Into Thin Air

Jon Krakauer, Villard Books, 1997.
ISBN0-679-45752-6

"..., but attempting to climb Everest is an intrinsically irrational act---a triumph of desire over sensibility. Any person who would seriously consider it is almost by definition beyond the sway of reasoned argument."

1996年春のエベレスト (チョモランマ) の惨事は、犠牲者の中に日本人も 含まれていたため日本での報道も大きく、覚えている方もおられるであろう。 その春、エベレストでは一シーズンとして過去最高の犠牲者を出した。 特に5月10日から11日にかけての嵐は、頂上を極めた後に下山中だったパーティを襲い、 一夜にして9人の命を奪った。著者のJonはその日世界最高点に立った後、 かろうじて生き延びた一人、つまり現場に居合わせた生き証人である。

もともと登山家・ジャーナリストであった彼は "Outside" 誌に記事を書くためにエベレストに登った。 だがこれほど恐ろしい記事を書くことになろうとは微塵も考えていなかったであろう。 "Outside" 誌に掲載された彼の記事は読んでいたのだが、 この本では事実関係がより詳細に述べられ、遥かに緻密なものに仕上がっている。 もとより描かれる世界は本格的な登山などしたことのない私の想像の範囲を 越えているが、それでも彼の描写によってそのわずかな部分を追体験できる。

この遭難が特異なのは、登山したのがガイドに率いられた一種の商業ツアー (もちろん普通の旅行ツアーとは全く違うが) であったことであろう。 そして5月10日に頂上を目指した4パーティーのうち2つは、 おそらく世界で最も優れた部類に入る、実績と実力のあるガイドに率いられていた。 だがそのガイド自身さえもこの遭難で命を落したのだ。

ごく些細なミス、手違いの積み重ねが、極限状態では人の生命を左右する。 全てが悪い方向に転がりだした時、個々人にできることのいかに小さなことか。 安全な場所にいる人間が後から「あのとき君はああすべきだったのだ」という のはたやすい。だが地上の1/3の濃さの大気、信じられない程の寒気と疲労で 自分の生命さえも危うい状況で人はどれほどのことができるのだろう。 生き残った一人はこう言う。「俺は彼女を一、二歩引っ張ったが、そこで 彼女の力がゆるんで腕が外れた。でも俺は歩き続けた。誰かがテントまで 行って助けを呼ばなけりゃならなかったんだ... でも、彼女のことが どうしても頭を離れない。彼女の手が緩んで俺の腕を外れて行ったのを 今でも感じるよ。だが俺は振り返りさえもしなかった」

極限の自然の中では科学技術も悲劇を増幅するだけのようにさえ 思える。頂上とcamp 4の間で嵐に閉じ込められ動けなくなった一人は、 衛星電話を使ってシアトルにいる妻と最後の会話を交わしている。 「愛しているよ、ゆっくりおやすみ。あまり心配しないで」 これが彼からの最後の言葉だった。

全ての悲劇が終わった後、空港に帰還したJonは報道陣から、 また死者の家族から質問攻めを受ける。 だが彼の体験のわずかでも追体験した読者は、 そのような状況で人がどれほどのことを答えられるのか疑問に思わざるを 得ないであろう。

Jon Krakauerはこれらの事実を、かなり淡々と綴って行く。 あれだけの経験から一年足らずでここまで冷静に書けるのは驚異である。 だが行間からは彼自身の苦悩が聞こえて来るようだ。極めて困難な作業 であったろう。生き残った自分を正当化したいというどうしようもない 要求を押さえつけ、事実だけをひたすら見つめようとする。 文章を世に出したことで「自分だけいい子になろうとしている」 という非難や犠牲者の死に対する責任を追求する声はすさまじかったであろう。 またそれは犠牲者の家族に新たな悲しみをつきつける行為であったかもしれない。 それでも敢えてこの本を著した彼の勇気に賞賛を送りたい。 苛酷な現実を引き受けることは、 ある意味エベレストに登ることよりもすごいことだろう。 だが人はそれを乗り越えられるということ。 そしてそれだけの覚悟をしても夢を見続ける価値が人生にはあるのだということを この本は教えてくれる。

奇跡的に助かった一人は、凍傷のため片腕の肘から先ともう片手の 全ての指を失った。彼を見舞った生存組の一人はこう記す。 「そんな彼の姿を見るのは悲しかったが、同時に誇らしくもあった。... 人はこれほどのことさえも受け入れ、そして次の人生に向かって一歩を 踏み出せるのだ。彼は悲劇を征服したのだ。彼は勝利者だ。」


Shiro Kawai
shiro@lava.net

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