マインドコントロールの実際

(12/3/1999)

(これは、11/15/99および11/17/99の日記に書いた文章を整形したものです。 まだあまり整理されていません。)

1999年11月。日本で、ある集団が報道を賑わせている。 自らをグルと称する人物に率いられ、遺体を治療中と強弁し、 ウェブページにその「治療記録」を載せている集団だ。 その集団の中に、かつて私が最も親しかった友人の一人が居る。

数年前、その集団に参加しはじめた友人を理解しようとして、 私もその集団に飛び込み、断続的に関わりを持ち、 一時はマインドコントロール下にあった。 最終的に私は友人を諦め、その集団を離れた。今にしてふり返れば、それは 集団が閉鎖的/排他的なものへと変質する直前のことだったようだ。 以来4年以上、その友人とも集団ともコンタクトしていなかったのだが、先日 集団のウェブページを見つけ、異常な文章の中に友人の名を発見した。 マウスを持つ手が震えた。

今回の事件に対する一般の反応として、感情的なものを別にすると、 宗教や自己啓発セミナーというものに「すがる」心理を議論するものが多いようで、 マインドコントロールの問題にはあまり言及されていないようだし、誤解も多いようだ。 自分の経験から、いくつかの考えを書いてみたい。 なお、専門家によるドキュメントとしては、 「マインドコントロールとは何か」がわかりやすい。

●新宗教や自己啓発セミナーに「救い」を求めるということと、マインドコントロール の問題は別個に考えるべきである。

特定の集団が暴走すると、その集団に取り込まれる参加者の心の問題に理由が求められる ことが多い。それは確かに、きっかけのひとつであったかもしれない。しかし それだけを見ることは、マインドコントロールの危険性を軽視することになりかねない。

マインドコントロール自体は特定の宗教等とは独立した、普遍的な技術である。 「怪しげな宗教なんか関係無い」と思っていても、自分が属する社会集団、例えば 国家がその技法を悪用しようとしたら、そこから逃れるのはかなり難しい。 その例は歴史の中に見ることができる。

きっかけが何であろうと、その集団の中でマインドコントロールが行われていれば、 いつか暴走する可能性がある。マインドコントロール下であっても、暴走行為には 責任を取らねばならない。そうなる前に呪縛を解く必要がある。

●「強い心を持っていればかからない」ということは無い。 マインドコントロールは、誰もがはまり得る罠である。

マインドコントロールは、心の問題の有無にかかわらず、誰もがかかり得る。 マインドコントロールを、単に人を煙に巻いたりだましたりするようなものと 考えてはならない。それは、心そのものが本来持つメカニズムを利用する技術だ。 細胞自身が持つ複製のメカニズムが暴走することで癌が生じるようなものだ。 社会的生活を送ることが出来る人は誰しも、潜在的にマインドコントロールにかかり得る 可能性がある。身体を鍛えても癌が防げないのと同様に、いくら心を鍛えても コントロールされ得る。

人間の行動は、外部から与えられる事象と、自分の中に確立された価値の重み付けによって 決定されている。性格とか、信念とか、自己とかいうものはその重みづけのことだ。 重みづけのほとんどは、経験によって獲得されたものだ。行動とその結果によって、 人は重みづけを変化させ、新しい環境に適応してゆく。このメカニズムが無ければ、 成長は有り得ないし、未知の経験をした時に適応できずに心理的にダメージを受ける。

ここでもし、特定の方向に重みづけを促すよう、外部から与える事象を制御されたら。 しかも、それと気付かぬ程度に少しづつ。マインドコントロールの技法は、理屈よりも まず行動させ、その結果感じたことを内省的に分析させるものが多い。これは、この 重み付けのフィードバックループを加速させているのだ。そのこと自体は悪いことでは 無いが、そのフィードバックループが閉ざされた環境下で与える情報を制御しながら 行われた時、人の心は比較的容易に変化し得る。しかも、本人は自発的に変わったと いう意識しか持たない。

また、心には「一貫性のある行動を取る」という強い働きがある。 そのことを利用するマインドコントロールの技法もある。この場合は、 「強い意志を持っている人」のほうがかかりやすい。 マインドコントロールから逃れるには、自分の前言を翻す勇気も必要なのだ。

●マインドコントロール下にある人が、自力でそれに気付くのは非常に困難である。

私は今でこそ、自分がかつてマインドコントロール下にあったことを認められるが、 当時はそんなことは無いと信じていた。当時既に、マインドコントロールに関する文献 (ハッサンのとか、「影響力の武器」なんかのメジャーどころから、「洗脳体験」系の本、 また集団心理療法なんかの系統まで)を色々読み、理論武装していたのに、である。 ハッサンの本にあったカルトチェックなんかもやってたし、「影響力の武器」に 沿って分析してみたりもしていた。不思議なことに、マインドコントロールの 影響下にあると、本に書いてある例と自分の属する集団との差異ばかりに目がいって、 自分のところは違うと結論づけてしまうのだ。だから、はまっている人に、他の カルト集団の事例をいくら説いて聞かせても効果は無い。

マインドコントロール下の心理状態というのは、外から見れば非常に特殊で、 理解されにくいものだと思う。まず、論理的思考能力は失われない ←これホント。 常識だとか言葉の指す対象だとか、論理の前提となるそういったレベルでの基本的な 世界観が置き換わってしまうので、自分から見れば全てが整然と秩序立って見えるのだ。 だから、マインドコントロールの影響下にある人は、自分はごくあたりまえのことを 自然にしているだけで、何も特別なことはしていないのだ、と考える。 「マインドコントロール? ははは、冗談でしょ。あの教団とかこの教団とかの やっていることは知ってるけど、うちじゃそんなことはやって無いよ全然。 ま、世間から見るとちょっと変わってるかもしれないけど、自分には目的が あって、それを成し遂げるために好きでやってるだけだからね」と言うのが、 内部から見た状態である。

また、マインドコントロール下にあっても、自分がやっていることが一般常識 から見たら異常なことだろうな、ということは認識できる。のみならず、救出のために 説得された時、相手の言っている論理も理解できる。理解はできるのだが、 自分の世界観のほうにより価値を置いてしまっているため、行動を変えようとは思わないのだ。 ひとたびはまった人を救出するのが極めて困難なのは、こういう点にある。

●マインドコントロールの技術は、特殊なものではない。 怖いのは継続的にそれに晒されることだ

結構誤解されているように思うのだが、 マインドコントロールを構成する個々の技術には、何も特別なものは無い。 何か凄いことをされるというわけではない。どれも、 日常生活の中での駆け引き、議論、商談などでいくらでも使われている心理的なトリックだ。 (具体的には、「影響力の武器」誠信書房、等を参照されたい)。 従って、一つ一つの技術が心に与える影響はごく小さなものだし、見抜くのもたやすい。 「こんなんでひっかかるわけないじゃん」、そう思える程に。

それらの技術を、特定の方向に向かって継続して適用するところに、 マインドコントロールの本質があることは、見落とされがちである。

どんなに心理的技巧を駆使しようと、一回や二回のセミナーで、人に荒唐無稽な論理を 信じさせることはできない。 せいぜい壷を高価に売りつけることくらいはできるかもしれないが、それとて本人は後で おかしかったと気づくわけだ。 そのような一過性の効果では、ミイラを「生きている」と言い張る心理は説明できない。

少しだけ、本人の持っている価値観(ものの見方、スキーマ)を揺らす。 壊すのではなく、「そんな考えも あるのかあ」と匂わせるくらい。その揺れが戻らないうちに、そちらの考え方を 強化する方向でちょっとした経験をさせる。「ふーん、こういうこともあり得るかもね」。 好奇心をかきたてる。「もうちょっとやってみて、本当にこの考えが正しいか確かめてみようかな」。 時々、答えを得るためにコミットメントが必要な関門が設けてある (例えば高額のセミナーとか)。 「いや、別に全面的に信じてるわけじゃないんだが、その可能性を確かめるためにも 体験してみるしかないかな」。一回コミットしてしまうと、受ける前に感じた疑問は 忘れてしまう。「思ったほど変では無いな。半分は間違いだとしても、何か得るものが あるかもしれない。本当に間違いだと分かったらいつでも止められるし」。 そうやって、ごく僅かづつ、価値観をずらしてゆくのだ。

現実の社会に戻ってしばらくすれば、価値観のぶれは収まってゆく。 だが、マインドコントロールを行なう集団やそのメンバーに日常的に触れる機会があると、 価値観のぶれはなかなか戻されず、それどころかますます社会から離れて行く。 一回一回の価値観の揺らぎは誰もが日常的に経験することなので、本人は自分の価値観が 操作されていることに気づかない。あくまで、「自分は様々な可能性を考慮した上で、 こちらを選んでいるのだ」と思い込んでいる。

マインドコントロール関連書の多くは、マインドコントロールの過程に 「既に持っている価値観(スキーマ)の解体」を挙げている。 何か強いショックや感動体験でもって、今持っている価値観を壊してしまい、 その上にカルトの価値観を構築する、と説明される。 だが、私の経験によれば、既存の価値観の解体と新しい価値観の導入はそんなに劇的に 行われるわけではない。むしろ、既存の価値観を温存したまま、新しい価値観を「もう一つの 可能性」として忍び込ませてゆく、という感じだ。同時に、既存の価値観を揺るがすような 軽いジャブを食わせておいて、基礎を緩めておく。そして、コミットメントが必要な場面で、 既存の価値観と、カルトの価値観のどちらかを本人に選ばせるのだ。 マインドコントロールがうまくいっていれば、本人はここでカルトの価値観を選ぶ。 本当は「選ばされた」のに、本人は自分から古い価値観を捨てたと思い込んでしまう。

現在のミイラ治療団体のウェブページを見て、参加者が何故あんな支離滅裂な文章を 受け入れられるのか不思議に思われるかもしれない。実際、最初からあの文章を見せて、 人に信じさせるには、それこそ拘束して薬物を使うしか無いのではないか (これは「洗脳」と呼ばれ、 マインドコントロールとは区別される)。マインドコントロールとは、そういうものではない。

かの団体の主催者は、5年前までに3冊ばかり本を 出している。出版元はPHPやら読売新聞社だったと思うが、ごく普通の「生きがい本」だ。 5年前には彼の文章は、一般の出版社の編集が認識できる、普通の日本語だったのだ。

以降は想像だが、大筋で外していないと思う。ある日、彼はちょっと変な言葉を使い 始め、「これが正しいのだ」と言う。毎日のように彼の話を聞いている参加者は、 「変なの」と思いつつも、「まあこれまでの論理には納得して来たし、 もうちょっとつき合ってみるか」と思う。 しばらくして、変な言葉使いがさらに増え、論理もちょっとおかしいところが出て来る。 参加者は、「ますますおかしくなって来たなあ」と思いつつも、「本質的な主張は 変わってないから、表面的なことにこだわるのはよそう」などと自分を納得させる。 「サイババからのメッセージ」とか言い出すと、「またかよ、もうしょうがねえなあ、 ここまでついて来たんだから、とことん付き合うか」なんて思ったりする。 それを5年間続けると、ああなる。

●実際に行われる手法は、団体によって異なる。 疑わしいと思ったら、破壊的カルト本に挙げられている事例と比較するのではなく、 一歩下がって客観視することが必要。

自分の参加している団体がマインドコントロールを行なっているのではないか、 そう疑ったら、その団体から距離を置いてみる必要がある。 日常的に団体のメンバーと接触している限り、本人がマインドコントロールかどうかを 検証することはほとんど不可能だからだ。 本当にマインドコントロールされていたとしたら、一説によると、その効果が抜けるには 団体にかかわっていた期間と同じくらいの期間が必要だと言う。

メンバーに何と言われようが、少し時間をくれと言ってとにかくしばらく関係を完全に断とう (破壊的カルト関連書には、ここでカルトは猛烈に引き留め、脅迫も辞さないようなことを 書いている。そういう団体もあるかもしれないが、そうでない場合もある。「いいよ、2〜3日 ゆっくり考えな」などと気楽に送り出してくれたから、あの団体は破壊的カルトじゃないんだ、 と結論づけてはならない)。 そして、その団体に関わる前と後で、自分の考えがどのように変わったか、 自分はどのような選択をして来たかを冷静に振り返り、それを色々な立場の人に話して意見を聞く。 その団体の主張が特定の科学理論を参照している場合は、その道の専門家の人と話ができるとなお良い。 人と話さず、自分の中だけで処理しようとしてはだめだ。それでは、ずれた価値観が戻らない。

●マインドコントロールする側の悪意の有無は関係無い。

マインドコントロールする集団というと、何か非常な悪意を持って人々の心を 操るような印象を持たないだろうか。この思い込みも、落とし穴になり得る。 集団の内部にいて、それを率いる人々を良く知っていると、「彼らが悪意を持って そんなことをしているとは思えない」と思ってしまうからだ。

集団を率いる側が、悪意を巧妙に隠しているのかもしれなし、それとも自分達も本当に 掲げる理想を信じて自らが作り出した罠にはまっているのかもしれない。そのことは実は 問題では無い。人の心を操作しようとする意図の有無とは関係なく、 マインドコントロールは成立し得るのだ。

●マインドコントロールにかからないためには: とにかく逃げる。あとは、社会とのかかわりを広く、深く持つこと。

君子危うきに近寄らず。三十六計逃げるに如かず。この問題に 関しては、可能ならばそれが賢明な態度だ。たとえ卑怯に見えようとも、 尻をまくって逃げ出せ。正面から立ち向かおうと思ったその時点で、 既に術中にはまっているのだ。

まず離れた上で、相手の土俵に乗らないで攻める方法を考えるしかない。 相手を理解しようとすることは、相手の土俵に乗ることを意味する。

それでも、巧妙な罠は存在する。その場合に救いとなるのは、 現実社会との接点だ。私が戻って来れたのはそのおかげだし、常に 社会との接点を確保しようとしてくれた家族、友人にはいくら感謝しても足りない。

上に書いたように、マインドコントロールには一度はまると、 まず自分一人で脱出するのは無理である。しかし、マインドコントロールを行う集団 以外の場所で人と多く接し議論する場があると、集団の方針を検証することができる。 内省のフィードバックサイクルとは別に、「この行為によって、社会にどのような 影響を実際与えたのか」を考えることができる。いくら理念が崇高でも、結果が出なければ 空論に過ぎない。そこに気づけるかどうかが運命の別れ道のように思える。

●マインドコントロールから救出するには:私も教えてほしい。

今なら、マインドコントロールは素人の手に負えるものでは無い と言える。専門家に相談し、対策を練るのが良いのだろう。決してあなどってはならない。 議論や説得でどうにかなる問題では無いし、 自分も受けてみようなんて絶対に考えない方が良い。

しかし、マインドコントロールによる世界観の置換がごくわずかづつ行われる 場合、初期の段階でそれを判断するのは難しい。マインドコントロールと同じ技法が、 役に立つ目的を持って使われることだって多い。技法の中には、例えば芝居の稽古と だぶるものも多くある。

ただ、もしもう一度、今ある知識を持って数年前に戻れるのなら。 私は友人がその集団に参加する最初の時点から、何が何でも止めただろう。 たとえ理性的で無いと言われようが。止めることによって信頼関係を損なおうが。 今となってはもうどうにもならないことではあるが。

* * *

自分の心が操られていたことを認めるのは、かなり抵抗がある。 他に影響されず自分の人生を自分で決めて行動できる人は「強い人」であり、 他人に心理的に依存しなければ生きてゆけない人は「弱い人」である、という価値観は 広く受け入れられているからだ。

マインドコントロール下にある人も、その価値観に縛られている。 本人は、自分で決めていると信じているからだ。そして、「指導者(教祖、グル)に 依存しているのだろう」という周囲の声を笑い飛ばす。 君達こそ、目に見えない社会常識とかいうものに依存しているんじゃないか、と。

人をマインドコントロールの罠に捉えるのは、まさに「強い/弱い」というその 価値観なのかもしれないのだ。


Shiro Kawai
Last modified: Sat Dec 4 05:59:23 HST 1999