1999年5月

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5/31(Mon) 24時間で何をするか

本日は休日、つまり土曜から3連休だったのだが、プロダクションは締切直前。 私の立場からは、サーバーがちゃんと動いているかどうか気が気でない。 こういう形のプレッシャーというのはどうも苦手。 結果的には、金曜日の応急処置が効を奏して今まで何も無かったのだけど、 何をしていてもそっちが気になって集中出来ないという状態が続いた。 同じ24時間仕事でも、「作ったものを動かし続ける」ということより 「がむしゃらに作ってとにかく動かす」ことの方が良いなあ。 待ちに入るのは好きじゃない。 もっとも、今月の締切波状攻撃を乗り切ればソフトウェアの堅牢性が 現場でテストされたってことになるし、実践的なデータも取れるので、 悪いことばかりではない。


余暇、という考え方は好きではない。一生かけて何かを作りたいと思うとき、 余る時間など無いと思うからだ。画家は絵を描いてなくても24時間画家だし、 役者は舞台に立っていなくても24時間役者だし、 ハミルトンさんは10年間寝ても覚めても四元数の問題を考え続けた (他の問題も考えてたろうけど)。 わしはビーチで昼寝をしていたってエンジニアなのだ、 と言えるように人生を送りたい。

走り続けている必要は無い。時には立ち止まっても良いし、寄り道しても良い。 自分が何者であるかという心の声を常に聞いていさえすれば。

5/30(Sun)

自宅のPCのSCSIの調子が悪い… 相性の問題だろうか。 内部SCSI(Adaptec AHA2940U)につないだJaz drive (2GB) で、 メディアの後ろの方にアクセスにゆくとエラーが出る。BIOSのユーティリティでもエラーが 出るのでソフトウェアの問題では無さそうなのだが。

5/29(Sat) RedHat6.0

自宅のPCのLinuxをアップグレード。ネットから落す気力は無いのでRedHat6.0の CDを買って来る。素直に入れたら、これまで使っていたAfterStepの設定がぐちゃぐちゃ になってしまった。標準になったというGNOMEに切替えてみるが、設定をいろいろ いじってるとcore dumpしてしまう。 ソースを覗いて解決しようかとも思ったが、GNOMEが依存している数多くのライブラリを いちいち見て行くのもうんざり。 MLのアーカイブで調べたら次のバージョンでは解決されているらしいので、 リリースを待つことにする。設定パネルとかはわかりやすくなってるけど、 やっぱりこれではまだ普通の人に薦めるのは難しいな。

オープンソースの強みは、何か問題があったら中身を見て自分で解決できることだ。 しかし、ソースコードを読んでトラブルを見付け出せるだけ知識と経験があって、 かつそれに時間を割ける人ってのはやっぱり限られる。作る人と使う人は 分離せざるを得ない、というのは技術の大衆化の過程で避けがたいことだけれど、 今後はその中間の立場を生業とする人、つまり、がりがりとソースを書くわけでは 無いけれどある程度中身は知っていて、開発のトレンドも押えていて、 トラブルシューティングとシステムインテグレーションが出来る人、 ってのがパーソナルユースのレベルでも必要とされてくるんだろうか。

話しはちょっとシフトするけれど、 MicroSoftのWindows戦略でうまいなと思うのは、上記の中間の立場の人、すなわち 「Windowsを使いこなせる人、トラブルシューティングが出来る人」 というのを組織的に生産しているところ。なんたら検定とか作って。 PCが現状のような複雑怪奇なシロモノである限り、開発者とユーザとの中間の人間ってのは 必要とされるから、そこで開発元(MS)お墨付きの資格を出してやれば 受ける人も大勢居るだろう。ユーザはサポートをしてくれる人が増えてハッピー、 サービス技術者は資格があれば仕事が来てハッピー、MicroSoftはますますモノが売れて ハッピー、と皆得するみたいなんだが、どうもこの構図には違和感がある。

MSの検定、というのの中身を知らないで書いているので誤解があったら申し訳ないが、 おそらくそれはMS製品に特化した内容なんだろうと思う。MSの製品の仕様そのものが、 コンピュータサイエンスの流れの中でどのように位置付けられ、どういったメリットと デメリットを持っているかってのはおそらく問われない。上記の三者ハッピーの 構図を成り立たせるには必要無いから。でも、よその誰かが勝手に決めた仕様を バイブルとして学ばなくちゃならないってのは私にとってはとても気持が悪いことだ。 この仕様は絶対おかしいよって思っても、そういうことは資格取得には関係無いのだろうから。 しかしそれは本当にコンピュータが人間のよき道具へと進化してゆくのに役立つのかな。 開発者側にいるからそう思うだけなのかな。

あ、たまたまMicroSoftを例に上げたけど、業界主催のこの手の資格ってのは 同じような構図にはまる危険性はあると思う。

5/28(Fri) Xiu Xiu

サーバは締め切りの直前にダウンする、というのはMurphy's Lawみたいだけど、 締め切りの直前には普段かからないような負荷がかかるってことが原因なんだろう。 ちょっと大きめの締め切りを週開けに控えて、昨夜から私の書いたサーバソフトが不調。 深夜だろうが早朝だろうがトラブル発生の知らせが届くと、1分半で家を出て トラブルシューティングにかけつける。 ログを見るとなるほど今まで経験したピークの5倍以上のリクエストが殺到していて、 よく動いてるなと我ながら感心。している場合ではなく、今週末は24時間体制で監視じゃ。 実は高負荷時に問題が生じる原因もいくつか既に見付けてフィックスしてあるのだが、 今の状況でスイッチするのはちとリスクが大きいのでためらっている。


それでも映画は観に行く。今日はちょっと趣向を変えて中国映画 "Xiu Xiu---the sent down girl" (原題「天浴」) →公式サイト。 "Last Emperor" なんかに出演してたJoan Chen の初監督作品。 文化大革命の時期、750万人に及ぶ都市に住む少年少女が、 家を離れ辺境の地で労働に従事した、そんな時代を生きた一人の少女と、 それを看取った孤独な男の話。

チベットに近い高原の、見渡す限りの草原の地で繰り広げられる、絶望的に悲しい話。 あまりに深い悲しみを前にすると、カタルシスどころではなくて、ただ途方に暮れるしかない。 心臓に重い突きを食らって、鈍い痛みが残る感じ。

5/27(Thu) 四元数引っ張る

昨日の日記は 約一名の 方に反応して頂いたが、数式を避けたせいでどうも曖昧な記述になってしまったようだ。 そのスジの方以外には申し訳ないが、ちょっとだけ数式を使わせてもらうとしよう。 あんまり突っ込んでも何なので 結論だけ書くと、単位ベクトル(x, y, z)を軸として角度θだけ回す三次元回転は Quarternion

q = cos(θ/2) + i x sin(θ/2) + j y sin(θ/2) + k z sin(θ/2)

に対応する。任意のベクトル(a, b, c)を空間内で回転するには

q-1 ( i a + j b + k c ) q

を計算すればよい。 同じ回転運動は、反対方向のベクトル(-x, -y, -z)を軸として 角度-θだけ回しても得られるが、それも同一のQuarternionに対応する。 謎の係数1/2は上の式を行列計算と対応させると得られたと思ったが、 直観的には、πだけ回転したときにsinの項が0になって軸の情報が消えたら困るから。

あ、今別の本を調べていたら、"Quaternion" が正しい綴りらしい。CGの世界では "Quarternion" という綴りを良く見るのだが、本来は誤りだったのが広まったそうな。

Quaternionを考案したハミルトンは複素数を3次元に拡張するという問題を 10年以上も考え続けたそうな。毎朝朝食の席で、彼の小さな息子と「ねえパパ、 3つの数の組(triplet)のかけ算はできた?」「いや。まだ足し算と引き算しか出来ないんだ」 と会話していたこともあったという。それもなんだか凄い家庭である。 きっと、目玉焼きを見れば同心円の幾何学を考え、スパゲティを見れば位相幾何学の 問題を考え、コーンとグリーンピースと人参のミックスベジタブルを見れば 順列組合せの確率論を考えていたに違いない。「あなた、ケーキを焼いたの。 また切って下さる」「うむ、今日のお客さんは何人だ」「全部で7等分にすれば良いわ」 「7だと? 7はだめだ。定規とコンパスだけでは分割できないじゃないかっ」とか やっていたのだろうか。

複素数があって四元数があるのだから他にもっと無いのかというと、八元数 (octonion)、別名Cayley numbersというのがあるそうだ。 何に使うのかは知らない。


で、そもそもの話の発端に戻ると、 虚数だのベクトルだのってのは確かにこのスジの人にならない限りは使いそうに無い。 最近では複素数も行列も高校の選択科目らしいが、実用的な観点から言えば それで良いのかもしれない。でも何かすっきりしないのだよな。

5/26(Wed) 四元数の話

16時間仕事して7時間寝るという生活をしていると、もはや話題にすることが ネットがらみくらいしか無くなって来るというのはちょっとまずいかも知れない。 そんな生活でいつネットサーフするのかって? コンパイルの合間である。 そして日記を書くのはテストプログラムを走らせている時である。

虚数って通常の生活ではやっぱり使わないかな ( ちはるの多次元尺度構成法, 5/25)。 あれを習ったのは中学校だったか高校だったか忘れたけれど、 私にとって複素数という概念は「知識」でも「道具」でも無く、新しい物の見方、もう一つの目だった。 今まで見えていた実数という世界の外側に、別の世界が広がっていたんだという驚き。 こんなふうに感じてしまったってことは、 そっちの世界向きの人間だったってことなんだろうなあ。

で、それを受けたyaleのわたなべさんのところで、 複素数を4次元に拡張した四元数(Quarternion)の話が出ていた (凹型効用日記, 5/26)。このQuarternion、実は身近な応用例がある。 ゲームに映画にと普通の生活でも目にすることが多くなってきた、 コンピュータグラフィクスで作られたキャラクターのアニメーション、 こいつの作成によく使われるのである。

キャラクターのアニメーションは、まず「骨格」と「皮膚」をモデルとして 作っておいて、「骨格」の方を動かしてやり、その動きにあわせて「皮膚」の動きを 計算してやる、という方法が主流である。で、骨格の動きは 各関節の回転運動をパラメータとして表される。 この回転をどのように表現するかが問題で、肩の関節を考えてもらえば わかるように、自由度が高い。

一番ナイーブな方法は、適当にxyzの座標系を設定して、 x軸回りに何度、y軸回りに何度、z軸回りに何度というふうに表してやるものだが (Euler angles)、この方法は (1)どの軸から先に適用するかで結果が違ってしまう、 (2)同じ回転運動を表すのに複数の方法が存在する、(3)特定の条件下で回転の自由度が 減るという現象が起こる、など色々扱いにくい。特に、 あるポーズから別のポーズに滑らかに繋げる時などに必要とされる、 二つの回転の間を補間する時に問題が出てしまう。 概念的には、本来ひとつのものであるはずの回転運動を3つのパラメータに 不自然に分けてしまっているからだとでも言えるだろうか。

では、回転の軸をベクトルで表現し、その軸に沿った回転を角度で表したらどうだろう (Angular displacement)。これはパラメータとして、ベクトルの方向(x,y,z)及び 角度θで表せる。ベクトルは方向だけが問題なので正規化することにすれば 独立なパラメータは3つだが、Euler Angleと違って恣意的に導入した座標系でもって 角度を分解するということを行わない分、自然である。

さて、スカラー値と3次元ベクトル、という組合せは、なんとなくQuerternionの 実数値と3つの虚数部、という組合せに似ているではないか。 実は、上記のAnguler displacementにちょいと変換をかけてやると、 回転をひとつのQuarternion a+bi+cj+dkとして表すことができるのだ。 さらに、Angular displacementでは、ひとつの回転運動に対し 軸の向きと角度を反対にしたふたつのパラメータが対応するが、都合の良いことに Quarternionに変換するとひとつの値となる。 Quarternionで表された回転はEuler Angleのような特異点を持たず、 自由に補間することが出来て、結果は滑らかなものになる。 補間の計算自体もそれほど大変ではない。 このため、多くのアニメーションエンジンでは動きの補間をQuarternionで やるようになってきたのである。

……図も数式も使わないで説明するのって大変だなあ。


追記:もちっと直観的(?)な説明として、こんなのはどうか。 絶対値が1の複素数を、複素平面上で 2次元の「回転」を表すものだと考える。すると、複素数二つの乗算は、二つの 回転を順次行うという操作に相当する。一方、Quarternionは3次元の回転に対応し、 二つのQuarternionの乗算は3次元の回転の重ね合わせに相当する。 ……やっぱりわかりづらいか。

5/25(Tue)

当地の時刻は日本標準時より19時間遅れているのだが、さらに私が日記を書くのは 帰宅してからで、その帰宅時間が深夜をはるかに過ぎた午前4時だの6時だのってことに なるとこの日記の日付は日本から見た場合2日の差が出ることがある。 距離を超越する情報ネットワークにて、唯一距離を実感する要素が、時差の存在だ。

昨日の日記にちょっと補足。 このWeb日記も、だから相手に届くことを当てにしてはいないのだが、 それでも「届くかもしれない」という希望を持つことが書き続ける原動力になっている。 そもそも、希望こそがあらゆる創造活動のよすがなのではなかろうか。

5/24(Mon) ネットでのコミュニケーション

今日はネットで流行りの話題に首を突っ込んでみることにする。 きっかけははせぴぃ先生 のところ。

ネットでの発言は、mail、BBS、webpageと形は色々あれど、虚空へ投げ出す礫の ようなものだ。あるいは崖から飛ばす紙飛行機、もしくは手を離した風船。 何年も一緒に暮らした人間同士が顔突き合わせて話したって、 本当に言いたいことを相手に伝えるのは果てしなく難しいのだ。 会ったことも無い人に向けて、ほんの数キロバイトのテキストを投げかけたとして、 こちらの思うとおりに受け取ってもらえることなど奇跡に近い。 自分とは全く違う基準で人生を生きている人はたくさんいるのだから。 ましてや、そんな一片のテキストで相手の行動を変えてもらおうなんてのは ずいぶん虫の良い話である。

外国語オンリーのサイトをやっている外国人に日本語でメイルを送り付けて 読んでもらえないからとごねるのは変だろう。 だが、同じ日本語を使っていたとしても、バックグラウンドが違えば外国語より 理解困難なことなんてざらにある。それなのに、質問メイルを投げて答えが無かったり、 反論を掲げて反応が無かったりした時、不満に思ってしまうのは甘えというものだろう。 (甘えて悪いというわけではないけれど、自覚が無い甘えは始末が悪い)。 自分の言葉が相手に届いて欲しいと思うなら、届かせる努力は自分でするものだ。 論理的に筋が通っていれば良いとか、礼を尽くしていれば良いとか、そういう 問題では無い。何であれ形にしたものが全てであり、それに対してどう反応すべきか という判断は100%相手に委ねられている。それでもなお自分の声を届かせたいと 言うのなら、それ相応の覚悟が必要だ。 だがそうして形にしたものを相手が受け取ってくれたとしたら、そんなに嬉しいことはない。

日常のコミュニケーションが、いかに仲間うちでの「場のコンテキスト」(いわゆる『ノリ』) に関する約束事に依存しているかというのは、日常の場を取り除いてコミュニケートしようと してみればよくわかる。例えば、数人で出来るエチュードとしてこんなのがある。 2人の参加者が、数メートル離れ、向かい合って椅子に腰かける。 他の参加者は回りで腰を下ろして見守る。エチューダーはテーマを決める。 最近一番感動したこと、一番面白かったこと、一番悲しかったこと等。 椅子に腰かけた一方の参加者は、そのテーマについてもう一方の相手に向かって話す。 相手は黙ってそれを聞き、本当に言いたいことが伝わったと心から感じたら エチューダーに合図して終了。

こんなふうに「日常」を切り出してみると、「ノリ」を作るための 小手先の工夫は全て白々しく見えてしまう。必要なのは、「伝えたい」という コミットメントと、それに身心全てを賭けること。でも気負い過ぎてもいけない。 素直な時が一番うまくゆく。

これの上級コースは、同じことを自分の知らない国の言葉、あるいは デタラメ言葉を使ってやるというもの。おもしろいぞ。

ミヒャエル・エンデの小説「鏡の中の鏡」に、底無しの谷を隔てた二つの国の話が出てくる。 谷の間には双方から橋が建設されつつあるが、その橋は決して完成することは無く、 あるところでぷつりと終っている。 その橋以外に対岸の国に至る術は無く、遥か彼方の対岸を見通すことも出来ない。 にもかかわらず、両国の間の人間の行き来や交易は盛んだという。 コミュニケーションとは、そういうものだ。

5/23(Sun)

最近週末は昼過ぎまで寝るパターンが続いており、 どうも人生損している気分になってきた。 生活を変えるべく、今朝は8時に起き、9時からホッケー。 直射日光を遮るものの無い屋外リンクで、 全身プロテクタでかためてプレーしているとあっというまに汗がだらだら。 昼過ぎに帰る頃にはもうくたくたで、シャワーを浴びて軽く昼飯をとって ソファーに横になるともう起き上がれなくなってしまった。 そのまま夕暮れまでウトウト。結局起きてる時間は同じではないか。

昔の劇団の仲間で役者修行中のIから、 この秋にまた芝居をやるという知らせが来た。 会社を辞めてシナリオを書いているOが作・演出。 何とか時間を作って観に行かねばなるまい。

5/22(Sat)

ロスの頃からお世話になったKさんが東京本社に戻ることになって、 お別れパーティ。すぐに酔っ払って、帰ったらそのままベッドに沈没。

5/21(Fri) Affliction/新しい映画館

Star Warsの公開に合わせて、Dole Canaryに新しい映画館がオープンした。 18シアターあるシネマコンプレックスはハワイでは最大級。というわけで早速 見に行って来た。改めてStar Warsに並ぶ気力も時間も無いんで、 リバイバルの "Affliction" を観る。

子供の頃の父親の暴力がいかにして人間を破滅させるか。雪景色と曇り空に覆われた 小さな田舎街で展開される物語が、Nich Nolteの入魂の演技によって観客に迫って来る。 追い詰められて行く主人公の心理劇が丁寧に描かれていて、そこには文句は無い。 ただ、私の好みからすると、例え悲劇的な結末に向かう運命であったとしても、 日常の生活の中に一瞬晴れ間を見せてくれても良いんじゃないかって思ってしまうのだけれど。 どこかに希望を探してしまうのだ。

あ、新しい映画館はシートもゆったり、サウンドシステムも豪華で非常に良い。 スクリーン数も多いので、これからマイナーフィルムやリバイバルの公開のチャンス が増えるんじゃないかと期待している。

良い映画館に行くと、(芝居程では無いにせよ) やっぱり映画は身体体験なんだなと思う。 単に映像と音響を情報として消費する行為ではない。 どんなに家庭用のAV機器が発達したとしても、映画館で映画を観ることとは違うだろう。 映画の一つの要素が「非日常の体験」である以上、 劇場という非日常の場を作り出す装置が必要だからだ。


サーバソフトウェアのメンテナンスを深夜に行わなければならない関係で、 最近は夕食後にちょっとゆっくりして、11:30pmくらいに再び出社、3:00amくらい まで仕事するってパターンが続いている。深夜に行う、というのは、ユーザが多い時間帯 にデバッグやアップデートでサーバに負荷をかけたくないからなのだが、 締切が近くなるにつれ深夜でもユーザが減らなくなってきた。みんな仕事してるんだもの。 多分一番ユーザが少ない時間帯は5:00am〜7:00amくらいだろうけど、できれば その時間に起きるなんてのは避けたいなあ。

最新のプログラミングテクニックを使って、見栄えも良いプログラムってのは 華やかだし作り甲斐もある。でも世間を裏で支えてる技術てのはもっと地味で、 それでいてものすごくシビアな仕様を要求されるものだ。 24時間ノンストップ稼働のシステムをきちんと作れる人ってのはほんと、偉いと思う。

5/20(Thu)

"Star Wars Episode I" に関して、ストーリーが平板だとか キャラクタが薄っぺらだとかいう評が溢れているけれど、 観てるとこが違うんじゃないかなあ。あれはLucasの「箱庭」であり、 その緻密に作られた世界観と設定をもとに観客自身が想像して「遊ぶ」ことにこそ 主眼があるのじゃないか。子供の頃だれもがやった「ごっこ遊び」。 荒唐無稽なことに想像を膨らませていた、あの時の精神をそのままLucasは持ち続けて いるんだと思うのだ。映画の主役は、描かれた世界と歴史そのものなのである。

こういう緻密に作り込まれた作品は、熱狂的なファンを産む。 作品の提示する世界観が「物語制作キット」 (沢月さんの ところの議論、例えばこれ とかこれ を参照されたし) としての役割を果たすからだ。 "Star Wars" の楽しみは、受動的な体験ではなく、観客が皆あの世界の中で遊ぶことが できるという点にあるのだろう。そして、数あるSF映画の中で、 その設定を使った「○○ごっこ」がどれだけ楽しそうかどうかを考えてみたとき、 やはり "Star Wars" はその名声に値する作品だと思うのだ。

5/19(Wed) Star Wars: Episode I---The Phantom Menace

米国発の初日レポートとしてはこのサイトが最後かな。 ハワイ時間10:30pmからの上映を鑑賞。 映画館の周りをぐるりととりまく行列に並んだのは久しぶり。 まあ、こういうのは一種のお祭りだわな。Waikiki Theaterは最近改装して、 ふかふかの座席で足が延ばせるゆったりした作りになってうれしい。

さて肝心の映画はというと、Natalie Portmanがかわいい。 っていうのはおいとくとして、とにかく「かっこいい」映画である。 私としてはかなり満足。以降、ネタバレは無いけれど、 自分で観るまで一切の情報をシャットアウトしている方もおられると思うので、 前景色を背景色と同じにしておく。マウスでドラッグするなどして読まれるよう。

ドラマを期待する向きには不満だろうな、と思う。 だってドラマは無いもの。活劇はあるけど。ただ、Lucasがやりたかったのは そういうことではないんだろう。 とにかくシーン中に込められた情報量の多さに圧倒される。背景にちょろっと出て来る 人物やガジェットでさえ並々ならぬこだわりが見てとれるのだ。 Lucasは個々のドラマに焦点を当てるよりむしろ、 ひとつの仮想世界の中に、信じるに足る歴史を構築しようとしたのだろう。 膨大な裏設定のもとにその一断面を切り取って見せるという手法。 ストーリーに没入するのをわざと妨げるような編集の仕方も、事実をただ提示するという スタンスであるとすれば納得できる。

もちろんそういう種類の映画である以上、エピソード4, 5, 6 の知識は必須。 この作品はあくまで壮大な絵巻の一部にすぎないのだから。 それでも、CGを多用した画面は(「完璧」とは言えないものの)凄まじい作り込みで、 とにかく自分のビジョンにある画を実現しようという気迫が感じられるから、 それだけでも観る価値はあるかもしれない。

5/18(Tue) 久しぶりに論文書き

ずっと前にやった仕事の結果をTechnical Reportにまとめかけて、忙しくて 放ってあったのだが、さる事情から急拠完成させねばならなくなった。 データは全て残してあるものの、当時考えていたことはほとんど記憶の彼方… やっぱり論文は勢いに乗った時に書かなきゃだめだ。

書きかけの原稿はTeXだったのだが、もはやTeXのコマンドをほとんど忘れている。 どうせ投稿するわけじゃないんで、HTMLで書き直す。 大量に図が必要なことが判明して、GIMPとTgifでお絵書き。どうでも良いところに 凝って夢中になっていたらあっという間に時間が過ぎて、この分だと徹夜じゃ。

5/17(Mon) The Woman in the Room

94年アカデミー賞7部門ノミネートの "The Shawshank Redemption" を監督し、 今年公開される "The Green Mile" にも大きな期待がかかるFrank Darabont。 実は彼がStephen King作品を監督したのは "Shawshank" が初めてではない。 まだフィルムスクールの学生だった頃から制作を開始し、1983年に公開された ショートフィルム"The Woman in the Room" が彼が映像化したKing作品の 最初のものであり、同時に彼の初監督作品でもある。 最近、"Shawshank" の脚本と監督ノートを読んですっかり Darabont監督に興味を持ってしまった私は、 "Stephen King's Nightshift collection---vol.1" と題されたビデオに "The Woman〜" が収録されているのを発見し、迷わず借りて来て速攻で観たのだ。

ほんの30分程のフィルムである。10シーケンスもない。 完成度も非常に高いとは言えない。荒削りな「若さ」があちこちに見てとれる。 しかし。この観ていてドキドキする感覚は何なのだろう。若きFrankがやりたかったこと、 その時点で持てる力を全て注いだであろう映像が、 その不器用さも含めて観るものの心を掴む。 カメラのこちら側にいる監督の、 自分は本当に価値あるものを創り出しているのだろうかという奥深い不安と、 いやきっと自分のやっていることは正しいはずだという、ともすれば空回りしそうな自信が、 観客の心と重なるのだ。そして完璧では無いにせよ、Darabont監督は良い仕事をした。 私はそう思う。何しろ最後のシーケンスでぼろぼろ泣いてしまったのだから。

"The Woman in the room" と、(いくつかの監督作品を経た後の) 11年後の "The Shawshank Redemption"。その差は、まだ磨かれていない原石と、 削られ磨かれてその輝きを存分に発揮する宝石のように思える。 それはまた、"Shawshank" でのAndyの行為に重なる。 "Shawshank"の感動はただのどんでん返しのストーリーだけに有るのではなく、 テーマそのものが監督の追求するものと見事にマッチしている故のものなのだろう。

Frank Darabontは、"Shawshank" の出版された脚本の後書きでこんなことを 言っている。「全国を見渡せば、私なんかよりも才能のある脚本家や監督が、 靴屋やバーガーキングで働いているなんてことがあるかもしれないと、よくジョークで 言うんだ---実は半分本気だけどね。違いは何かというとね、私は[脚本家として 一本立ちするまでに] 9年間の努力を喜んで費したが、彼等はそうしなかったって だけなんだ。」

夢を語るだけならこんなたやすいことはない。その先にあるものを見たければ、 夢に見た場所まで歩いて行かねばならない。いつか死ぬのなら (人は皆、自分の "Green Mile" を歩いているのだ)、少しでも先へ進んでいたい。

5/16(Sun) 会議の方法論

この季節のホノルルには珍しく、一日中ぐずついた天気。たまにはこういう しっとりした天候も良い。 最近すっかり生活時間が遅い方にシフトしていて、朝ホッケーを見事に寝とばし、 その後もだらだらと怠惰な休日を過ごす。仕事もちょっとしたけど。

ちはるさんの日記を受けて、 健全な会議を行うための方法論をば。 今私がいるプロダクションも、新しい組織であったためか当初は長びく会議に ずいぶん煩わされた。しかし、限られた時間内で物事を進めなければならないという 要請に直面し、1年くらいの間にプロダクション内で方法論が確立してきたと思う。 自分なりの理解を要約すると、一番重要なのは会議の目的を明らかにすること、 二番目に重要なのはしっかり準備をすること、となる。

会議を招集する目的は、おおまかに分けて次の4つくらいになるだろうか。 (1)アイディア出し、(2)ラフな案のディスカッション、(3)提案の正式な承認、そして(4)説明会、である。 それぞれの場合で、必要な準備や進行は大きく異なって来るから、 参加者全員が会議の目的を把握していることは大前提である。

(1) アイディア出し
ブレインストーミングのようにとにかく発想をたくさん出すことが目的の会議。 準備としては、発想のネタになる材料を適当に揃えておく。 実際の会議の場では、発想に対する否定的な意見は極力控え、 むしろ実現可能性などを抜きにして自由に発想を広げることに重点を置く。
(2) ラフな案のディスカッション
出そろったアイディアを絞っていくつかの候補を選び、それらの実現可能性や 是非について議論する会議。準備をする人は、わかる範囲で案を具体的に まとめておかねばならない。実際の会議の場ではなるべく具体的に議論を 進めることが期待されるが、メタな議論が必要であればここで出しておく。
(3) 提案の正式な承認
その会議の結果が組織上の正式な決定と見なされるような場。 このような会議は準備が非常に重要である。参加者全てが、実際の会議までに 提出される案をきちんと理解していなければならない。責任者が会議の時間 までに参加者を回って説明を行っておく、くらいのことは必要である。 議論は具体的な問題に関してのみ行い、メタ議論を行ってはならない。
(4) 説明会
正式に決定された事項を伝達するための会議。説明資料を準備しておく。 参加者が理解を深めるための質疑応答のみを行う。

もちろん、あんまりがちがちにルールを決めてしまうと却って創造のプロセスを 阻害するので、上記のようなカテゴリが明文化されているわけではない。しかし概ね、 会議の招集時にその会議の性質が上記のいずれにあてはまるかが通知される。 いくつかのステップを兼ねる会議があっても良いが、経験上、上記(1)(2)のグループと (3)(4)のグループは決して同時に行ってはならない---泥沼にはまるからだ。

こういうことは学校では教えにくいのだろうか。 何だかんだ言っても学生の時分は時間があったのは確かで、 納得がゆくまでとことん話し合うことがそれほど難しくなかったからなあ。

5/15(Sat) 制作のダイナミズム/自動手動更新報告

Newmarket Pressというところが、映画のスクリプトをいくつか出版している。 "The Shawshank Redemption" と "The Truman Show" のを買ってみた。 Final Draft のスクリプトの他、監督や原作者のコメントが収録されていて 興味深い。特に、"The Shawshank Redemption" では監督Frank Darabontが シーン毎に詳細な解説をつけている。 スクリプトという素材が、プリプロダクション、シューティング、エディティング という段階を経てどのように血肉をつけ、生きた映像となって行くか具体的に わかっておもしろい。

制作過程にある作品は、それ自体が生き物のように成長する。 最初に手にする脚本は出発点に過ぎない。 最後に作品がどのようになるか、全てがわかってから始めることなど滅多に無い。 出発点での予想が良い意味で裏切られるような作品というのが、 制作の一つの醍醐味であろう。

このようなダイナミズムは、効率の良い制作組織というものとある意味相反する。 ゴールまでの道程がころころ変わるとしたら、 処理を定型化し無駄を省くなんてことは出来ないからだ。 制作組織や制作にかかる労力が大きくなればなるほど、この矛盾は大きくなってくる。 これは大きなプロダクションの抱える本質的な問題なのだろうか。 解決策があるとすれば、それは変更を許容できるメタな枠組作りということなのだろうが…


日記猿人への更新報告、 今までは手動更新報告がめんどくさくて (私のネスケからでは日本語が入力 できないし) 自動更新にしていたのだが、 最近こんなスクリプトを 書いてみた。これを使って日記のアップロードから更新報告までをコマンド一発で やるようにしている。

5/14(Fri) Black Mask

今日の映画は香港版怪傑ゾロ? Jet Li主演の "Black Mask"。 "The Matrix" のアクションも担当したWoo-ping YuenがAction Director。 さすがにキレの良いアクションシーンは見てて面白い。それだけなんだけど。 黒ずくめの男達 (もちろん悪いヤツラ) がインラインスケートを履いて襲撃してくるのがキュート。 ストーリーがしょーもないのはまあどうでも良いんだけど、 編集はもうちょっと何とかなったんじゃないかなあ。

5/13(Thu) 知識のネットワーク

同僚Cはアフリカ出身。「アフリカのどこの国?」「アイボリーコーストだよ」
ああ、と頷いてみせたけど、そんな国あったっけ。 「象牙海岸」って訳せば、そういえば歴史で出て来たような気もするけど、 あとでこっそり調べておこう、と思ってから一年以上忘れてたりして。

今日たまたま見掛けたネットの記事に、"Ivory Coast" のフランス語表記が出て来た。 "Cote d'Ivoire" (Coteのoはaccent circonflexeが付く)。 遥か昔、地理の教室で学んだカタカナ表記の異国の名前と、目の前の文字が 頭の中でバチンと音を立ててつながる。そうかあ、コートジボワールのことだったのかあ。

途端にそれまでただの名前だったものが、Cの祖国という新たな意味を持ち始める。 学校ではフランス語で学び、本人はフランス語が一番楽。しかし両親は別の言葉を話す。 実家と電話するときは、だから向こうとこっちで別の言葉で会話するんだよ。 以前Cから聞いたそんな話が、具体的なイメージとなって浮かんでくる。

中学高校の社会科の授業はひたすら退屈だった。旅をして、人と知り合って、 以前学んだ知識が有機的につながりを持ちはじめて、ようやくその面白さが わかりはじめた。ま、当時はそれなりに、パズル的な面白さが学習のモティベーションに なってた気がするけど。子供ができて、学齢期になって、「なんで勉強しなくちゃならないの」 って聞かれたらどう答えようか。「大人になればわかるよ」じゃ納得しないだろうなあ。

5/12(Wed)

今日はStar Wars Episode I の前売チケット発売日。噂によればLAでは一月前から 並んでるとか、 がりゅう さんのところでも5時間並んだとかいう話があったが、 こちらでは同僚が昼休みにWaikikiに買いに行って初日夜の分を確保してきた。 やっぱり田舎なのかな。 もっとも前売券には日時指定はあるけど席の指定は無いので、買えるかどうかだけが問題なのだ。 Waikiki Theatre 3 は収容人数が1600人だそうだから、今日の昼までに売り切れている なんてことはまず無いんで、みんな暢気に構えているのかも。 それより問題は上映当日である。その時の並び順はそのまま席の善し悪しに直結するからだ。 あまり長くは並びたくないが…
(---その後、夕食の帰りに聞いたラジオによれば初日分は完売だとか。)

5/11(Tue) Of mice and men

スタインベック原作「二十日鼠と人間」Gary Sinice版をビデオで観る。 以前キング掲示板 のほうで以前、原作と「グリーン・マイル」との関連を指摘されて以来気になっていたのだ。 最近だと "Con Air" とか "Rounders" でちょっとアブナイ人という印象が強い john Malkovich がLennie役で凄い演技。監督及びGeorge役のGary Siniseも じっくりみせてくれる演技。聞けばこの二人、舞台でもこの作品を演じていたとかで、 なるほどと納得。

心の底から大切に思っていたものを、自分の手で葬らなければならない悲しい運命。 シンプルなストーリーをしっかりと支えているのは、一カットたりとも無駄の無い 高い完成度だ。2時間とは言わぬ。5分のシーケンスを切り出して観るだけでも、 その場に居会わせるような臨場感がある。登場する人物達の、画面に現われない数十年の 人生さえもが伝わってくるような気がする。演技に加え、カメラと編集も良い。 一日の農作業を終え男達が帰って来る場面に挿入されるカット。引いたカメラで 刈り取りの作業をする男達からcross dissolveでぼんやりとしたオレンジ色が 見える。そこに右から馬の足と馬車の車輪が入って来て、オレンジ色は実は夕日に 照らされた砂煙だったことがわかる。すぐに引いたカメラによるカットに変わるのだが、 この3秒で一日の農作業を終えたあとのけだるさが見事に伝わって来る。

テーマに関する解釈、およびキング作品とのつながりに関しては、 もうちょっとじっくり考えたいのでコメントは保留。

5/9(Sun) 読書の速度を上げるには

本屋は魔法の空間だ。知らないこと、知りたいことがぎっしり棚に詰まっている。 気がつくと数冊手にとりレジにならんでしまっている。学生の頃は図書館に通い詰めて いたのだが、時間に余裕が無くなるにしたがい購入することが多くなった。 こちらに移って来る時にほとんどの本は売り払って来たのだが、新たに購入した分が 再びじわじわと本棚を占領しつつある。

問題は読書の速度だ。計っているわけではないが、英語の書籍を読むのは まだ日本語の書籍を読むのに比べると5倍から10倍くらいの時間がかかっているようだ。 特に、味わうために読む小説類ではなく、知識を得るために読む参考書の類は、 残りのページ数を数えてため息をつくことがよくある。日本語の場合と違って 2〜3行いっぺんに読むとか、斜めに読むとかが出来ないのが痛い。

英語の書籍を読んでいる自分を内省してみると、どうやら頭の中で いちいち英語を「読み上げている」ような感触がある。日本語の文庫本では、 普通に読んでいて一行に3回くらい視点を動かしているようなのだが、英語になると 単語毎に目を止めてしまうようだ。さらに語彙力の不足が足をひっぱる。特に、専門外の 分野の単語がわからない。

読むのが遅いからと購入を控えるように努力はしているのだが、昨日と本日で 気がついたら7冊程蔵書が増えていた。一方、昨日から読んだのは100ページにも 満たない。これでは未読がどんどん増えるばかりである。 多読以外に読書速度を上げる方法って無いんだろうか。

ところで、 同じく内省にもとづく主観的な観察だが、日本語だとWeb上のテキストは紙の上よりも 読みにくいと感じるのに対し、英語だとWeb上のテキストもあまり抵抗が無い。 Webは紙に比べて一度に目に入る情報が少ないが、もともと読むのが遅い英語では それが気にならないためであろうか。あ、あと横書きと縦書きの違いもあるかも知れない。 (このへんはちょっと興味を引かれる問題だ。後で友人達にも聞いてみよう)。


昨日書いた映画作品における「劇的」構造に関するメモ をちょっと修正。"The Truman Show" を追加。

5/8(Sat) 「劇的」構造

最近の土曜日の過ごし方。昼近くに起き出してシャワーを浴び、インラインで Ward Centerまで行きカフェにてブランチ。 本屋をぶらぶらしてからまたインラインを履いて、Ala Moana Parkをぐるぐる。 帰って来て風呂に入りながら本を読む。その後、締切が近ければオフィスへ出て仕事。 そうでなければビデオでも観る。 今日はJack Nicholsonの目の輝きが素晴らしい"One flew over the cuckoo's nest"。ラストが泣ける。

ビデオで観た映画に関してはいちいち映画のページには 記載していないのだが、最近何本か観たのはどれも「劇的」な作品であった。 (ここで、「劇的」とは木下順二の言葉を借りれば、 「願望を持てば持つ程願望から遠ざかる」「自分が一生懸命 努力して探し当てたものが、その自分を根本的に否定するという関係」 ということ。) ちょっと触発されて、 映画作品における「劇的」構造に関するメモ を書いてみた。各種映画のネタバレになっているので、別ファイルにしておく。


高校の演劇部の後輩が先週から昨日までハワイに来てたので (ゴールデンウィークか、 うらやましいぞ)、何度か食事したり、パーティーを開いたりした。 卒業して10年以上。前に会ったのは数年前だが、全然変わって無い。 それでいてしっかり自分の人生を歩いているようで何より。

あの頃、全てを忘れて打ち込んだ活動にはどんな意味があったのか、時々考える。 意味があったということには疑いはない。高校で演劇部に入ったことで人生が変わったのは確か。 そして、芝居を通じて学んだ多くのことは間接的に役にたっている。 しかし、例えば今から20年とか経ってから、「私も若い頃は芝居をやってたんだよ」 なんて若者に昔語るようにはなりたかない。 思い出にしてしまうにはあまりに重すぎるから。

5/7(Fri) The Mummy

ILMによるミイラ達が大活躍する映画 "The Mummy"。 製作者はアクションホラーのつもりで作ったのかもしれないが、 どっちかっていうとホラーコメディになってるような。 VFXはとても丁寧な仕事で、さすがILM。演技と脚本のC級臭さはいかんともしがたいが そのつもりで観ればそれなりに楽しめる、かもしれない。 昔のホッケー仲間のGがアニメーターでクレジットされていた。 何かを作って、それを世に出し続けてるってのは偉いよね。わしも気合いを入れねば。

5/6(Thu)

例えば、ある人が、ある画期的な技術なり製品なりを世に出したとする。
すると、その時点までに、同じことを既に考えて研究開発をすすめていた人は100人はいる。
そして、その2年前に、そのアイディアを思い付いた人は10000人はいる。
9999人と1人の違いは、それを形に出来たか出来なかったかということ。
1%のinspirationの上に、99%のperspirationを積み重ねたか否かということ。
自分の手でアイディアを実現しなかったことを悔しがっても意味は無い。

ブレヒトは、「この仕事はあなたにしか出来ない」というアンドレアに対し、
ガリレオをして「一人の男にしか為し得ない仕事などありはしない」と答えさせた。
自分がこの世から居なくなっても、誰かがかわりをつとめるだろう。
だが、「誰か」がその役割をとらねば、ビジョンは実現しない。
ひとたび舞台に上がったのなら、それは自分の役割だ。
inspirationは舞台に上がるきっかけ。perspirationはその舞台を最後まで つとめるということ。

5/5(Wed)

ランチに出かけたAloha Tower Market Placeで、先月末で会社を辞めたMと会う。 特に再就職先を決めてないというMは、ハワイアンバカンスを楽しんでいる様子。 今週末からは日本に観光に出かけるそうだ。

CG業界は人の出入りが激しい。プロジェクト毎の契約という形式も多いし、 しばらく根詰めて働いて、すぱっと会社を辞めて2ヵ月くらいぶらぶらして、 また別の会社に入る、なんてことをしている人が結構いる。 安定を求めたところで所詮数10年の人生。 ならば一箇所に縛られず、気の向くままに暮らすというのも有りだろう。

2ヵ月のバカンスが取れたら行ってみたい所。ヨーロッパ。サハラ砂漠。 オーストラリア横断。チベットとネパール。


1時頃自宅に帰り着くと、会社のアカウントから「サーバが落ちてる」というメイルが。 (重要なサーバプロセスを監視する番犬プロセスが走っており、異常があると 自宅にメイルが届くように設定してある)。既にプロダクションは24時間体制で、 朝までほっとくわけにはゆかないので、会社に取って返す。 やっぱりダイアルアップアカウントを作ってもらう方が良いか。 家からログインできるようになると仕事にきりが無くなりそうでちょっと恐いのだが。

5/4(Tue)

明日のチームミーティングでのプレゼン資料作り。研究発表的なものは久々だぁ。 直前までほったらかしといて前日に徹夜して仕上げるというのは 学生の頃に身に着いた悪癖で、なかなか抜けない。プロジェクタにより、 コンピュータの画面を直接使って発表できるようになると、直前まで修正が 効くためさらに予定を後にずらしてしまうのだった。

5/3(Mon) 何故だ

今日からチームに加わったドイツ出身のBさん。身長が6ft6inというから何と198cm。 私(178cm)からでも見上げるようなのっぽさんであるが、グレーの髪とやさしそうな目の せいか威圧感は感じない。

ランチはBさんの歓迎会ということでアロハタワーのレストランへ行くことになった。 たまたま隣同士で座ることになっていろいろ話していてふと気づく。 なんだか立ち話をしてたときより話しやすいぞ。腰かけているとBさんの目が 私の目と同じ高さにある。

何故だ。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net