Pure Joy

(2/21/98)

日本時間ではオリンピックが終っていることだろう。 商業化の問題とか、自然保護の問題とか、 決して綺麗な面ばかりではない4年に一度の祭典だが、 それでもこれだけ多くの人が熱狂するのは、 オリンピックに、人々が観たい普遍的な「何か」が存在するからであろう。 その「何か」を、 15歳にして世界の頂点に立った少女が実に見事に言い表した。

"When I stepped on the ice, I had a feeling I knew what the Olympics were about. I had that feeling of just pure joy, and I went out there and put it in my program" --- Tara Lipinski

純粋な喜びからなる「あの感じ」---そう、誰もが感じたことがあるはずだ。 腹の底から湧き上がってくる力強い喜び。 生きていること、存在することそのものが喜びである状態。 別の目的のために行為をするのではなく、 行為そのものが喜びの目的となっている状態。 この状態にあるとき、その人は無敵である。 たとえ客観的に観て、いかに辛い状況にあろうとも。

苦しい日々を耐え抜いたから喜びもひとしおだ、 というのは大きな勘違いである。 この勘違いが、無用な根性論、努力論を生み出しているように思える。 硬い殻の中に眠っている種子のように、 内に喜びを秘めていたからこそ、苦しい日々を耐え抜くことが出来たのだ。 努力しなければ幸せになれないのではない。 幸せでなければ努力なんて出来るわけがないのである。

世界の舞台で、努力によって育てられた喜びの種子が花ひらいてゆくのを観て、 喜びを、幸せを分けてもらう。 どんな困難な状況でも、喜びの中で一歩一歩歩いて行けるように。


Shiro Kawai
Last modified: Sat Dec 4 05:03:02 HST 1999