1999年3月

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3/30(Tue) Webで確定申告

確定申告の締切が迫ってきて、面倒くさがりの私もそろそろ焦りが出て来ていた。 今からじゃ会計士にも頼めないので、噂のオンラインファイリング (E-file) を試してみることにした。 どうせ扶養家族も居ない、家も無い、財産も無いが借金も無い私のような 人間は税金の計算も簡単な筈だ。

E-fileはIRS(税務局)が直接やるのではなく、提携した業者がそういうサービスを 提供するようだ。IRSのウェブからいくつかの サービスプロバイダへ飛べる。 利用したのはSecureTax。 税金の計算は無料で、出来上がった書類をファイリング/ダウンロードする時に$14ほど チャージされる仕組みである。

基本的にはWebに表示される質問項目に答えてゆくだけで良い。 要は収入額と控除額を入れれば税金が計算されるのだが、なんだか細かい質問が 全部で20画面くらいあったかな。 何やらわらわらと書類が10数通準備されて、これで良いかと聞いて来たがよくわからない。 昨年の書類(会計士に頼んで作ってもらった)を引っ張り出して 突き合わせてどうにか理解したつもりになる。 計算結果を見ると、合州国税がかなり戻って来ることが判明。州税は追加で払わなければ ならないのだが、差引でも結構な臨時収入になりそうだ。うほうほうほ。

この時点ではまだ料金はチャージされていない。 必要な数字はテーブルにリストされているので、 $14をケチるなら書類を自分で用意して数字だけ書き移して郵便で送っても良い。 だがここまで来たらそのままプリントしたいではないか。クレジットカード情報を入力して、 IRSへ情報を送信すると共に、作成された書類 (pdfフォーマット) をダウンロードする。 オンライン申告と言っても、本人のサインが入った別の書類を郵送しなければ ならないからだ。うーむ、結局郵送が必要ならこっちにとってのオンライン化のメリットは あんまり無いなあ。IRSにとっては数字を入力する手間がはぶけて大助かりだろうけど。 あ、あとハワイの州税はオンラインでは申告出来ないので、こちらは全ての書類を プリントアウトして郵送する必要がある。

最初に繋いでからダウンロードするまで約1時間半。ヘルプを見たり、 確認のため戻ったりしていたので時間を食ったのだが、お手軽と言えるだろう。 Webのインタフェースもわりと良く出来ている。何もかもが一目瞭然という わけじゃないけれど、もとになる税務計算自体が私のような素人には わかりにくいんだから仕方無いのだろう。

これで、3日以内にIRSから確認のemailが届くはずである。 無事に着いていれば良いが。なんとなく不安なのは、やっぱりインフラとしての インターネットが概念的に信用しきれていないからなんだろうなあ。 郵便制度だって今は届くのが当然だと思っているけれど、 あれだけ巨大なシステムが何もないところから作り上げられたという 歴史を振り返って見れば奇跡のような出来事ではないか。

3/28(Sun)

「日曜7時から、CBSで1時間の枠を取って、 ジョージ・ルーカスのインタビューが放映される。 予告編にも使われてないStar Wars Episode I のクリップが流されるそうだ」 というメイルが社内に流れたのが一昨日の金曜日。程無くして友人からコールが。 「うち地上波の映り悪いんだ。おまえん家で観ていいか」。 で、せっかくだから他の人も呼んでにぎやかに観ようということになった。

当日。ちょっとしたスナックを用意したりとかしてると、言い出しっぺの友人からコールが。
「おい参ったよ。今TVつけたら、丁度インタビューが終ったところだ。」
「は?何のこと?」
「7時ってな、カリフォルニア時間だった。」
「おーまいがー」。

太平洋時間の7時はハワイの5時。全国ネットの番組はちゃんと2時間遅れで流される ことが多いので、確認もしなかったのだった。結局、単なる飲み会となる。

3/26(Fri) EDtv

今日の映画は "EDtv"。 一個人の私生活を24時間生放送で追い続けるTV番組 "TrueTV" に出演する羽目に なった主人公Edを巡るコメディ。 そう、設定は "The Truman Show" と同じだ。けれど Truman showの コメディ版では決してない。両者の主張するところは大きく異なるからだ(*)。

"EDtv" では、TrueTVの企画が出され、全米からモデルを公募する、つまり 撮られている人間がそれを意識している。結局のところそれが、 他人のプライバシーを覗き見ることを売りにするメディアへの皮肉となってゆくのだが、 そういう演出が最初からみえみえなのでちょっと前半は観ながら疲れてしまった。 Matthew McConaugheyが非常に自然に主人公EDを演じていたことと ("A Time to Kill" や "Contact" の演技よりずっと良いと思う)、 最後に、王道ではあるがすっきりとまとめてくれたのがプラスして、 個人的にはまあまあって評価に落ち着いた。 単純にコメディを楽しむだけならよく出来ている。 "The Truman Show" とのネタかぶりが無ければなあ。

(*) "The Truman Show" はメディアの問題と見せかけておいて、 実は神と人間、あるいは父と息子の関係という普遍的なテーマに至っている点が すごかったわけで。オスカーの脚本賞を逃したのが実に残念 (相手が "Shakespeare in Love" じゃ仕方無いけど)。

3/25(Thu) Vincent & Theo/Van Gogh

ふと思い立ってゴッホ関係の映画を2本、ビデオで鑑賞。 本当は、日本で確か「炎の人」という邦題で公開されたやつを観たかったのだけど、 原題がわからなかったのだ。

"Vincent & Theo" -- 兄弟2人の人生とその交錯を描く。 とっても真面目に作られているという印象。Tim RothのVincentは結構良い味を出している のだが、プロットにも演出にも突き抜けてくるものが無いのが残念。 あと、当然ゴッホの絵(模写だろうが)がたくさん登場するのだが、やけに下手に 見えるのはビデオで観ているからかなあ。

"Van Gogh" -- こちらはフランス映画。VincentがAuvers sur Oiseで 過ごした最後の2ヵ月間を描く。フランス映画らしく、色彩が非常に美しい。 そして、シーン毎の芝居の作り方が見事。 大した事件も起こらないのに、不思議と目が離せないのだ。

同じ人物をモチーフにした2作品を並べてみて、 この違いを作り出しているのは何だろうかということが気になった。 ストーリーの起伏は "Vincent & Theo" の方があるにもかかわらず、 ドラマとしての緊張感は明らかに "Van Gogh" の方が優れているからだ。 演技と演出のスキルの違いと言ってしまえばミもフタも無いのだが… 感覚的に違いを挙げるとすれば、前者では監督の計算が見えかくれしてしまって、 ドラマが「記録された二次元映像」に見えてしまうのに対し、 後者では、撮ってみるまでどんな画ができるのか監督自身にも 完全には予測できないような撮影時のライブな雰囲気というのが感じとれ、 それが「空気」あるいは「実在感」を創り出している、というところか。

たまにヨーロッパ映画を観て、そういうライブな実在感に新鮮な驚きを 覚えるのは、やっぱりハリウッドで量産される映画に欠けているものだからなんだろうな。

3/22(Mon) 種を蒔く

日本で放映されたTVドラマは、1〜2ヵ月遅れでレンタルビデオで観ることが出来る。 正月、帰省した時に会った友人に観ると約束しておいたドラマ「世逃げ屋本舗」の 第一・二回をやっと観ることが出来た。 よくまとまった脚本、ベテラン役者、それにしっかりした演出でこれは楽しめる。 友人本人もエキストラの場面でちゃっかり出演していたし。 日本ではもう最終回が終った筈だが、全部観られるようになるのはもうひと月くらい先に なるかな。

その友人Nとは学生時代に入っていた劇団の同期だった。当時からデカイ男で、 あまりの貫禄に半年遅れで入った私はしばらく「さん」づけで呼んでいた。 一緒にやった芝居のうち半分くらいはNが脚本か演出に関わっていたと思う。 じっくり聞かせる長ゼリを得意としていた。

学部を卒業して、Nはドラマ作りを続けたいとテレビ局を選び しばらくADをやっていた。朝暗いうちから夜中過ぎまで仕事という 凄まじいスケジュールの生活をしつつ、しかし充実しているふうだった。 それがふと、編成局に移動という辞令が出て現場から離れてしまったのだ。

編成と言えば局内ではいわゆる出世コースらしいけれど、Nにとっては 何年間も現場から離されることは夢の実現とは違う方向だったんじゃないだろうか。 現場の経験がものを言う世界なんだろうし。 本人は何からでも学べる人間だから、それはそれで意味のあることだったろうし、 あくまで私の勝手な推測である。 だがそんな心配も無用であったようだ。年末に帰った時、奴はしっかり現場に戻っていた。 今度はプロデューサーとして。その初プロデュース作品が件のドラマなのである。 「やっとやりたいことが出来るポジションに近付いて来たよ」。

やりたいことをやるのが一番。言うのは簡単だけど、 現実はそんなにすんなりとはいかない。 でもそんなことは分かって言っているのだ。 そこに至るまで、何年も、下手すると何十年もかかるかもしれない。 一日一日仕事に追われているとまるで自分が同じ所を回りながら ただ疲れていくだけのように感じることがあったかもしれない。 夢に近付く過程は多分、一粒の種がゆっくりと芽を出しやがて樹に成長してゆくような ものなのだろう。目に見えないけれど確実に成長しているはずのものをじっと待つこと。

ドラマを観ながら、もう10年以上前になる劇場での日々を思い出していた。 種を蒔いていたのだ。あの時。それがようやく目に見えるものになってきた。 私もまた新しい種を蒔き続けよう。10年後に奴に見せるために。

3/21(Sun) 嵐のパーティー/ 切り捨てられる情報

頭痛て。昨日飲みすぎたかも。

この季節のハワイ、風が強いのは珍しいことではない。地理上、常にハワイは 北東からの貿易風にさらされているが、特に冬場から春にかけては強風というより 暴風と言ったほうが良いような風に見舞われることがたまにある。ノースショアで 40feetとかの波が立つのはそんな日だ。 昨日はそんな暴風日であった上に、時々バケツをひっくり返すような雨に 見舞われた。ほとんど嵐である。しかし、滝のような雨が 横なぐりに降っていたと思った30分後には太陽がかんかん照っていたりするのだ。

にもかかわらず、昨日はAla moana parkにてバーベキューパーティ敢行。 丁度3時間くらいの晴れ間にはまったのでそれほどひどい目には合わなかったが、 風に飛ばされた皿を追っかけてく人が後を断たなかった。 夜は別のパーティー。それほど飲んだつもりは無かったんだが…

2つのパーティーのために、烏賊を数はい準備した。 今回は、烏賊を醤油とみりんと生姜に2時間程漬けてから焼いてみたが、 こいつが旨い。屋台の味。 だが、台所からあのなまぐざい臭いがなかなか取れないのには参った。


人間の耳は20kHzくらいまでしか聞こえていない筈だが、 どうも人間は何らかの方法でそれ以上の高周波も感じとれるらしい、 という点に ぢょしゅとほほ日記さんが触れておられた。 おそらく大橋力さん(a.k.a. 山城組組長)の一連の研究のことだと思われる。 CDにはその規格上、22KHz以上の音は記録されていない。 理屈の上ではそれで良い筈なのだが、高調波が多く含まれる音楽を生演奏で聞いた場合と CDで聞いた場合では、聴取者の反応に差が出る。 100kHzくらいまで録音再生できる装置を使うと、生で聞いた場合と同じ ような反応が得られる、というものだ。

ちょっと関連する話を、先日同僚としていた。家庭用TV画面に合わせてCGを作る場合は 横方向640画素くらいにする。TVの規格ではそれ以上細かくしても意味が無いからだが、 これが映画になると、35mmフィルムの解像度なら横方向2000画素は無いときつい。 映画をレンタルビデオで観るというスタイルが一般的になってから久しいが、 ナイーブな計算をすれば、ビデオ解像度に落とした時点で情報量は約10分の1に なっているのだ。ストーリーは確かにそれでも分かるが、ちょっと見ただけでは気づかない 繊細なニュアンスは大幅にそぎ落とされてしまっているのではないだろうか。 その同僚は、以前、70mmフィルムに8192画素で製作したことがあるのだが、 「凄いとしか言いようの無い、全く別種の体験だった」そうだ。

もちろん、全ての人が彼のように視覚情報に関して敏感なわけではない。 私も、アーティストに「これとこれ、違うだろ」とか言われて見せられても、 さっぱり違いがわからないということがよくある。音響に関してだって、 22kHzでカットした音と100kHzまで入っている音と、どっちがどっちだか当ててみろ とか言われても多分出来ないだろう。 だが、明確に意識されないそれらの差を切り捨ててしまう時、 実は多くの重要な情報も切り捨てているのかもしれない。

ディジタル技術はそこそこの品質のメディアを安価で身近なものにした。 だが、その限界を忘れると、人はどんどん鈍感になって行ってしまうかもしれない。

3/19(Fri) October Sky

再び嵐のような一週間が過ぎ去って、今日は楽しや金曜日。 どの映画を観に行くかでちょっと議論。同僚Kは、ストーリーはどうでもいいが VFXがよく出来ているという話の "Wing Commander" を推す。「それに、 Star Warsの新しい予告編も観られるかもしれないだろ」。私と同僚Lは ドラマ "October Sky" を推す。「忙しくて全部の映画を観れないのなら、 いい映画を観たい」。いつもにこにこおとなしい同僚Yは「どちらでも良いです」。 多数決で後者に決定。

映画は、実話をもとにした、極めてオーソドックスな造りのドラマ。 A dream comes trueなストーリー、父と子の葛藤、数多くの映画で繰り返し描かれて 来たテーマだが、しっかりと作り込まれた映画は観応え十分であった。

West Virginia州のさびれつつある炭坑の街。ハイスクールで、これと言って とりえの無いHomerの心をとらえたのは、ソ連(当時) の打ち上げた人類初の人工衛星、 スプートニクであった。夜空を横切る衛星を見て、彼はロケットのアイディアに 夢中になる。最初はおもちゃのようなロケットを作ってみて近所を驚かせるだけ だったが、熱心な教師の薦めもあり、失敗から学ぶことで、次第にしっかりした ロケットを作って行く。しかし、炭坑労働者であることに誇りを持つ父親は、 息子の奇妙な趣味を認めなかった。ある日、彼は街の人々が冷やかし半分で見守る中、 50センチ程のロケットを空高く舞い上がらせることに成功するが…

奇を衒ったり、殊更にドラマ性を浮かび上がらせることはせずに、 ただ人間と場所をきちんと描く演出は、刺激こそ無いけれど、 じっくりと心に染み込んで来る。配役も渋い。安心して観れるドラマ。 あ、あとオープニングシーケンスが非常にかっこ良い。 寂れつつある重工業の街をバックグラウンドにしたドラマとしては、 "Brassed Off" (「ブラス」) なんかを思い出したが、 哀愁を感じさせるよりも夢の実現の方へ進んで行くのは英米の違いかなあ。

3/15(Mon) ユウメイジン

プロデューサーのAさんが、スタジオに見学に来たと思しき東洋人を連れて回っていた。 ビジターはそれ程珍しいことではない。 紹介されて、ざっと仕事の説明など。てっきりCGアーティスト関係の人かと思っていた。 あとて同僚がやってきて、「おい、今の俳優のKじゃないか?」。言われて初めて、 彼が今をときめく若手役者であったことに気づく。出演作も観てて、第一 紹介されたときに名前も聞いてたのに、気づかないとは…

そういやロスにいた時、Farmer's Marketで隣のテーブルでディカプリオが 飯食ってたのにも、友人に囁かれるまで気づかなかったのだった。 昔から人の顔と名前を一致させるのは苦手だったのだが、 ひょっとすると顔の認識を行う部分に欠陥があるのかもしれぬ。 いつか大変失礼なことをしでかすんじゃないかと気が気でならない。

3/14(Sun)

ここ2週間、ホッケーは1点差で惜敗。チームとしてまとまってきて、 自分でも感覚がわかりかけて来ているだけに悔しい。プロダクションスケジュールが ますますタイトになって来て、いつまで続けられるかわからない状況なので、 一試合一試合がとても貴重なものに思える。

就職が決まって、20数年暮らした土地をあと半年で離れるということになった時、 住み慣れた土地で暮らす一日一日が突然楽しくなった。 毎日が発見の連続だった。もう帰って来ないかもよ、なんて明るく言う自分を見て、 親はちょっと寂しそうだったが、そう思っといた方がより日常を有意義に過ごせるものだ。 明日のことなんて誰にも分からない。

3/13(Sat) Shakespeare in Love

芝居の舞台には、神が降臨することがある。

何もない空間が、一瞬で荒れ狂う海になり、華やかな王宮になり、あるいは 薄気味の悪い真夜中の墓地となる。たった一人の役者が子供になり、老人になり、 あるいは千人の大群衆になる。せりふで説明してるからそう思い込む、という ことではない。舞台上の虚構が、観客の主観的現実を置き換えるのだ。 そして、全ての要素が完全なアンサンブルで組み合わさった奇跡のような瞬間、 神は降りて来る。その場に居合わせた人々が、たった一瞬の中に、普段の人間の視点 では観ることが出来ない何かをかいま見る瞬間である。

映画 "Shakespeare in Love" を観て泣いてしまったのは、 この映画が、芝居の可能性をとことん信じた、限りない舞台への愛に溢れていたから かもしれない。

1593、ロンドン。若きWill Shakespeareは新作のコメディ「ロミオと海賊の娘イーセル」 をなかなか書けずに苦しんでいた。興行上の理由から既に芝居の日程が決まり、 主役のオーディションに立ち会ったWillはそこで、飛び抜けた才能を見せる若い男を目にする。 しかしその役者はWillの呼びかけに身を翻して逃げ出す。追いすがるWillを振り切って 彼が逃げ込んだ屋敷は身分の高いDeLesseps家。実はその若者は、 芝居が大好きなDeLesseps家の娘、Viola (ヴァイオラ) の仮の姿だったのだ (当時、女性は舞台に立つことを許されていなかった)。 WillはViolaと恋に落ち、しかしViolaには婚約者が居た。恋はWillの創造力を かきたて、芝居は思わぬ方向へと変化してゆく…

「ロミオとジュリエット」の誕生秘話の形をとっているが、 この映画は「伝記もの」ではない。むしろ、シェークスピアその人を題材にした シェークスピア作品へのオマージュと言えるだろう。あるいは、映画の形をとった 舞台という表現形式への讃歌である。 何かの作品を作り上げる過程のドラマを描く「メーキングもの」のパターンを きっちりと踏襲し、恋愛ものの王道もしっかりと押えているが、 それらすべての要素は芝居の奇跡が起こる瞬間へむかって一気にまとまって行く。 そして、人間臭い日常生活と芸術との間の境界線は次第にぼやけてゆくのだ。

ヒロインを演ずるGwyneth Paltrowは驚く程多彩な顔を見せる。 Geoffrey Rushも見事な化けっぷり。この人は実に芸達者だ。 しかし、一番私が感動したのは、芝居に詰めかけた観客一人一人の、 舞台を食い入るように見つめる表情だった。 芝居というものがこの世に存在する理由を、見事に表した演出、演技であった。

芝居好きの人には特にお薦め。予備知識が無くても十分楽しめる映画だが、 「ロミオとジュリエット」と「十二夜」を知っていると256倍楽しめる。

3/12(Fri) Analyze This

ひゃー、実に5週間ぶりの映画。今日のチョイスはRobert de Niroの コメディ "Analyze This"。メンタルな問題を抱えたマフィアのボスが、 サイコセラピーを受ける。コメディとしての出来は平凡だけど、de Niroが 実に楽しんで演じている様子がらぶりいなので、ファンなら観て損はない。

映画のページでは観た映画に星をつけたり しているけど、これはもともと自分のための記録として作り始めたテーブル なので、星も相当に主観的。一応何かの参考になればと思って公開しているが、 それならば自分がどういう基準で星をつけているかを書いといた方が良いかなと 思って、おすすめ度の基準を書いてみた。

3/11(Thu) ハタラキスギ?

今、組んで仕事をしているYさんが来週3日程休みを取る。彼は入社して3ヵ月程経つが、 いきなり狂気のようなスケジュールに巻き込まれたため (巻き込んだのは私だ。済まん) 土日にまともに休みを取ったことが数回しかない。 ボスと相談して代休扱いにできることになった。

「この会社は自分から言い出さない限りいくらでも仕事が回ってくるから気をつけて」
「あまり無理しないように」
私はなるべく彼にこう声をかけるようにしている。でないと頑張り屋の彼はいくらでも働いてしまうからだ。 そんな彼に笑顔で仕事を回しているのもこの私なのであるが、そういうことは棚に上げて
「働き過ぎは良くないですよ」
すると居合わせたコーディネータのA女史がぴしゃりと一言。
「シロウさんも働きすぎです」。

しかし、働きすぎ、つまり仕事をしている時間が生活の中に占める割合が非常に大きい というのは一慨に悪いこととは言えない。私は基本的に24時間好きなことをして生きていると 自覚している。好きでやってる行為のうちには報酬を得ることができるものも そうでないものもあるが、今はたまたま報酬を得ることができる行為 (=仕事) に多く時間を 割いているだけである。3年前までは報酬の無い行為の方に多く時間を割いていたが、 生活は同じようなものであった。 生きるということは何かを作り続けるということであり、オフィスに座っていようが、 ホッケーをしていようが、ピアノを弾いていようが、デートをしていようが、 本質的にやっていることは同じである。 生活時間を仕事とそれ以外とに分けるのは意味が無い。成長している時間とそうで無い時間 とに分けるのなら意味があるが。

ただ、優先順位のつけ方は人それぞれである。自分のもつ優先度に 他人を巻き込んだらまずいこともある、ということはちょっと自覚し始めた。 これまでは周囲が同じペースだったから気づかなかったけど。

3/10(Wed)

ボスが日本から持って帰って来た次世代プレステ発表会のビデオを観る。 プレステ5000万台への道程をまとめたビデオクリップ、偉い人の挨拶、 久多良木さんのスペック解説、実機デモ。 もっと派手派手な様子を想像していたけど、 なんか普通のプレゼンという感じであった。 スペックの数値だけで十分派手なので発表会の演出に凝る必要はなかった のだろうが、たとえば喋っている裏に現行プレステのタイトルの ムービーを含むビデオクリップを流しておき、 それを途中でPS2のリアルタイムデモに差し替えておいて、 「さて、先程から御覧になっているこの映像ですが、実はリアルタイムレンダリングなんです」 というのは狙いすぎか。

3/8(Mon) 超並列プレステ

次世代Play Stationの高い浮動小数点演算性能に着目して、 山のようにプレステを買って繋いで科学技術演算に使えないかという向きもあるようだが、 ピーク性能を出すにはCPU (EE) 内部のベクタ演算ユニット回りでかなり トリッキーなコーディングが要求されるような気がするので、 汎用の演算装置としては使いにくいんじゃないかなあ。 いろいろいじくってみたい人にとっては、非常にそそられるアーキテクチャなのだが。

鬼のように高性能なGPU (GS) も有効活用することを考えると、 プレステの山をセミリアルタイムでのレンダリングに使うというのは結構ありそうだ。 例えば、現在、髪の毛をきちんとレンダリングするのはなかなか骨が折れる。 何万、何十万という細い筒 (RenderManでは線を直接レンダリングできるが) を 描画するのには、再速のCPUをもってしても時間がかかる。リアルな髪の毛にするためには さらに髪の毛同士が作る影なんかも重要なのだが、それらを全てまともに計算していたんでは 埓があかない。映画に使うCGであっても、そこらへんはいろいろトリックを駆使して 計算量を減らしている。

完全なリアルタイムにこだわらなければ、次期プレステを使ってそういう部分を ハードウェアで処理出来てしまう。適切な形容で無いかもしれないが、コプロセッサ みたいな使い方をするわけだ。映画のクオリティ (約2000x1000ピクセル) を作るのに、 まず2台(1台で1280x1024をカバーできるから)のプレステで影になる部分を計算し (シャドウマップ)、それを別の2台に食わせてやって髪の毛だけの映像を作る。 結果としてRGBとデプス情報が得られるから、それを別にレンダリングした人の顔と 合成してやるわけだ。もちろんこれは他のCGエフェクトにも応用できる。 これまで1フレーム10分かかってたのが1秒ででも出来るようになれば、これは画期的だ。 さらにプレステを並べて、フレーム毎に別のクラスタでレンダリングさせるように すれば、もう凄いことになる。 そこらじゅうのCGスタジオがプレステを買いに奔走するかもしれん。

3/7(Sun) Z80 (昔話)

まだLAのチームに居た頃、SIGGRAPHでOnyx2を使ったデモゲームを出展した。 その時にプレステのアナログコントローラをOnyxにつなぐために マイコンボードを使ったアダプタを作ったのだが、先日、 「デュアルショックをつなごうとしたら動かない。何とかしてくれ」とLAから 指令が来て、久しぶりに半田コテを握ることになった。

どうやら原因はデュアルショックにあるのではなく、コントローラへのコードが 長くなることによって動作が不安定になっているためらしい。 ソニーの資料には電気的仕様がほとんど書かれていないうえ、手持ちの測定器が 貧弱なためなかなか思うようにいかない。せめてオシロスコープが欲しい。 しかしオシロを売っている店なんてハワイにあるんだろうか。 こういう時ばかりは、秋葉原が恋しくなる。

このアダプタには、Z80クローンをコアにしたワンチップCPUを使った。 何を今更、という感じであるが、中学生の頃からこいつで遊んでいたため、 扱い慣れているのである。さすがに何も見ずに機械語を書くという荒技は 出来なくなってしまったが、どういう信号がどういうタイミングで出ているか という感覚はまだ残っている。

十数年前に組み立てたZ80のマシンは、4MHzのクロックと、64KBのメモリ、 それに640KBのフロッピーディスクで動作していた。 それでも非常に多彩なフリーソフトウェアが出回っていた ことを覚えている。当時存在した主要なプログラミング言語は大抵手に入ったし、 エディタ、ワープロ、スプレッドシート等の実用的なものから ゲームまで豊富にあった。全部英語だったので、辞書を片手に テキストアドベンチャーを解いたりしていた。 今使っているデスクトップは、500倍のクロックで動作し、1000倍のメモリを積み、 10000倍のディスクを持っているが、 メイルとWeb、そして日記を書くことくらいにしか使っていない。 効率だけ考えればずいぶんもったいないことをしているようにも思える。

もっとも、技術というものは湯水のように使えるようになってようやく 日常生活を支えるものとなると考えているので、無駄だとは思わない。 それでも、近年の、メモリとディスクは食いまくるが体して便利になった わけでもない、肥大化したソフトウェアを見るにつけ、 8bitの頃を思い出さずにはおれない。これほどハードウェアが進歩したのなら、 もっと便利なソフトウェアが出来ても良いはずだ。 それを作るのが私の仕事なのだが。

(*) Z80: 20年くらい前に一世を風靡した8ビットCPU。 64ビットだの128ビットだのいうプロセッサがニュースを賑わしている影で、 こういうプロセッサが今でも地味に働いているのだ。

3/6(Sat)

ちょいとした用事でLAまで0泊1日(機内一泊)の旅。LAの冬ってこんなに寒かったっけ。 ああ、どうやら身体がすっかり南の島に順応してしまったようだ。

友人に「シロウのウェブを見たけど読めない」と文句を言われたので、 英語ページをぼちぼち作りはじめることにした。今のところはレジュメだけだけど。 もともと、個人ウェブページを始めた動機は、日本の友人への近況報告にあった。 米国に移ってそろそろ3年。こちらでの友人も増えたことだし、すこしづつ コンセプトを見直す時期かも知れない。

3/3(Wed) サマータイムの効用

日本でも夏時間を導入するとかしないとか。蒸し暑い日本の夏のこと、涼しいうちに一時間多く 仕事すれば省エネにはなるかも。午前中に出勤して来る人など数える程しかいないという、 あまり省エネにならない会社もごくわずかに存在するが (うちの東京本社だ)。 ハワイ州は夏時間を採用していないが、LAに住んでいる時に体験した。 仕事が終っても外が明るいってのは、なかなかいいもんだ。 今日は残業だって時でも、明るいうちに夕食に行けて、さあこれからもうひと仕事、と元気が出る。 さらに、徹夜作業で空が次第に明るくなってくる時刻ってのはなんか虚しくて嫌いなのだけれど、 夏時間なら朝5時まで仕事してもまだ暗いのだ!

色々デメリットも聞こえてくるのだが、あまり説得力が無いように思える。 曰く、コンピュータシステムを変えるのが大変、って、20年も昔に作ったシステムなら ともかく、このグローバル化時代に夏時間などOSレベルで対応しているのが当然だろう。 タイムゾーンの定義をちょろっと変えるだけである。 そうでないならこの機会にまっとうなOSにリプレースしてしまおう。 社会を影で支える組み込みシステムはかなり厄介だが、 2000年対応で置き換えるのも多いだろうし、製造業にサマータイム特需が見込まれるかも (って、多分にそれを狙っているような気がしないでもない)。 曰く、時計を変えるのが面倒、って、そんなたったの年2回。 あのいい加減なアメリカ人 (偏見) でさえやっていることを、 勤勉な日本人 (偏見) が出来ないわけが無い。 もちろん、時間が変わるのを忘れて遅刻しただとか早く来すぎたなんてことは 毎年毎年繰り返されるのだが、そんな細かいことは気にしない気にしない。

こんな反対意見を聞いたこともある。日本の国土は東西に長く、 もともとひとつの時間帯でカバーできるぎりぎりの範囲である。東経127度の那覇と、 145度の根室では太陽運行の時間的な差は72分。真ん中へんの大都市に都合の良いように 時間を進められては、東側では朝が早くなりすぎ、西側では必要以上に遅い時刻まで明るい ことになってしまう、と。 まあわからんでもないが、それなら県毎に夏時間の採用、不採用を決めれば良いではないか。 沖縄では夏はもう十分日が長いよ、というのなら夏時間を採用しなければ良いのだ。 そんなの混乱するって? 米国では州毎どころか、州の中のある領域だけ夏時間の 方針が違ってて、ドライブしてるとガソリンスタンドの時計を見る度に 時刻が行ったり来たりするような場所もあるけど、別に普通に生活してる。

そう、自分にとっての夏時間の最大の効用は、省エネとか余暇の増加とか なんかではなく、意識改革だったのだ。 みんなが一斉に決められた時間に従うことなんてない。もちろん明確なルールは 決めとく必要があるけど、基本は、自分の住んでいる土地の、自分の暮らしにあった時間を 自分達で決めて採用すればいいのである。 なんかとても自由で気楽な気がしないか。 時刻がばらばらになることに不安を感じたり不便を訴えるのは、 均一性に縛られすぎてやしないかと思うのだ。

3/2(Tue)

ハッピーバースデートゥミー。30歳の誕生日には、システム仕様の欠陥が発覚。 深夜まで対応に追われる。

しかし、これによって仕様の今までもやもやしていた部分が一気にクリアーに なった。プロダクションマネジメント (スケジュールとヒューマンリソースを管理 する立場) から見て管理しやすい単位と、 アセットマネジメント (実際にアーティストが生成するファイル群を管理する立場) から見て管理しやすい単位とが食い違っているのを、何とかして統一しようと していたのがまずかったのだ。食い違っているということはしばらく前から認識 されていて、議論にものぼっていたのだが、具体的に両者がどういう関係にあるのか ということについてこれまで誰も明確に定義できなかったのである。 気づいてみればコロンブスの卵。笑いたくなるくらい簡単であった。

日付が変わってから帰宅すると、留守電にバースデーコールと、 ポストにはバースデーカード。有難う。

3/1(Mon) PS2

日本ではPS2のプレス発表。 うちもデモを出している。

あのラスタライザは化け者だ。 映画プロジェクトのレンダーファーム用に、1000台位確保してリアルタイムで レンダリングをかけようとジョークを言っていたくらいで。 いや、実のところ、ファイナルレンダリングは別としても、 現在非常に時間を取られるアニメーションチェック用のレンダリングなんかが 2年後には$200のハードウェアでリアルタイムで行えるようになるとなれば、 これはCG作成プロセスにも革命的なインパクトを与えるだろう。

ハードウェアがどんどん進化してゆくことに対し、「そんな高性能なハードウェアは 必要無い」という声も聞かれる。もちろん、目的によっては現在の技術で十分だ。 ただ、コンテンツ作成者から見たハードウェアというのは、 音楽家にとっての楽器、絵描きにとってのキャンバスや絵の具と同じようなものだ。 ピアノがあれだけ発達しなかったら、ショパンは有り得ただろうか。 キャンバスや油絵具がもっとずっと高価だったら、ゴッホは有り得ただろうか。

「コンピュータで合成されたキャラクタは、人間の役者にはかなわない」という 意見もある。これは私もそう思う。というか、比較の対象がおかしい。 CGのキャラクタは、アーティストが丹念に、時間をかけて理想の形を作ってゆく ものである。言ってみれば彫刻に近い。しかし、CGは動かすことができる。 CGアニメーションというものが、一つの表現形態のジャンルとしてより 確立してゆくことになるだろう。

クロックが何メガヘルツだ、ジオメトリ演算が毎秒何万ポリゴンだ、 なんてことが一般に話題にのぼっているのは、まだ技術が若いということだろう。 計算資源を、限界をあまり気にせずに贅沢に使えるようになった時、多様なコンテンツが 一気に花開くんではないかと夢想するのだ。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net