Nature of the Nature

「大自然」という言葉を聞いて、人は何を想像するだろうか。 緑豊かな森。鳥の鳴き声と見え隠れする小動物たち。泉から湧き出る清水。 日本でのんきにオンロードサイクリングやキャンピングをやっていたころの 私の認識はそんなものだった。

その認識を改めさせられたのは、米国中西部を旅した時であった。 見渡す限り、石ころとサボテンと枯れたような背の低い草だけがある砂漠。 突然足元に現れる切り立った崖。 照りつける太陽と乾燥した空気の中。飲み水は一滴も手に入らない。 まるで生命を拒否しているかのようだ。 あるいは、ハワイ島の溶岩流。命あるものを全て焼き尽くし、 黒々とした不毛の岩石のみを後に残す。 ぱっくり口を開けた火口は地球の傷跡に見えなくもない。

だがこれもまた自然のひとつの顔なのだ。

乱獲で幾多の種が絶滅しようが、環境汚染で生命の育たぬ土地が広がろうが、 地球にとっては痛くも痒くもない。核戦争で一切の生命が地球上から無くなっても、 ハワイ島の火山は噴火しつづけるだろうし、プレートは動き続ける。 地球にやさしいだか何だか知らないが、そんなものは地球からみたら 塵のような人間の勝手な思い込みにすぎない。

それでも人は生命豊かな森が破壊されてゆくのを見ると守りたいと思う。 もちろん人間自身が住みにくくなってしまっては困るという実用的な理由がある。 だが人間を動かす感情の背後にあるものは、 生命というものを創り出した自然の仕事に対する愛情と畏敬の念であろう。 もっとぶっちゃけて言えば、生命豊かな森を見るのが好きだから、 気持いいから、守りたいと思うのだ。

ハワイ島では様々な年代に流出した溶岩を見ることで、溶岩流がどのように 環境にとりこまれてゆくのかが分かる。流れ出して数年の溶岩はまだただの 巨大な岩の固まりである。 10年程過ぎると、その岩の割れ目のところどころに小さな植物が顔を出す。 20〜50年前の溶岩はごろごろとした岩に分かれ、背の低い潅木がぽちぽちと 生え出す。100年以上前の溶岩は、遠目にはくっきりと跡を残しているものの、 近寄ると既に多くの生命がその中に育まれていることが見て取れる。 そして数千年、数万年と経過するうちに、溶岩は土となり、深い森が育つ。 そして人もまた、この大きなメカニズムの中で生かされているのだ。

自然を守ることに、理屈付けなど必要無い。 空き缶の無げ捨てをする輩は、アリゾナの砂漠の中に身ひとつで放り出して やればいい。自分の生がどれほど大きなものに支えられているのかが 身に染みてわかるだろう。

いや、私だって偉そうに言えたくちではない。 便利な日常に埋没して自然というものを忘れがちだ。 旅をするのは、そんな自分に喝を入れたいからかもしれない。


Shiro Kawai
Last modified: Wed Apr 14 03:16:46 HST 1999