1999年8月

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8/31(Tue) Blair Witchの呪い/Brokedown Palace

やられた。

2日前、映画Blair Witch Projectを観た感想に、 「観客の想像力が、映像を追い越してしまう」と書いた。 山中にて、周りに誰もいない状況でキャンプをしたことのある人なら 、 夜中に足音らしき音を聞いてぎくりとするような経験があると思う。夜行性の 小動物だと自分を納得させながら、妙に耳をそばだててしまったあの経験。 それからすると、映画中の状況に自分が置かれた時にどんなに恐いかという ことが想像できてしまうが故に、"Blair Witch" で示される映像が 恐怖を伝えるに不十分なものに思えてしまったのだ。 どんな時でも登場人物達が手放さなかったカメラに収められた森の映像は、 例えば "Kiss the girls" に出て来たいかにも全てを飲み込んでしまいそうな森に比べると、 なんだか木立のすぐ向こうに車道が走っていても不思議が無いような、何の変哲も無い景色にすぎない。 しかし。

1時間半の間、ブレの多い映像に集中することを強いられながらそのような映像を 見せられた結果、それが頭に擦り込まれてしまったようなのである。 さらに、かの映画に記録された映像の大部分があまりに変哲も無いものだったが故に、 それは私の中で容易に自分の記憶の中の山の景色と結び付くのだ。 例えば眠る前のひととき、電気を消してベッドに横になり目をつぶった時、映画の中のワンシーン、 そのカット自体には何の変哲も無い映像がふと頭の中に思い浮かぶ。 そしてそれは、自分が山中で一人たたずんだ時にふと感じた、何か妖しい気配--- それが感覚器の生み出すノイズだと理性で納得させ、足早にその場を立ち去った経験-- の記憶を呼び起こす。その連想は否応無しに、映画のラストシーンの記憶へとカットバックされる。

日常性のすぐ後ろに潜む恐怖。キングの小説をネタにしばしば語って来たことだが、 それを映像的に、記憶のレベルに刻みつけられてしまったということを、 映画を観て2日後にしてようやく自覚した。 "Blair Witch" の監督達がそこまで計算していたとしたら、かなり凄い。 おそらく人類の原始的な脳の内部に刻まれている自然への畏怖、未知なるものへの恐れ。 そういうものに対し、この映画は直接的にではなく、一旦観客の記憶の底に沈澱してから徐々に触手を伸ばし、 喰い込み定着する。 私は"Blair Witch"に呪われてしまったのだ。

この文章は、夜中に起き出して書いている。 さっきから背筋がぞくぞくしている。それは「記憶の内なる森」に対する恐怖 ばかりではない。メディアが呈示出来るリアリティというものを、私はいささか 見くびってはいなかったか? という気づきに対する戦慄である。


Clair Danes見たさに "Brokedown Palace" を観て来た。 高校を卒業したばかりの仲良し2人娘がタイに卒業旅行に出かける。そこで知り合った ハンサムで親切な男の「香港で一日過ごさないか」なんて甘い言葉にのせられて、 貰ったチケットで空港に行ったところでいきなり取り押えられる。バックパックからは 大量のヘロインが。タイは麻薬には厳しい。異国で弁明もろくに聞いてもらえず、33年の実刑を 宣告される…

かなり面白くなりそうなテーマを持っているのに(特にラストの展開)、 構成要素がばらばら。コンセプトは良かったけど設計図がガタガタで、 エキスパート達がなんとか形にしようと頑張ってみたという感じ。 "Return to Paradise" とネタかぶりしているらしい(未見)。 私はDanesが存分に見られたのでそれだけでおっけー。


蝸牛的ピアノ日誌:休み。

8/30(Mon) せめて第2のリーヌスを

日本では大蔵省が「第2のビルゲイツ」を発掘するために、 「天才級プログラマ」に対して最高1億円程度を補助する方針だとか (asahi.comの記事→http://www.asahi.com/0831/news/business31029.html)。 真面目に考えた人には悪いけれど、何かのジョークかと思った。だって、 ビルは一人でもうたくさんでしょ。

ま、それは置いとくとしても、この方針、記事を読んだ限りではどうも うさん臭さが漂ってくるのは何故だろう。未だに欧米だ国産だって言ってるところ からしてトホホだけど (「天才級」ならそんな枠組みはとうの昔に飛び越えてるだろうから)、 そもそも、「天才級プログラマ」という言葉はどんな人を具体的に指しているのだろう。

ビルゲイツを引合いに出すからには、ビジネスに嗅覚の効く起業家タイプを発掘したいのだろうか。 しかし起業家にとっては、先に予算が決まっているようなヒモ付きの金じゃやりにくいだろう。 4半期毎に進捗状況を判断して場合によっては追加投資をしてくれるとかいう体制が整えられれば 別だけど、役所の仕事だからなあ。申請を出して何ヵ月かして金が来た頃には潰れてるって ことになりかねない。それに、起業家と投資家の間に通常生ずるリスクを含んだある種の緊張感 無くして金が入って来るのは、とてもいやーな感じがするのだ。起業家と投資家は、 アイディアと資金を契約によって結び付ける関係であり、立場的に対等である。 一方、大蔵省からの「補助」というのはいかにも「お上」が「困っている民」を「助ける」 というイメージだ。返済義務があろうがなかろうが、そこに健全で対等な緊張関係は 生じにくいように思う。

では、ハッカータイプのプログラマを念頭に置いているのだろうか。ここで言うハッカーとは、 コンピュータエンジニアリングの歴史に大きな足跡を残すような偉大なプログラマ達のことである。 ハッカーがプログラムを書くインセンティブは金ではなく、むしろ 未踏の領域を開拓することにより得られる名声であるとされているが、 それでも生活が保障されてハッキングに没頭できる環境が得られれば良いに越したことは無い。 しかし、優れたソフトウェアというのは何人かのそのようなプログラマ達が刺激し合う 過程でコラボレーションの結果として生まれて来るものであって、 一人にポンと金を渡したからどうなるというものでも無い。 そういうソフトウェアを望むなら、大学にもっと予算を落として、 大学教授がベンチャー企業を起こすことを認めて、 技術をどんどんトランスファーさせるとかのほうがずっと良い。

なんだか、結局目的が曖昧なままに施行されて、うまく利用した者勝ちで 終りそうな気がしてならない。まあそれならそれでしたたかに利用すれば良いわけであって、 画像処理とかインタフェースとか仮想空間における実在感の研究とか ネットワークにおける社会学とか適当にかこつけて、ゲーム開発の企画が通ったら面白いかも。 「世界に通用する日本製ソフト」になる可能性は現時点で高いと思うよ。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2, 5, 14。

8/29(Sun) フォトリアリズムとリアルさ/Blair Witch Project

「実写と区別がつかない」というフレーズは、 コンピュータグラフィクス(CG)の売り文句としての効力を失いつつある。 現在でもなお、実写と見紛う映像を作るのは決して容易ではないが、 観客は既に最高水準の映像に慣らされてしまった。 それでも、実写映画中に現実では実現不可能な映像を使いたいという要求は 必ずあるわけで、今後フォトリアリスティックなCG映像というのは 監督のビジョンを実現するための裏方役として、観客に気付かれぬところで 多用されてゆくことになると思われる。

但し、人間のアニメーション (表情、動作) の分野はまだ課題が山積している。 どの要素が「自然」なアニメーションを作るのに重要で、どの要素が重要ではないかってのは、 観る側の認知のメカニズムも含めてさらに研究が必要だろう。

どんなに時間をかけて苦労したってそれが売りになるわけじゃないとなると、 いかにして実写と合成して違和感の無い映像を効率良く作るかが重要となる。 最近流行りのイメージベースモデリング/レンダリングはその最有力候補。 実写映像から被写体の3次元モデルや照明の状態を抽出してコンピュータで処理するとか、 そもそも3次元のモデルを作らず、2次元の映像自体を変形させてあたかも3次元である かのように見せるとか。今年のSIGGRAPHで、映画 "Matrix" でイメージベース レンダリングを使ったシーン(ビルの屋上でキアヌが銃弾をかわすところをカメラが回り込んで写すショット の背景のビル群)が紹介されていたが、あそこにCGが使われていたとは 考えもしなかった。いや、考えてみたらCGでしかやりようがないんだけど、 あまりに自然だったから。同SIGGRAPHで評判になったUCBのグループの "Fiat Lux"も、 ここ数年のこの分野の研究成果を見事に集積した作品であった。 もう来年くらいには、この技術は色々な映像作品に、それと気付かぬ所で使われていることだろう。

一方で、敢えてフォトリアリスティックにしないCG (Non-Photorealistic Rendering, NPR) を用いた作品も増えて来ている。セルアニメーション作品はもともとセル画と馴染ませるために NPRを使っていたが、ここ2年くらいで発表された作品は3Dでしか為し得ない効果を 見事に2Dと融合させている。また、絵画の分野では過去幾世紀にもわたって 芸術家達が様々な表現技法を実験してきたが、それらをCGを使って動画に適用することも 可能になりつつある。"What Dreams May Come" (邦題「奇跡の輝き」)中の 油絵の中に入り込んだような美しいシーケンスは記憶に新しい。

絵画の世界では、画家は自分の観たものを伝えるために様々な技法を用いる。 「写真と見紛う」絵画ほど価値があるなんてことは誰も思わない。デフォルメされた 映像ゆえに、フォトリアリスティックな映像よりもよりリアルに感情が伝わってくる ということはあるはずだ。フォトリアリスティックな映像がCGの終着点ではない。 それは数ある技法のうちのほんの一つに過ぎない。もっと観るものに「リアルさ」を 与える映像技法が、まだ開かれていない可能性の中にあるはずだ。

知っている人にとっては何を今更、という主張だが、今書いとかないと 機会が無くなりそうなんで書いてみた。


さて、夏が過ぎ去る前に忙しくてなかなか観られなかった映画を観とこうという この週末、今日選んだのは "Blair Witch Project"。ネット上の口コミにより 前評判が高まり、米国映画史上空前の収入対製作費を弾き出した話題の作品である。

1994年秋、3人のフィルムスクールの学生が米国の片田舎の街に伝わる魔女伝説に関する ドキュメンタリーを撮影するため森に入り、行方不明となった。 一年後、彼等の残したフィルムとビデオが発見された… という非常にcatchyなコピー。 Webサイトにはこの行方不明事件の顛末が、 地元の保安官のインタビューやら発見されたフィルムの写真と共に掲示されている。

ハンドヘルドカメラによるぶれまくりの映像に酔って気持悪くなりながらも、 コンセプト自体は気に入ったし、いくつかのシーンは十分にぞくぞくさせてもらった。 ただ、観る前にいろいろな情報を聞きすぎてしまったのだろうか。 期待したほどでは無かったな、というのが正直なところ。 呪われた森の中に取り残される状況っていうのはなまじっか想像がついてしまうために、 観客の想像力が映像を追い越してしまうのだ。 かと言って、密室状況での人間関係を描く作品として観た場合はキャラクタの存在感が弱い。 結局のところ、実験映画として観るのが良いと思う。 作品としてユニークな試みではあるだけに、評判が広がり過ぎてしまったことは 却ってこの映画には不幸だったのかもしれない。


蝸牛的ピアノ日誌:昨日に引続きAlkan Esquisses 14番。 2番と5番も少し。

8/28(Sat) 働くことと働かされること/The Red Violin

む、ここ (8/28)にもハードな生活をしている方が。マスコミも大変だね。もっとも、作り手がいかに身を 削ろうが消費者(視聴者)はそれをリスペクトする義理も義務も無いわけで。わかってない人の批判というのは 結局的外れ(現状を改善するのに役立たない)なのだからほっとけば良いとも思うんだが、 世の中わかってない人だらけになったらそれは嫌だなあ。 私はナイーブに、きっとどこかに分かってくれる人がいるさなんて信じているんだが。

ま、それはともかく、とんでもない勤務時間というのは、自分の目的のために「働いている」のか 会社の目的のために「働かされている」のかで意味会いが全く異なって来る。もちろん多くの場合、 どっちか一方ではなく両方の要素が絡んで来るのだけれど、例えば一方の端には 広く創作活動と認知されている職業に従事している人々がいて、創作のための準備というのを 含めれば彼等はある意味24時間365日働いていると言えなくもない。逆の端では、 例えば週40時間の労働を賃金と引き替えにし、それ以外の生活を成立させている人々がいる。 何をもって適切な労働時間とすべきかはなかなか難しい。

私自身はこれまでもしばしば書いて来たように、やりたいことがあって、 頑張れば実現できる職場にいるため、いわゆる自己実現のための労働っていうのは 基本的に支持している。ただ、世の中を見渡してみると、この自己実現っていう キーワードが独り歩きしているようで。ひどいのになると 鼻先にぶら下げられたニンジンを自己実現だと言ってみたりとか。 人生の目的は会社のどこそこのポジションに就くことだとか 月収ウン百万円だとか言い出す人もいて、そういうのは本当の目的を実現するための 手段でしょと突っ込みたくもなるのだが、分かって言っているのかどうなのか。 そういう人は企業にとって利用しやすい人であるには違いない。

自分が誰かを雇ったり、誰かの仕事を監督する立場になったとして、 その人を働かせることになるのか、その人自身の目的のために働いてもらうことになるのか。 勤務時間だの給料だのっていう数値に基準があるわけではない。 一番大事なことは「人を手段としてでは無く、常に目的として見よ」ってことだが、 それをどう実現してゆくかはまた別の問題だ。


今日の映画は"The Red Violin"。 17世紀に造られたバイオリンとそれに関わる人々の数奇な運命を描いた映画。 以前から評判は耳にしていて、やっと観ることができた。

久しぶりにストーリーの重厚な映画を観た、という印象。 400年の長きにわたり、5つ国を舞台に繰り広げられる物語を、 小説ならともかく、時間制限のある映画にのせるのはかなり難しいと思う。 各エピソードで、中心となるドラマの部分を見事に切り出す演出によって 物語に深みを与え、多重のカットバックを用いた編集で全体を統一する、 見事なバランス。そして全編を彩るバイオリンの音色←これだけで感動できる。

イタリア、オーストリア、中国ユニットで良い役者を使っている。 一応主役ということになるはずのSamuel Jacksonの影が薄くなってしまうくらい。 オークショナーの役でColm Fioreが出ていて、彼はキングの"Storm of the Century" で悪魔役をやった印象が強烈だったもんだから、彼のフランス語なまりの英語を聞いていると それだけでいかにもバイオリンが曰くありげに見えて来てしまう…ってのはあんまり 良い見方じゃないな。

壮大な物語と、クラシック音楽が好きな人には特におすすめ。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 1, 2, 3, 5。 14番譜読み開始。右手と左手がぺちゃくちゃおしゃべりするかわいい曲。 5番も4声の曲だし、最近再びポリフォニーに快感を覚えるようになってきた。 なかなか全部覚えられないので、いつまで経っても完成しないのだが…。

8/27(Fri) 馬鹿になる/Run Lola Run

ここ48時間トラブル無くサーバーが動いているようなので、今日で夜勤シフトは解除。 8時帰宅14時出勤ってのは、6時帰宅11時出勤よりきつい気がする。 前者では、へろへろになった帰りがけに、はつらつと出勤してくる人々とすれ違うことで、 生活が逆転していることに気付かされるからだろうか。

この一週間確かにきつかったが、同時にこれほど集中したのも久しぶりだった。 最低限の睡眠、食事などをこなす以外はすべて一つのことを集中して考えている状態。 他の一切のことは全てどうでも良くなってしまう。プログラム馬鹿になる。 そうなってやっと、見えて来るものがある。 決して健全なことではない。ずっと続けていたら、社会的にも生理的にもおかしくなる。 だが、そうやって作ったものを後で振り返ってみると、 「正常」な状態の時にはとても作れる気がしないのだ。

スマートに、正常な社会生活を送りながら自分の作りたいものが作れるのなら それに越したことはない。しかしもしどちらかを選ばなければならないのなら… やっぱり社会生活などどうでも良いと思ってしまうなあ。


ひと山越えてほっとしたんで、気分の良くなる映画を観に行く。 ドイツ映画 "Run Lola Run"(原題Lola Rennt)。 赤毛のねーちゃんLolaがチンピラのボーイフレンドを救うためひたすら走り続ける、 それだけの話なんだけど、これが妙に良い。大したドラマもストーリーも無いのに、 何か良い。MTVばりのスタイリッシュな映像だとかストーリー上の仕掛けだとか、 要素はいくつも挙げられるし、それらがこの映画を良いものにしているのは間違い ないのだけれど、それらだけではただのeye candyだ。 それらの技法が支えているこの映画の芯は、疾走するLolaの実在感だろう。 どんな背景を持つキャラクタかさえもたいして説明されないのに、観終った後、観客の心には 赤い髪をなびかせ通行人をけちらしながら走るLolaの姿が刻まれている。

生の役者を使う映画や舞台が、文学やアニメーションと違うのは、 「そこに実在する役者」がいればそれだけで作品が成り立ってしまうことだ。 舞台の場合は特に顕著だ。良い役者は、舞台上で何をしていようと、 観客の目を釘付けにする何かを発するのである。 結局、物語のドラマ性だのキャラクタの深みだのと言ってみたところで、 それらは舞台に出た役者の実在感を補強する道具に過ぎないのかもしれない。 それらの道具によって舞台にあるいは画面にあらわれる何か、それこそが 我々が本当に観たいものなのだ。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2, 5。

8/25(Wed)

ええと、今日は何日だ。日付の感覚が無い今日この頃。8/26日朝8時だから、 日記としては25日分のエントリーで良いのか。

この2日間で、24時間ノンストップシステムを更新する際の恐さをよーく思い知った。 そう、一昨日のはまだ終りではなかったのだ。あの後、2度程サーバーが止まる騒ぎがあって てんやわんや。とにかく止めずに運用するために監視システムをはりめぐらし、 さらに2交替制でサーバを監視することにして昨夜はなんとか無事に切りぬけた。 もう寝る。ぐぅ…


蝸牛的ピアノ日誌:暇無し

8/23(Mon) ハマリ脱出

ひゃー、やっと動いた。どうも、サードパーティのライブラリ中の かなり微妙なバグを踏んでしまったらしい。再現条件が込み入っててまだ完全に 原因を分離出来ていないけれど、確実に再現することはできる。 ま、とりあえず回避法を見付けたから、こっちではそれで運用できる。 ひと眠りしたらバグレポートをまとめて、あとはあちらさんに頑張ってもらうとしよう。


蝸牛的ピアノ日誌:眠いのでお休み。

8/22(Sun) ハマリ継続中

金曜から土曜にかけてはまっていた問題、未だ解決せず。 月曜朝まで仕事。ちょっとこれは手こずりそうなので、 ボスに勤務時間シフトのお願いを出す (今はまっているテストはプロダクションの アクティブな時間を避けるために、深夜〜早朝でないと行えないのだ)。

最近身体が固くなったと感じることが多い。舞台やってた頃も抜群に柔らかかったって わけじゃ無かったけど、今の状態ではすっかりオヤジだ。前は1〜2年さぼってても平気だったのに、 やっぱり30過ぎると身体のメンテに気を使わないとだめなのか。

身体が固くなると、そのぶん日常生活でも動作が制限されるようで 気持が悪い。鎧を見につけているような感覚。逆に柔らかい時は、 思っていることが表現しやすくて、とても自由に感じる。別に大げさなジェスチャを するわけではない。制限が少ないということは、それだけ 力まないでいられるってことだから良いのだ。

つうわけでストレッチストレッチ。目指せ180度開脚。


蝸牛的ピアノ日誌:あ、これまでAlkan Esquisses 4と書いていたのは Esquisses 5 (E dur) の間違いだった。Esquisses 4 (g moll) も ちょくちょく弾くけど。

8/20(Fri) Bowfinger

今日の映画はSteve Martin脚本・主演のコメディ "Bowfinger"。 ハリウッドの超弱小映画プロダクションが、スター俳優を使った映画を 作ろうと奔走する。もちろん正面きっての出演交渉が成功するわけもなく、 事情を知らないスター本人に役者がいきなり絡んでゲリラ撮影を行ってゆく。 ハリウッド映画産業の風刺みたいなもの (サイエントロジー教会のパロディだとか) も 盛り込まれているが、ちょっと中途半端。笑いもアンサンブルもちぐはぐ。 それでも映画が崩壊するのを防いでいるのは、映画を作るためには手段を選ばぬという 主人公達の明るい「勢い」だろう。


夜中からサーバ構築に使っている商用ライブラリのアップグレード作業を行う。 1時間程で終る予定が、データの互換性に問題が生じ、朝まではまってしまう。 バグの分離のためにテストデータで試験すると全てちゃんと動くのだが、正式なデータ だとうまくいかない。集中力が落ちて来たので外が明るくなる頃に一度帰宅。

こういう時、ソースコードがあればと思う。ライブラリなどの機能コンポーネントを 提供するベンダは、バグは無いと絶対の自信を持って言い切れるのでなければ ソースコードを提供すべし。(今朝問題になったライブラリのベンダーは別料金だが ソースコードライセンスもオプションで提供している。ボスに掛け合ってみるか)。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/19(Thu)

昨夜、某所から某計画に関して前向きな伝言が入っていたので浮かれていたが、 今日打ち合せたところ某制度が障害となって実現は難しいとの結論に達する。困ったもんだ。 実現可能になるその時まで、密かに暖めつつ待つとしようか。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/18(Wed) 日本のクレジットカードについての疑問/Mystery Men

日経BizITの 電子商取引のコラムに、「米国ではクレジットカードはリボ払いが普通で、カード会社は その手数料収入が大きいが、日本では一括払いが主流で手数料が取れない」というカード会社の 声が載っていた。まあそうなんだろうけど、「リボ払いが主流」という言い方にはちょっと 違和感を感じる。

米国ではそもそもリボ払い、一括払いの区別は無い。月毎に、それまでの残高と 最低限支払わなければならない金額が通知されるので、その間で好きなだけを払い込めば良い。 全額払い込めば手数料はかからない (一括払いと同じ)。払い残しがあると、日数に応じて 手数料がチャージされる (上記カード会社はこれを指してリボ払いと言ったのだろう)。 各カード会社がこの手数料の低さを競いあっていて、 「他のカードの残高を我が社のカードで支払って頂ければ手数料さらにサービス!」なんて ダイレクトメールがしょっちゅう来るところを見ても、一括で払ってない人は多いらしい。 私はめんどくさいのでいつも全額払ってしまっている。

機構的には日本の一括/リボ払いのシステムと似ているようだが、日本ではカードは 使うときに支払い方法を指定しなけりゃならないし、リボ払いに したらしたで何回で払うだの、またその分割で払う金額も指定されていたりして とにかく煩わしい。これでは一括を指定する人が主流でも当然だろう。

もうひとつ大きく違う点は、米国のクレジットカードは口座への支払いを期日より前に 出来るということだ。限度額いっぱいまで使っちゃって、支払い期限はまだ先だけど 手元に現金があるので未払い残高を減らしたい、なんて時は、適当な金額を小切手にして 払っちゃえば良いのだ。日本では銀行口座からの引き落とし日が指定されてしまっている。 以前日本のカードで、「早めに支払うから未払い残高を下げられないか」と かけあったがだめだと言われたことがあった。こんなところにも不便さを感じる。

日本では個人小切手が一般的でないという違いがあるが、なぜ消費者の利便性に 逆行するような複雑なシステムにしなければならないのか疑問だ。 あんまり便利だとカードを使いすぎる人が多くなるとでも言うのだろうか。実際は逆で、 予信枠内で残高を自分で制御できる米国のシステムの方が、自分の口座を自分で管理している という感覚が持ちやすいと思う。極端な話、借金は嫌いだという人は、カードを使ったその日にその分だけ 小切手を書いて送ってしまえばよい (実際は郵送期間や手続きで数日のラグが出来るけど… それにそういう人はデビットカードを使うか)。

こういう制度の違いの背景には、金銭に対する実在観の付与の仕方の違いがあるのかも しれない。そのへんはまた考えてみることにする。


アメコミ原作のドタバタギャグSci-Fi映画 "Mystery Men"。 友人が「予告編が面白そうだったから観たい」というのでついて行く。 かなりおバカな映画だったが、寒くて引いてしまう寸前のところで踏みとどまって 笑えるレベルに仕上げているのは、狙ってやってんだとしたら相当なバランス感覚だ。 随所にパロディらしきものも見られるが、スタイルを確立するには至ってないと感じた。 Geoffrey Rushが悪の総統役で出てて、しかもノリノリで演技しててびっくりしたぞ。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/17(Tue) 専門分野について説明するには

SIGGRAPHの全般的な印象を書こうと思っていたのだが、 どうもうまくまとめるのが難しくて詰まってしまった。

どんな文章も、対象とする読者像をある程度特定しないと書きづらいものだ。 この日記では、滅多に会えない友人知人を読者として想定していることが多い。 友人の大半は私の専門分野とはあまり縁が無いので、 専門分野に関する予備知識が無くても通じるように書くように努めている。 しかしSIGGRAPHでのトレンド、と言ったような専門技術に特化した話題になると、 こちらが何をどう面白いと思ったのか伝えるためにはその背景技術やら何やらを 説明しなくちゃならなくなって、結局文章が破綻してしまうのだ。

研究者の方の日記をいくつか読んでいるが、門外漢の私でも「へえ、 そんなこともあるのか」と楽しめる日記ばかりで、実にまとめ方がうまいと思う。 新しい研究はそれ以前の膨大な研究を下敷にしてなされるわけで、厳密な議論をするには その前提となっている部分を理解しなければならない。しかし、それとは別に 斬新さ、面白さを伝えることは出来るはずなのだ。

私が専門分野に関して議論する相手は常に同じ分野内の人々なので、 多くの共有知識を前提とした議論に慣れすぎてしまっているのかもしれない。 だから、そうでない場合にどういう切り口で語ったら良いのかわからない、と。 ちょっとこれから数日かけて、何をどう面白いと思ったのかというエッセンスを 抽出する作業をしてみようか。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2, 4。リハビリ。

8/16(Mon) SIGGRAPH99/ベガス放浪記

一昨年は無闇に暑かった記憶がある8月のLA。 今年は何故だかやけに寒く、 朝や夕方は意外に冷え込み、半袖シャツしか持参しなかったのを後悔するはめになった。

SIGGRAPHは、 コンピュータグラフィクス関連では最大規模の国際会議である。 Exhibitionの規模が大きくなり、トレードショウと勘違いしてる雑誌なんかもあるが、 本来はカンファレンスが主体だ。 (もっとも業界内部ではリクルーティングの場としても重要で、 うちの会社もそのためにブースを出している。)

我々R&Dメンバーはコースに論文セッションにと朝から晩まで缶詰になり、 その合間に旧友と再開し、講演者と議論し、交流の輪を広げるのが主要目的となる。 情報交換だけならネットで十分な時代に、国際会議として敢えて集まる意義は 結局「人と会う」ことにあるのだと思う。

SIGGRAPHの内容に関しては時間が無いのでまた今度。


で、SIGGRAPHが終った金曜の夜には、 週末をベガスで過ごすために車のトランクにスーツケースを詰め込んで、 友人とその友人、さらにそのガールフレンドと徹夜ドライブ。 ロスからは、適宜休みを取りながらだと5時間程かかる。 ホテルも決めない適当な旅行だったので、夜中の3時過ぎにベガスに着いて 空き部屋を探す。一度断わられたホテルで友人の巧みな話術により部屋が取れることに。 この国では何でも主張してみるもんだ。

ベガスは面白い街だ。この大きな街が、砂漠の真中で、ほとんどショービジネスのみを中心と して成り立っているというのが不思議でならない。

小心者の私はギャンブルは不得手 ($1のブラックジャックをちまちまとやって $5程勝った)なので、ベガスで興味あるのはむしろショーの類だ。 今回はまずライドを2つ体験。Caesar's palaceの "Race for Atlantis" と Las Vegas Hiltonの "Star Trek: The Experience"。どちらも知人が製作に 参加しているので観ときたかったのだ。"Star Trek" は設定と演出が面白い。トレッキーで 無い人もライド前のミュージアムで基礎知識を得られて楽しめるしお薦めだ。

夜はMGMでの有名なショー "EFX" を見物するが、これには失望。 金と才能の浪費、という言葉が頭に浮かぶ。スタッフもキャストも才能ある人材を集めている のだろう、見せることにかけて十分な水準をクリアしているが、結局それだけ。 もちろん、その水準をクリアすることが容易でないことはわかる。しかし、 既に出来ることの範囲内でしか創ろうとしないのは、創造者にとっては自殺行為だと思うのだが。 例えばCirque du Soleilのショーで感動するのは、彼等が自己の限界に挑戦しそれを 押し広げようとしているのを感じられるからだ。残念ながら、"EFX" からはそういうものが 何も感じられなかった。私が target audience ではなかった、ということなんだろうか。


月曜朝の便でホノルルに戻る。南カリフォルニアのくすんだ緑と茶色の山ともやのかかった 空気に比べ、全ての色彩が鮮やかなのに驚く。もうすぐこの島に来て2年。この暑さと湿度と、 空と海の青さに我が家に帰って来たような心地よさを覚える自分が居る。

8/8(Sun) プログラマになるには/小品集の楽しみ

今夜よりSIGGRAPH出席のためLA行き。Squareを離れた連中もたくさん来るので、 Square USA Hockey Teamのリユニオンゲームをしようということになっているから、 装備を一揃い持って行かねば。荷物のほとんどは装備で占められる←何しに行くのやら。


プログラミングを基礎から、しかも手っ取り早く身につけるにはどんなコースが良いだろう。

まずは、Unix環境でOSの概念とCの基礎を身につける。 低レベルのインタフェースまでブラックボックスになってしまっているのは、学習環境として 好ましく無いからだ。 本を一冊、私が思い当たるのは、ちょっと古いが Kernighan&Pikeの"Unix Programming Environment" かな。 これは大して分厚く無いくせに、一冊でUnixの基礎からシェルプログラミング、 システムプログラミングのさわりやら構文解析やらまでカバーして、 おまけにUnixの基本思想がわかるというお得な内容だと思う。 最近のunixに慣れた目には古くさく映るかもしれないが(emacsもperlも無し。ネットワーク関係も 弱い)、基礎を学ぶにはこのくらいシンプルな方が良いのではないか。 (同じくらいの範囲をカバーして、最近の技術にも触れた本って出ていないのでしょうか。 ご存知の方いましたら教えて頂ければ幸いです)。

これに、リファレンスとしてKernighan&Ritchieの "The C Progamming Language" を揃えて、Unix boxを一つ見付けて一ヵ月も遊んでいればだいたいの仕組みはわかる。 もうsedとawkで住所録を作り、Cで電卓プログラムを作るくらいは出来るようになってるはずだ。 yaccとlexで簡単なインタプリタやトランスレータも作れるはず。 オープンソースのコードを拾って来て読んで参考にしよう。emacsは同時進行で覚えておく。

次にPerlとHTML (今なら、sed, awkをすっ飛ばしてperlに行ってしまっても良いのかも しれない)。テキスト形式のデータから様々なWebpageを自動作成できるようになるだろう。 こまごまとしたコマンドラインツールをPerlで作ってみよう。正規表現で寝言が言えるように なろう。動的データ構造を使ったアルゴリズムをいろいろ試してみよう。 CPANからコードを落して、ソースを読んでみよう。一ヵ月。

それからネットワークだ。スクリプティング言語で手軽にネットワークアプリが 作れる時代だが、一応低レベルのソケットインタフェースはCでやっとかないと却って分かりづらい。 いきなり高レベルのから始めてしまうと、トラブルの際にどうしたら良いのか わからなくなる。簡単なクライアントとサーバを作る。 サーバ側ではdaemonにするためのテクニックやinetdの仕組みなんかも学べる。一ヵ月。

ここでCGIとHTTP。もうプロセスの概念はわかっているだろうから、パーミッション関係のトラブル なんかは見当が着くだろう。RFCの読み方もわかっているだろうから、何で最初にContent-Type:が 来て、何で空行が必要かもわかるだろう。要するに、これまでの知識の上にちょいと 積み重ねるだけである。Webの世界は他にもいろいろ目新しいテクニックが溢れているが、 基礎が分かってればすぐに追い付けるので、あまりそっちを追っかけない方が良い。 最近はオープンソースのデータベースサーバなんかがあるので、CGI内からSQLサーバに ソケットで繋いでデータをやりとりしてみても面白い。 HTTPを学んで検索ロボットを作ってみても良い。一ヵ月。

そろそろ見た目カッコ良いGUIが作りたくなってきたか。ネットワークとは逆に、GUIは 高レベルのスクリプティング言語で始めることを薦める。イベントドリブンの概念は 高レベルの言語でも変わらないし、低レベルでは余分な約束事が多すぎて学習効率が悪い。 せっかくPerlをやったんだからPerl/Tkを始めてみても良し。 色んな言語を知りたければPython/Tkを始めてみるとか、カッコつけたければ Scheme+TkであるSTkをやってみても良い。見た目を追求したければGtkだ。 Unixの世界でもインターフェースビルダがいくつか出て来ているが、最初は全部コードで 書いた方が良いだろう。インタフェースビルダを使うと、ジオメトリの管理なんかがわかりづらい。 既にUnix的思考法に慣れているはずなので、簡単なインタフェース記述からソースコードを 自動生成してみるなんてことももう自然に出来るはずだ。オブジェクト指向の考え方も 身につけよう。一ヵ月。

これまでで、ひととおりのことはわかるようになったと思う。ここまで来たら、 今までちょっとづつかじって来たものの背後にある一般的な理屈に目を向けても良いかもしれない。 言語処理系の原理だとか、OSの基礎概念、様々なネットワークプロトコル。 具体例を知っているから、分かりやすいはずだ。そして、一度一般化出来れば、 新しいシステムを学ぶのはうんと楽なはずだ。例えば、新しい言語を学ぶ必要が出て来たら、 ちゃんとした本 (普通はその言語の開発者が書いたものが良い) を一冊買って来て 斜め読みしながらいくつかプログラムを書いてみれば、すぐにそこそこ使えるようになるだろう。 オープンソースのプロジェクトに参加して、良質のコードをたくさん読み、大きなシステムの 設計法を覚えよう。共同作業を円滑にするためのコーディング慣習やドキュメントの書き方も 学べるだろう。一ヵ月。

以上半年で初級プログラマの出来上がり。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2, 3, 4, 34。Chopin 10-1, 25-2。

長く難しいソナタやエチュードに対するEsquissesのような小品集の楽しみっていうのは、 長編小説に対する短篇、あるいはショートショートの楽しみに似ている。(18小節しか無いEsquisses No.3 "Les Cloches" なんかはむしろ「詩」だが)。 構えずに気楽に始められて、短いから何度も繰り返せて、隅々まで味わいつくせる。 短い中にもドラマがある。ディテールまで目が届くので、一音一音が全体の構成にどう関わっている かがわかりやすい。特定の箇所の奏法を変えてみて、 全体の雰囲気の変化を楽しんでみることもやりやすい。

大曲は、小品にある数々のテクニックを積み重ねて行くことによって作られる。 その意味では小品は大曲の部分だ。しかし同時に、小品は大曲のディテールを簡約化したものと 見ることもできる。一音一音が、数十小節のパッセージを代表しているのかもしれない。 その意味では、小品は大曲の上にある。

どちらも深めるのは難しく、楽しい。ただ忙しい時にはやっぱり小品だな。

8/7(Sat) 組版の難しさ

本屋をうろうろしていて、ふとMinskyの "The Society of Mind" (ペーパーバック版)を 手に取ってぱらぱらと読んでみて、驚いた。そのわかりやすさにである。 というのは、私はずいぶん前にこの本の邦訳「心の社会」を買って読みかけていたのだけれど、 なんだか読みづらくて本棚の片隅に押しやっていたからだ。

この印象の違いは何だろう。翻訳そのものが悪いわけではない。原作の平易な言葉使いに対して 邦訳の方が堅い感じはするけど、内容はきちんと訳されている。ただ、原著では、 ひとつのトピックを一つのページに収めるというスタイルが取られている。 この本は細かいエッセイ、アイディア記述の集合体で、Minskyみずから前書きで 言っているように、「個々のアイディアは様々に関連しあっていて、始めから 終りまできれいにまっすぐ進むような説明ができない」。それでも原作では 必ず各ページの頭にトピック名が来ているために、ぱらぱら見た時の見通しが良いのだ。 対して翻訳にはそうした配慮が無い。ちょっと前のトピックに戻ったり、先の話題を 除いてみようと思うと、シーケンシャルに文章をスキャンしていかなければならない。

また、横書きの本の場合、ページの頭に来るタイトルはそれが右ページにあっても左ページに あっても同じくらい見やすい (原本でページタイトルはセンタリングされている)。 縦書きにしてしまうと、1ページ1トピックを守った場合、左ページのタイトルが本の内側に 来てしまい、ぱらぱらと見る際に見にくくなる。まあ邦訳本は小さいのと訳注が多いのとで、 2ページ1トピックの方が適切かもしれない。ともかく、翻訳本の出版社はこの 差異に全く気付かなかったのだろうか。それとも何かの事情があったのか。

テキスト情報ならば組版の違いが読者に及ぼす影響ってたいして無いんじゃないかと 思っていたのだが、そうとも言えないようだ。

しかしそうだとすると、Web上のテキストなんかは扱いが難しいな。 組版は基本的に読み手任せだから。 私はマイナー環境でWebにアクセスすることが多いので、タグやスタイルシートを 駆使していろいろ凝ったレイアウトをされているような方のサイトは全然作者の意図通りには 見えていないはず。


あちで評判のPC汚染度。 私は148.8%だった。ま、PCの無い無人島に流れ着いたら、木と石で計算機械を作ってる だろうと思う。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 21, 34。

8/6(Fri) The Iron Giant

28号ではなく、Warnerのロボットアニメ "The Iron Giant"。ある日空から巨大ロボットが 降って来る。少年がそれを見付ける。芽生える友情。ストーリーに目新しいものは無いが、 作りはすごく丁寧で、何より観てて楽しい。ディスニーとの差別化もできてるし。 米国産ロボットアニメって観たの初めてだな。描かれる世界は牧歌的なんだけど、 ロボットが攻撃モードに入った時のメカデザインのこだわりは、 あれは日本のアニメを研究したのか、それとも既にアメリカでこういうのが一般的になっているのか。 ちょっと背景知識が無いのでわからん。3Dと2Dの融合は非常にうまい。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 34。

8/5(Thu) Dick

昨日観たのだが感想を書くのを忘れてた。コメディ映画"Dick"。先日の "Drop Dead Gorgeous" に出てたKirsten Dunstがまた出てる。現在 売りだし中なのかな。

内容は、25年の時を経て今明かされるウォーターゲート事件の真実。 KirstenとMichelle Williamsがきゃぴきゃぴしてるのを楽しめれば、笑える。 ネタは面白いんだけどテンポがなあ。70年代前半の雰囲気を知る人には別の楽しみ方が できるかもしれないけど、私は当時は小学校前で記憶がほとんど無い。


以前書いたPerlライブラリの一部を高速化するためCで書き直していた。 ソースがある、というのは実に有難い。わからないことがあってもソースを読めば事足りる。 Perlのソースはあんまり読みやすいコードでは無いが、コンパイラやインタプリタの 実装というのはだいたい共通のテクニックが使われているのであたりはつけやすい。 もちろんドキュメントも重要だけど。ドキュメントで理念と概要を説明し、 詳細な仕様はコードを見る、ってのがいい形かな。


jcode.plは再頒布自由なので、 ここに置いときます。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/4(Wed) 転ばぬ先の杖

サーバは帰ろうと思ったときに調子が悪くなる。今日のはちょっと深刻で、 マスターデータが壊れた。バックアップデータを戻し、トランザクションのログから クラッシュ直前のデータを回復。一日数万〜数十万のトランザクションの全てのログを 残しておいたのがここにきて役に立った。ディスク容量は食うけど、データを失うより ずっと良い。

データとは壊れるものである、というのは、少し前までコンピュータを使う人には 暗黙の了解事項だったのだが、最近は記憶デバイスの信頼性が上がって来たせいか あんまり神経質で無くなって来ているように思える。(何でもかんでも電子化されるように なって、バックアップが必要な重要なデータの割合が相対的に減少したとも考えられるが)。 私が初めて使い込んだコンピュータの ストレージは5.25インチのフロッピーだったのだが、ハードはジャンク品で、ソフトは 自分で書いたBIOSだったので、基本的に信頼していなかった。例えば、バックアップは必ず 2つ以上取る、というのはその頃身を持って知った原則である (一つのメディアだけを使い回してると、 バックアップ中にクラッシュした場合回復できなくなる)。

バイナリデータへの不信観というのもその頃に形成されてしまった。バイナリ形式の データは、それに対応したソフトウェアでないと読むことが出来ない。ディスクのディレクトリ 領域が壊れて、セクタ毎のダンプデータを読んでデータを拾いあげるなんて作業は 私の世代以上のコンピュータエンジニアなら経験があると思うのだが、これ、ASCIIテキスト 形式でないとまず対応のしようが無い。もっとも、現在のようにディスク容量が大きくなってくると ダンプデータを人間が読むという作業自体が非現実的になって来るのだが。 それでも、テキスト形式のデータは大抵の状況下で読むことができるというだけで安心感がある。

ハイレベルとされている技術程、多くの約束事に支えられている。ハードディスクの データを読み出すには、ディスクの規格および記録されたデータの解釈方法の規格がわかって いなければならない。何らかの理由でそれらの片方が失われてしまう可能性は十分にある。 今から数百年後に向けてメッセージを残すとしたら、確実な方法は金属板に画を刻むといった 物理的な方法だろうな。


日記猿人 自動手動更新スクリプトをサブ猿人に対応させるのは、サブ猿人のフォームを 見てないんではっきりとは言えないが、$NE_HOSTと$NE_UPDATE_URLを変えるだけで うまくいかないかな。

あ、今見たら、HTTP/1.1のリプライを受け取ってエラー判定するところがおかしいことに気付いた。 wafu.netgate.netはHTTP/1.0を返してくるので、その部分はいつもタイムアウトしてたから 気付かなかった。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/3(Tue) 近すぎる故に見えないこと

最近島の西岸にサメが出てるらしい。昨日だったか、漁師が17feet (5m超) のサメを 目撃したってんでニュースになってた。西岸ってのはイルカを探しに行ったあたりも含まれる。 しかし、注意せよって言われたって何を注意して良いんだか。 そんなサメと出会っちゃった日には運を天に任せるしか無いような。


日本にいる友人がばあちゃんの見舞いに行ってくれて、うちの両親と意気統合したらしい。 なんだか親は家族のエピソードをいろいろ話したらしいが、 どうも息子の私が知らない話がたくさんあって驚いた。子供の頃のエピソードなんて 記憶の彼方に埋もれているからかもしれない。しかし友人の眼を通すことで、 これまで全然気付かなかったことに気付かされたりもした。

たぶん、家族ってのは近すぎる故に、見えないこと、話せないこと、敢えて話さないこと、 なんかがいろいろあるんだろう。どれだけ生活を共にしても、人の心の内部は他の人には 全くの異世界である。こっちから向こうを見る景色と、向こうからこっちを見る景色は、 ひょっとすると全然違ってて、でも直接対話しただけじゃ具体的にその違いが分からない こともある。あくまで、こっちから向こうを見る視点のもとにその違いを分析しようとするから。 第三者の眼を通すと、余分なフィルターがかからなくて違いを客観視出来るように思える。

もっとも、双方からかなりディープな話を聞き出せる第三者というのはなかなか見つからない。 かの友人は年齢に関係なく誰とでも打ち解けられるという特技を持っているので為せたことなのだろう。 感謝。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2。忘れない程度に。

8/2(Mon)

ああもう。夕食後、ちょっとオフィスにもどったらサーバがトラブってて 夜中過ぎまで対応に追われる。トラブらないプログラムを書けば良いんだけどさ。

グラフィックコンピュータでは業界随一だけどビジネス的に最近苦戦してた Silicon Graphics Inc.だが、独自UnixであるIRIXからLinuxに移行し、 また独自ハードウェアからマスプロダクトのハードウェアにシフトすることで 苦境脱出に賭けているようだ。 (→ SGI cutting back key projects , SGI selects Linux over IRIX for IA-64 )

消費者としちゃ汎用ハードによる低価格化が嬉しいし、Linux支持者としても SGIの技術が流入するのは嬉しいし、ビジネス的にも妥当だと思うけど、 何もかもがマスプロダクトにより均質化しちゃうのはちょっと寂しい。 ハード屋の誇りにかけても、業界の度肝を抜くようなグラフィクスチップを作って 欲しかったが…でもSGI、チップに関してはいまいちだからなあ。


蝸牛的ピアノ日誌:お休み。

8/1(Sun) 海豚体験ならず

6時起きでイルカが出る浜辺へ。出るって書くと怪物みたいだな。 8時集合の筈なのに誰も居ない。何故だ…。せっかく来たのだからと独りで潜る。 潜るって言ってもシュノーケルね。いるかさんいるかさん。出てらっしゃい。 朝9時過ぎともなれば日射しは既に強烈で、海底まできらきらと光が差し込み、 魚はたくさん見えるけどいるかさんは居ない。 のんきに泳いでるフムフムヌクヌクアプアアを追っかける。

諦めて帰ろうとしたところで皆がやってくる。10時に変更になったんだって、 そんなメイル読んでないぞ。イルカはけっこう沖まで出ないと居ないらしいんで、 近場のリーフでぷかぷかする。ウェットスーツを着込んで遠くまで泳いで行った友人は イルカに会えたらしい。

午後は今立ち上げ中のプロジェクトのコード書きが残ってたので、 バーベキューを始めた友人等にさよならして早めに帰って来る。いや、しっかり食べたけど。


蝸牛的ピアノ日誌:Alkan Esquisses 2, 3, 4。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net