を見ると、
(27, p.418) "Going to build him a litter, Gordie"
"If you say so, Chris."
"Sure! Like in Scouts." His voice had begun to climb into strange, reedy levels. "Just like in the fuckin Scouts. A litter---poles and shirts. Like in the handbook. Right, Gordie?"
"little" ではなく "litter"「担架」だったんですね。
こいつに担架をつくってやろうよ、ゴーディ」 「きみがそう言うんならね、クリス」
「本気さ! ボーイ・スカウトでやるみたいにしよう」 クリスの声は奇妙にうわずり、かん高くなった。 「ボーイ・スカウトそっくりにさ。棒とシャツで作る 担架。 ハンドブックどおりに。いいかい、ゴーディ?」

(28) だが、まだ疑問のとけないわたしは、理性ある男の服装---革の肘あての ついたコーデュロイのジャケットを着たもの書き---と、ゴルゴンの神話を 信じてはねまわっていた子ども時代とのあいだに、 薄い膜が存在することに気づく
(28, p.422) ... but still you wonder, and you realize what a thin film there is between your rational man costume---the writer with leather elbow- patches on his corduroy jacket---and the capering, Gorgon myths of childhood.
原文をそのまま解釈すれば、 「(大人時代と子供時代の) 間を隔てる幕がなんと 薄いことかと気づくのだ。」 となり、このほうが前後のつながりがいいように思います。
(33, p.304) 必死になって車から出て来た女の子は、現在も生きている。 彼女は中央メイン総合病院 (看護婦や雑役婦たちはそこをC & T 病棟と呼んでいた--- キャベツとカブの病棟という意味だ) に、六ヵ月入院していた。 そして、情け深い、目に見えない者の手によって、人工呼吸装置 プラグを さしこんでもらえたのだ。
(33, p.433) One girl came out technically still alive. She lay for six months in what the nurses and orderlies at Central Maine General call the C & T Ward---Cabbages and Turnips. Then some merciful phantom pulled the plug on her respirator.
ここは正直言ってよくわからないです。まず、2番目の文ですが、 "at Central Maine General" は "nurses and orderlies" にかかりますね。 つまり女の子の入院していたのは中央メイン総合病院の中でのある特殊な 病棟 (C & T Ward) で、これは本当は何の略だか知りませんが、 "Cabbages and Turnips" という陰口があることからして、おそらく 植物状態の患者を収容する病棟ではないでしょうか。

すると最初の文の "technically still alive" が気になります。 ただ "came out alive" だったら「生きて出て来た」になりますが、 ここでは、「医学的な意味でようやく生きていると言えるような状態で 出て来た」ってことかなあと思いました。

最後の文の "merciful phantom" が何の比喩かはっきりわかりませんが、 "pull the plug on her respirator" は文字通り取れば「プラグを抜いた」 ですよね。結局その女の子は死んじゃったんじゃないかと思うのですが どうでしょう。

かろうじて助け出された女の子の一人はまだ息があった。 彼女は中央メイン総合病院の看護婦や雑役婦たちがC & T 病棟---キャベツとカブの病棟---と呼んでいた病棟に六ヵ月入院していた。 そして、情け深い、目に見えない者の手によって、人工呼吸装置 プラグを 抜いてもらえたのだ。

(2003/4/5追記) 掲示板にて、"phantom" は、「実際に管を抜いたのは医療関係者だが、もちろん 公然とはできないので、記録上は残らない秘密の誰かという意味で『phantom』なのかと」 との指摘を頂きました。なるほど。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net