The Girl Who Loved Tom Gordon

"The world had teeth and it could bite you with them anytime it wanted. Trisha McFarland discovered this when she was nine years old."


神様は大リーガー


朝ベッドで目を覚まし、朝食を摂り、会社や学校に行く。車、電車、あるいはバスが あなたを簡単に遠くまで運んでくれる。職場や学校では見知った顔と当然のように 出会い、テレビや新聞を通じて伝えられた見たことも無い土地の事件を話題にする。 いつもの店で昼食を食べ、午後は今夜のデートのことや、映画のことや、 あるいはもうキングの新刊が出ているはずだから本屋にちょっと寄っていこうか なんてことを考えたりしている。多少の変化はあるものの、それが変わらぬ日常ってもんだ。 帰りの電車を降りて駅を出ると宗教っぽい人が神の裁きを畏れよなんて演説 してることもあるけど、神様なんていなくたってどうせ明日は来るんだしさあ、 まあ好きな人にはやらせとけ。俺は関係ないからね。

人類は自らの身を守るために自然を切り開き都市を築き、そして変わらぬ日常というものを 手に入れた。その日常に安住していれば、飢えを心配することも、寒さにこごえることも 無い。

だがそんな日常は、実は現実のほんの一面に過ぎない。それを確かめるのは簡単だ。 9歳のTrishaがやったように、踏み固められた道をほんのちょっと外れるだけで良い。 約束された明日がある都市と文明から切り離されて森の中に一人置かれた時、 あなたは自分の無力さを知る。

迷子になった最初の晩。あちこち擦り傷と打ち身だらけで、スズメバチに刺された跡は 腫れ上がり、自分が何処にいるかも分からず絶望の淵にあるTrishaは、 無事助かるように神に祈ろうとして気づく。 両親とも教会とは無縁であったので、どう祈って良いのかわからないのだ。 宝くじに当たりますようにとか、試験に合格しますようにとか、そういったことなら その時だけ都合良く神に祈ることはできる。しかし自分の命がかかっているような 重大な場面では、自分の中でリアルなものとして明確に存在していないものに対して 祈るなんてことは出来ないのである。 人は実在感を持った物に対してしか行動を起こせないのだ。

代わりに彼女は持っていたウォークマンで ラジオの大リーグの試合中継を聞き、大好きなRed Soxのピッチャー、Tom Gordonの 活躍に勇気をもらう。Tom Gordonはその後も繰り返し森の中を彷徨う彼女の側に、 あるいは夢の中に現われ、彼女を導く。 それは彼女の想像、あるいは幻覚でさえあったかもしれない。 しかし、少なくともそれは彼女にとってリアルであった。リアルであったからこそ、 それに対して祈り、語りかけることが出来た。

Trishaを最後に救ったのは、彼女の中のTom Gordonであった。 もちろんそれは彼女の心が創り出した彼女自身の投影であるから、 彼女自身が自分を救ったと言っても良い。だがそのためには、彼女は 自分を信じる必要があった。そして信じるには、投影する対象が必要 だったのである。

目に見える現実の裏には牙をむく存在がある。木立の向こうからじっと こちらを伺う何者かは決してあなたの想像の産物では無い。そいつは実在する。 そいつは理性による認識からこぼれ落ちた現実が姿を変えたものなのだから。 理性ではとらえきれないそいつは、いつかあなたに牙を向く。 その時あなたは、何に対して祈ることができるだろうか。


Shiro Kawai
Last modified: Wed Jul 5 03:09:10 HST 2000