1998年11月

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11/30(Mon) ドキュメント書き/変なところに細かい米国

連休ボケより復帰中。孤軍奮闘していた現在のプロジェクトに先週待望の助っ人が 来たので、滞っていたドキュメント書き。仕様書はいつも開発に先行させるため 既に揃っているのだが、イントロダクトリーなガイドはついつい億劫になる。 理屈からすれば、仕様書には全ての情報が載っているので十分なはず。しかし 結局教えている時間やら質問に答える時間やらを取られるし、そうなると ガイドを書いてしまって「読んどいて」と言った方が後々楽である。 自分の作ったものを説明する作業は楽しいので、筆は進みやすい。 もっとも初めての人に読みやすいかどうかは別問題なのだが。

それにしても、こちらの環境で一年以上やっているのに「え〜英語ですか〜」と しりごみしたり、「英語のメイルはつい読まないんで」なんて言うのは そろそろやめて欲しい…。いやこれは件の助っ人さんではないのだが (彼はトリリンガルの努力家である)。 専門職としての要件の中に英語は入っていないというならそれで良いのだが、 それなら自分から誰かに翻訳を頼むとかして工夫して欲しいものだ。 職業プログラマにとってはユーザーは神様だけれど、本質以外のサポートに 時間を取られてコードを書けないのでは会社にとっても損失である。 私は通訳翻訳のために給料を貰っているわけではないのだから。


米国という国は、日本の常識からすればとんでもなくイイカゲンなところがある くせに、妙なところが細かかったりする。昨日カフェで昼食がてら新聞を読んでいて 見付けた記事によれば、1995年に「書類作成負担軽減法」 (reduction of paperwork act) なる法律が『人々が政府に提出するための書類を準備する時間を3年の間に25%軽減する』 ことを目標として制定されたそうな。米国にビザ免除で来たことのある方は、緑色のI-94という 細長い書類を飛行機の中で記入させられたことと思うが、あれを隅々まで読んでみると、中に 「この書類の記入かかる時間は4分と見積もられています云々」という但し書きがあったことと 思う。あれもその一環だったのだろうか。何はともあれ、その法律の制定から3年が経ち 蓋を空けてみたところ、ほとんどの省庁では20%ちょいの削減に成功、だが大量の書類を 準備させるIRS (国税局) は逆に時間を増やし、他の省庁の削減分を台無しにして しまっているとか。それを追求されたIRSは「人々の経済活動が活発になってきたからだ」 とコメントしたとか何とか。

こういう議論をするからには、きちんとモニターして数字を出し、 それを元に実践するっていう方法が広く認知されているのだろうなあ。 日本でも商品券なんて馬鹿なこと言ってないで、個人消費10%増計画とか数値目標を 組み込んだ法案を通してがりがりやってみたらいいのに。もちろん抽象的な数字じゃ なくて、具体的な方法論ね。数字が独り歩きするのはよくないけれど、 少なくとも数字が先に提出されていれば後で評価ができるし (←これ重要) それに基づいて軌道修正することも出来る。 まあ数字を出したら出したで、その妥当性や実現可能性を巡って延々と議論してそうだけど。

やってみなければわからないことというのはあるし、 100%確実な未来など無いから、ある程度のリスクを背負ったまま 行動することは常に必要になる。判断が裏目に出たら責任を取らなければならない。 リスクを見て見ぬ振りをし、評価を避けるのは、責任を取りたくないからか。 結局いつかツケは回ってくるのだけれどね。


責任と言えば、Thanksgivingの映画のBox Office。"A Bug's Life" が初週$46million という興行成績をあげたうえ ("Toy Story" は初週$39m)、先頃公開した低予算映画 "The Waterboy" も累計$122millionと好調なDisneyに対し、 Universalは本年度の勝負を掛けた "Babe II" が初週 $8.5millionと 惨澹たる結果に終った。UniversalのヘッドのSilverさんはもうすぐにでも 辞めさせられるだろうとのこと。数字がはっきり出る世界は厳しい。

11/28(Sat) Hunted/Babe: Pig in the City

昨日はワイキキに住むイラン系カナダ人のK宅に集まって鍋パーティ。 諸事情から、感謝祭なのにターキーでなく鍋になったのだが、 結構充実してて旨かった。しかし日本の食材は高い。長葱が$5もする。

Kは相当な映画通で、B級アクション映画にもやけに詳しかったりする。 彼の家に集まると、低予算で中国人が日本人役をやってて下手な日本語を 喋ってたり、何か勘違いをしているようなキワモノ映画を借りて来てみせてくれるのだが、 今回も例にもれず、なかなか濃い映画を観て皆で大笑い。ヒットは"The Hunted"。 John Loanが主役級で出演するのだが、日本人という設定でとんでもない日本語を喋る。 アメリカ人にとってみれば同じように見えるんだろうけどねぇ。 これ、一度観たら忘れられない程の怪作だったのでちょっと紹介しておこう。

現代の日本は名古屋で映画は幕をあける。英国から来たビジネスマン (Paul Racine)が ホテルでふと知り合った女性と恋に落ちるが、その女性は暗殺部隊に狙われていたのであった。 シーンが替わって、ホテルにチェックインする黒スーツの怪しげな男たち。 部屋に入って手に持ったアタッシュケースを開け、暗殺道具を取り出して手入れする。 拳銃ではない。手裏剣だ。そして彼等は着替えるのだ。 忍者装束に。もちろん背中には忍者刀を背負っている。 忍者の首領がJohn Loanなのだ。

その後、女性は忍者に殺され、それを目撃したビジネスマンは彼等に追われる身となる。 入院先の病室を弓矢で狙撃されたりとたびたび危機に陥るビジネスマンに 剣術師範タケダと名乗る助っ人が現われる。 抜き身の日本刀をところかまわず振り回す危ないおっさんである。 新幹線の中で忍者部隊とチャンバラなどしつつ、彼はビジネスマンを三島の沖にある 秘密の島に連れて行く。そこはタケタ一族の隠れ家で (というか、何故か城がある)、 彼等は忍者の一族と数世紀にわたる抗争を繰り広げてきたのだ! そしていよいよ、長年の抗争の決着を着けるべく、タケダとJohn Loanが対峙するのだった。 …という話。

なかでも秀逸なシーンは、Paul Racineが忍者に追われてパチンコ店に 逃げ込み、助けを求める電話をかけるところである。受話器を耳にあてるPaul。 続いてカメラは彼のPOV(視点)になり、ゆっくりとパチンコ店にいる人混みをスキャンする。 ふと黒っぽいスーツを来てパチンコ台に向かっている男に視点を止め、 ゆっくりと視点を下ろし足もとを観ると…

足袋ワラジを履いている!あいつが忍者だ!

演出はあくまでサスペンス風なアクションで、作った方はギャグのつもりは 全く無いと思うのだ。でもこれ観た日本人は例外無く爆笑するだろうなあ。 それともそこまで狙った上で作っているんだろうか。 知り合いのIさんはビーチでアメリカ人の子供に「日本にはまだ 忍者がいるんだろう」と言われたというが、こういう映画が作られるところをみると アメリカ人にとって日本はまだまだ神秘の国なのかも知れぬ。 ちなみにこの映画は1995年の作品である。


結局明け方近くに帰宅したあと昼まで寝る。その後、"Babe: Pig in the City" を観にゆく。 スケジュールが押しまくって先頃Universal Studioで予定されてた previewのイベントにも間に合わず、Thanksgiving公開にどうにか間に合わせたという映画。 あの "Babe" の続編だ。今度はBabeが農場を救うため街へ行って騒動に巻き込まれる話。

例によって動物達は限りなく饒舌。ちょっとcompositeで気になるところはあったが、 技術的にはほとんどflawは無い。 Rhythm&Huesのこのへんの技術はもう 完成の域に達しているかも。美術もなかなか独特の雰囲気を作っていて良い。 (Babeが窓から眺める都市のビジョンは秀逸)

ところがどうしたわけか、キレが無いのだ。映画に。はっきりいえば退屈なのだ。 脚本の問題なのか、choreographyの問題なのか、それともディレクションの求心力不足か (監督のGeorge Millerはオリジナル "Babe" でプロデュース・脚本を担当)。 とにかく全てがスクリーンの中の世界に収まってしまっていて、観客を引き込む力 もなければ客席に飛び出して来る力も無い。各要素にソツが無いだけに残念だ。

11/26(Thu) Enemy of the State

ハワイ島行きがぽしゃって、特にイベントも無し。昼過ぎまで惰眠…というか、 朝一回目が覚めたんだけど、身体中が痛くて起きるのがしんどい。 ちょっと昨日のホッケーはバイオレントだったかも。

おなじくぶらぶらしていた友人達と映画へ。本日は Will Smith 主演の "Enemy of the state"。国家はどこまで個人の行動を監視できるか。 NSA(国家安全保障機構)の非合法活動を収めたテープを偶然手にしてしまった 弁護士がNSAの手の者に追われる話。NSAはありとあらゆる手段 (それこそ軍事衛星 まで) 動員して追って来る。

アクションてんこもりでテンションも高く、アクション映画としては標準的な 出来。だけど、なんとなく物足りない感じがした。何故だろう。 この手の話では、ごく普通の市民が国家権力にマークされることの恐ろしさというのが ポイントなのだろうけれど、アクション部分に力を居れすぎた結果、 追われる者もなんだか特別な存在として浮いてしまった。 Will Smithの「俺は家に帰りたいだけだ」というのがリアリティを持って 伝わって来ない。

個人の行動を追跡される恐さと言えば、"The Net" を思い出す。 あれもリアリティという意味ではまだまだハリウッド映画的な約束に満ちて いたけれど、個人の無力さがうまく描けていたために、最後のカタルシスが 印象に残るものとなった。 "Enemy〜" では追われる者と追う者がなんか同じくらいの力に 見えてしまっているのが物足りない原因かも。

11/25(Wed) また負傷/A Bug's Life

Hickam空軍基地でホッケーの朝錬中、パックを追ってフェンスに激突して、 顎をしたたかに打った上に肩を捻ってしまった。今回は外傷が無いので 糊付けする必要はないのだけれど、腕が肩より上にあがらない。 今回も、先々週突き指したのも、全力で走っている時にクイックストップが うまく出来ないのが原因なのだ。やっぱりスケーティングの練習がもっと必要だ。

朝の練習を終えて道具をしまっていると、ジュニアリーグだろうか、 まだ小学校にも上がってないんじゃないかというような子供達がわらわらと やってきて、元気にホッケーを始めた。あんな頃からやってんだ、そりゃ敵わない。 なんか危なっかしくて見てるこっちがはらはらするんだけど、 子供は転ぶことは多くてもそんなにシリアスな怪我には至らないようだ。 身体が柔らかいからかなあ。


やっぱり凄いね、Pixarは。本日公開の "A Bug's Life"、Pixar Animation Studio 2作目の3DCGフルフィーチャーフィルムを観て来た。

ネタは先に公開されたPDIの "Antz" ともろにかぶっているのだが (PDIはそのためにプロダクションスケジュールを5ヵ月も縮めたという---それも驚異的) "Antz" が風刺的な雰囲気を持っていたのに対し、こちらは完全に子供をターゲットに している。その分、キャラクタやアニメーションがよりマンガ的だし ストーリーも分かりやすいけれど、話を楽しむなら "Antz" の方が良いと思う。

ただ、昆虫達の造形が一見つるんとしているので気づきにくいが、 シーンのcomplexityは相当高い。息をのむような美しいシーンというのは 無いのだけれど、どのシーンもまんべん無くクオリディを維持している。 あれは力業では作れない。きちんとしたマネジメントとワークフロー、 それをサポートするツール群が整備されない限り、あれだけのcomplexityのある シーンを十分なクオリティを保ったまま作ることは不可能だろう。 その点にPixarの長年培って来た底力を見た。

3DCGのアニメーションというのは、アメリカ大陸を徒歩で横断する旅のような ものである。一人が一日で進められる作業というのはほんのわずかだ。 具体的な数値は状況によって大きく異なるので例示しにくいが、 例えばメインキャラクタでは、アニメーションをコントロールするための パラメータが表情を含め数百にのぼることは珍しくはない。 そのパラメータを操作してあるポーズを作る。次に時間軸をちょっと (数フレーム=数分の一秒)ずらし、次のポーズを作る。 人間の認識能力は、時間的な変化に非常に敏感で、 わずかのタイミングのずれで動きは不自然なものになってしまう。 (映画の場合、解像度が高いのでビデオよりずっとシビアな精度が要求される。 人間の目がどれほど微妙な変化を見分けることが出来るかというのには驚くばかりである)。 レンダリングして、リアルタイムでプレイバックし、不自然な部分を直す。 数秒のシーンに、熟練したアニメーターが何日も費すこともまれではない。

したがって、どれだけ確実に一日一日の作業をこなして行けるかというのが 大規模な3DCGを製作する上での重要なポイントとなる。言ってみれば工場の 流れ作業のように、各人が自分の熟練した分野の仕事のみを集中して行い、 間断なくデータを流さなければ完成はおぼつかない。 ただ工場と違うのは、必要なワークフローがショット毎に異なるということだ。 クローズアップショットか遠景に現われるかで要求されるアニメーションの精度は 異なって来るし、VFXと連係する場合はVFXの及ぶ範囲を先に決めておく必要が ある場合もある。普通ライティングはアニメーションの後に来るが、ライトの 変化とアニメーションが絡む場合は先にライトを決める必要がある場合もある。 規模が大きくなればなる程、変化の激しいワークフローを把握し、 アーティストが常に自分の作業だけをし続けられる環境をお膳立てする、テクニカルな サポート体制の充実が重要になってくるのだ。だがそこは目に見えない作業であるだけに、 確立するのが困難な部分でもある。 …っつうか、Pixarに忍び込んでそこらへんのノウハウを盗みたいくらいだ :-)

ま、そんな個人的な思いもあって、Pixarのスタッフに敬服。 あと、これから観に行く人へ:スタッフロールは最後まで観るように。 私はスタッフロールが映画全編中で一番笑えた。 そうそう、本編の前に、Pixarの実験的ショートフィルム "Geri's Game" も上映された。 昨年Short animated film部門でアカデミー賞を受賞したもの。これもよく出来ている。

11/24(Tue)

オフィスのエアコンが壊れた。暑い。 11月も末になって、屋外では風がびゅうびゅう吹きすさんでいるので暑さを感じないが、 ハワイの日射しは弱まる気配を見せず、ガラス張りのオフィスは温室である。 それに加えて一人当たり2台の高価な熱源。 汗をかく程では無いにせよ、頭がぼーっとしてくるのは避けがたい。

木曜からThanksgivingの4連休で、他の島へでも遊びに行こうと思い立ったのだが、 今日確認したら飛行機も宿も車もものの見事にfull < 行動が行き当たりばったり過ぎる。 ふと不安になってあわてて年末年始の帰省のためのフライトを調べてもらう。 げ。今年は、台湾に帰省する友人にくっついて行って台湾見物もしようと思っていたのに、 成田--台湾間のフライトは既に満席。 いや、台湾どころか成田までの往復も危ういではないか。帰れなかったらどうするかな。 モロカイ島で一週間くらいキャンプして、電磁波を浴びない生活をしてみるか。

キャンプと言えば、日本であちこち回っていた頃は「ヘビに気をつけろ」と よく言われたのだが、日本の夏よりはるかに出そうなハワイには実はヘビは 居ないらしいという噂を聞いた。ほんとかな。マウイのPark Rangerの人は ハワイの生態系は地球上でもっとも孤立した生態系だって言ってたし、 人間が持ち込まない限り入って来れないのだろうけど。

11/21(Sat) The Waterboy

会社で一日中コーディングしていると、家でまでプログラムを書こうとは 思わないものだ。しかし、最近はあまり生産的とは言えない仕事に時間を取られて しまっている。何も作り出していないと不安になるのは、一種の脅迫観念か。 久々に「欲しけりゃ作る」精神がむくむくと頭をもたげ、一日趣味のプログラムを 書いていた。


さて、目玉映画の封切りを来週のThanksgivingに控えてあまりめぼしい映画が 無い昨今なのだが、"The Wedding Singer" のFrank CoraciとAdam Sandlerの コンビが送るコメディ、"The Waterboy" がかなりのBox officeを 弾き出している。最初の週末で約$40million、今週で3週目だが、 $100millionに届くのではないか。予告編を見る限りはベタベタのギャグ映画で、 友人と「何故だろう」と首をかしげていたのだが、その謎を探るべく観に行く。 劇場はほぼ満員。

やっぱり思った通りのかなり濃いギャグ映画だったが、けっこう笑えた。 母親役のKathy Batesがかなりぶっとばしていて、すごい迫力。 "Misery" 以来彼女のファンである私にはそれだけでも観る価値があった。 そんでもこの配給収入は、他に家族連れで観に行ける映画が無かったから じゃないかなあ。

11/19(Thu)

Love like you've never been hurt
Work like you don't need the money
Dance like nobody is watching

仕事につまってふらりと寄ったダウンタウンのStarbucks coffeeにあった "Thoughts of the day"。眺めているだけで、なんか口元がゆるんでしまうような、 キモチイイ言葉だなあ。何度も反芻していると、 頭を覆っている蓋が取れて、脳味噌が青空に直結しているような気がしてきた。

目下の難題はまだ解決策が見えないが、基本は「やりたいようにやる」という ことだろう。あとはテクニックの問題に過ぎない。

11/18(Wed) The Siege

Denzel Washington, Annette Bening, Bruce Willisが共演する"The Siege"。 中東の過激派によって、ニューヨークが連続爆弾テロに晒される。 FBIエージェント(Denzel) と CIAエージェント (Annette) がそれぞれ犯人を 追い詰めようとするが、ついにFBI本部が爆破されるに至って、NYに戒厳令が敷かれ、 移民は強制収容。軍の指揮官 (Bruce) が手段を選ばず犯人を追い詰めようとする。

大スターを配し、豊富なアクションと爆発を見せる、いかにもハリウッド映画の王道。 けれど、脚本がしっかりしていてひねりも効いているのと、FBI、CIA、米軍の緊張した関係が 主役達によってうまく演じられているのとで、一歩抜きん出たかな。 強制収容のシーンは、全く有り得ないとは言い切れないだけに、 外国人として暮らす身にとってはちと恐い。テロ→アラブ、だとか、 愛国心がどうのとか、例によってアメリカンな雰囲気もあるけれど、 全体として良く出来ている。

11/17(Tue) 米国の医療費、恐るべし

病院のEmergency Roomで顎の傷の治療を受けて、 病院から$176の請求が来た (保険でカバーされるけど)、ということを 以前書いた。 やっぱそのくらいかかるのかな、と思っていた。

甘かった。

以前の請求はあくまで「病院の救急医療室の使用料」で、 「医師の治療費」とは別だったのである。 手当をしてくれた医師は病院と契約はしているものの、 支払いは全く別個に行う必要があったのだ。 今日医者のほうから請求書が来てたのだが、封を切って一瞬固まった。

$424.80

よ、よんひゃくどる?? 確かに縫うかどうかという傷ではあったけど、 そんなにかかるものなのか?! しかし落ち着いてbillを良く見ると、そのうちの 大部分は既に保険から支払われてて、自己負担分は$22.11だけで良いようだ。 本来の請求額は病院からのとあわせて$600にもなっていたわけで、 保険のありがたみを実感する。そういえば2年前に 網膜の検査を受けた時も数百ドルかかったと思うんだが、あれもほぼ全額カバーされたんだっけ。 あの時は特殊な検査だからそのくらいはかかるだろう、と思っていた。

それとも、日本でも実際の医療費はかかってるのだけれど、 気づかなかっただけかな。治療の度に実際の金額と保険でカバーされた額が書かれた明細って 貰えたんだっけ? 考えてみたら怪我して病院に行ったのって中学校の時に 手を縫って以来だから良く覚えて無い。

あれ、でも待てよ。その保険金の出どころは毎月の給料からさっぴかれている訳で、 結局のところ自己負担であることは変わり無いのか。

11/16(Mon) 学校

「私は学校嫌いだった」 (ぢょしゅとほほ日記、11/15日分)。 なんだか自分と良く似ている。私も授業を聞かずに、教科書の先を読むか、 全然関係ないことをしていた。 でも学校は嫌いにはならなかったなあ。教師がうるさくなかったせいだろうか。 羽目を外して怒られることは良くあったんだけど。 中学に上がってからは、学校=演劇部となってゆくので、不登校どころか 一年365日のほとんど毎日登校することになる。 ただ、部活動へ傾倒するにつれ、クラスという単位には馴染めなくなっていった。 目的を同じくする集団かそうでないかの違いかな。

学校が保護された砂場であるということには同意。 だから、生徒がいろんなことを試せる実験場であって欲しい。 裏でこっそりフォローする教師は大変だろうけれど。

11/15(Sun) マウイ島放浪記

話は金曜日の夕方に遡る。

友人のLがにやにやしながら私のブースに現れて言ったのだ。
「Shiro, Robの講演を聞きに行かないか」
RobとはDreamworks Animation StudioのHead of Technologyで、 ハワイ国際映画祭の特別セッションとして、"Making of the Prince of Egypt" という講演に来ることになっていたのだ。 来月公開のDreamworks初のアニメーション映画 "The Prince of Egypt" は、 3Dと2Dの技法を極めて高度にミックスした作品として、そのスジの人々の間では かなり期待されている作品である。特にLは以前Dreamworksにいて、この映画の プリプロダクションといくつかのシーケンスの初期段階に係わっていたので、 出来をとても気にしていたのだ。
「いいよ。俺も興味あるから。明日だよね。えっと、場所は… あれ?」
ばさばさと映画祭のプログラムを繰る私の手が止まった。
「ああそう、Mauiなんだ。一人で行くんじゃ詰まんないからさ」
映画祭事務局は、何を思ったかこの講演をマウイ島にスケジュールしていた。 (ホノルルでやればうちの会社から大挙して押しかけるだろうに)。 しかし、私はこういう行き当たりばったりの旅は好きである。
「いいね。面白そうだ。飛行機のチケットを押えとくよ。」
こうして急拠、週末をマウイで過ごすことが決まったのだった。

翌朝9:00にオフィスで待ち合わせて、carpoolして空港へ。25分のフライト を経て、11:00前にはマウイ島Kahuluiの街をレンタカーで走っていた。 あいにく、かんかん照りと豪雨が10分置きに変わりばんこにやってくる とってもトロピカルでクレイジーな天候の中、 講演の会場であるMaui Arts & Culture Centerに向かう。 シアターはとても立派だったけど、こんなところにどれだけの人が集まるのかと ちょっと心配。開場の直前になっても人影がまばらなのだ。 しかし、開始時刻までには40〜50人は集まっていたろうか。 大部分は映画祭でハワイに来て、ついでに週末をマウイで過ごそうと考えた人達なのだろう。

講演はなかなかおもしろかった。技術寄りの話はまあ標準的なものだったのだが、 ふんだんにジョークを交えるRobの話に、 いくつかのシーケンスのstoryreel, layout reel, そして最終版の上映。 いくつかおもしろいエピソードも聞けた。そもそもの発端は、1994年中頃に、Spielbergと Katzenbergが雑談で、「面白いアニメーションの要素は」を議論していたことからだという。 「やっぱり主人公がいくつもの困難に直面して、乗り越えて行くってことだろう」 「モーゼの十戎のエピソードみたいなもんだね」「そうそう、ん、それいけるんじゃないか」。 で、'94年12月にプリプロ開始、'95年5月にプロダクション開始というから、 スタジオ自体が全くのゼロから作られている最中だったことも考えれば すごい機動力だ。いやむしろ、創生期だからこそ、かな。 それでも完成までさらに3年以上を要したわけで、アニメーションとは気長な作業である。 RobはLのこともよく覚えていて、Q&Aセッションでもジョークを飛ばしまくっていた。

さて、講演が終って早々と当初の目的は達成されてしまったのだが、その後のプランを何も 考えてない。Lが前回来た時、Lahainaで電動の妙な乗り物を見て、乗ってみたいと 言うのでLahainaへ向かう。件の乗物とはZappyとかいって、ちょっと大きめのスケボー (でも2輪)の前方に棒を立ててハンドルをつけたような形をしている。バッテリー駆動の モーターが入っている。借りてLahainaの街を走ってみる。なかなか快適なのだが、 ものの20分もしないうちにバッテリーが切れてしまうのには参った。 そうなると人力でショップまで戻ってバッテリー交換をしなければ ならないが、これが結構疲れる。2回それを繰り返したところで、 一体何をやっているんだかわからなくなって来たのでやめ。 適当にLahainaの街をぶらついて、夕食。

一応、空港に着いた時にKahuluiの近くのBed&Breakfastを押えて置いたので、 夜道をLahainaから引き返す。相変わらず、満天の星が見えたかと思うと前も見えない程の 土砂振りになる変な天気。クレイジーな天気に影響されたのか、Lがクレイジーなことを 言い出した。
「なあ、明日はHanaの方に行ってみようって言ってたよな。」
「ああ、だけど片道3〜4時間かかるから、朝早く出ないとな。」と私。
「どうせ宿行っても寝るだけなら、いっそのことこのままHanaまでドライブしちゃわないか。 寝るだけなら車の中でも十分だし、明日ゆっくり出来る」
「ん、それいいね。」
というわけで、宿をキャンセル。Hanaまで夜道をドライブすることとなった。 Kahuluiの隣街、Paiaを過ぎると、Hanaまではほとんど集落は無く、40マイルに 渡って曲がりくねった山道となる。二車線分の幅の無いところも多いので あまりスピードも出せない。雨がざんざか降る真っ暗な森の中のドライブは なかなかスリリング。結局Hanaに着いたのは10:30過ぎであった。

キャンプ場を探してうろうろしていたら、Policeの車が止まっていたので 道を尋ねる。「キャンプ場を探してるんですが」「どのキャンプ場だね?」 「いや、どこでもいいんすけど」「キャンプ道具は持ってるのかね?」 「車の中で寝ようと思って」「ハワイ州では、車の中で寝ることは禁止されているのだよ」 「がーん」
そんなこと今更言われてもどうにもならないので、Hanaの村から3マイル程 離れたキャンプ場へ行く。まあ村から離れればPoliceもあまりうるさくは言うまい。 で、眠る。

朝起きてみると、実はものすごく景色の良いところだったことが判明。 素晴らしい。顔を洗ってからHanaの村の中心部 (と言っても、売店が2軒程と、 ガソリンスタンド、レストラン、郵便局等があるだけだが) に行き、 Lodgeのレストランで朝食。 Hanaは大好きな場所だ。不思議と、そこに居るだけで 頭の中の余分な考えがどっかに消え去り、すっきりとしてくる。

さらに南下して、Seven Poolsへ。滝が連なるこの渓谷は、 以前来たときは時間が無くてちょっと見るだけだったのだ。 今回は、一番奥の滝まで往復4マイルのハイキングもしてみる。 このハイクルートが素晴らしかった。ハワイでこれまでハイキングしたルートの 中でもベストの一つに入れたい。途中いくつもの滝を通過し、 熱帯系の植物に囲まれたトンネルのような道や、 侵食によってえぐられた深い谷底を歩いていると、何やら異世界に迷い込んだような 気分になってくる。グアバの実がたくさん落ちてて良い匂いを放っていた。 途中からは、どういうわけか深い竹薮になる。日本の竹薮より密度が高く、 どちらを向いても見渡す限りの竹の中を、一筋のトレイルが延びて行く。 最後には100mはあろうかと思われる崖を豪快に落ちる滝が待っている。 途中で土砂降りにも見舞われてずぶ濡れになったが、十分行った価値あり。

その後下流の滝壷でしばらく泳いだり6mくらいの崖から滝壷にダイブしたりして、 腹が減ったので再びHanaで昼食。道が混むとまずかろうと、2時頃Hanaを出発する。 最悪4時間とみていたドライブだったが、思いのほか順調で4時過ぎにはKahuluiに 着いてしまった。4時を過ぎると、Museumの類は閉まってしまうので Kahuluiではあまり見るものが無い。行き当たりばったりで隣のPaiaの街まで 出てみる。Paiaはプランテーションの街として歴史の長いところで、 町並みが良い。Maui Artists Guild のショップはお勧め。 夕食もPaiaでとって、7:00頃に空港へ。結局、何も計画していなかった割には ぎっしりと楽しみの詰まった2日間となった。 だが、次に行く時にはキャンプ道具くらい持って行こう。

11/13(Fri) Meet Joe Black

Brad PittとAnthony Hopkinsというキャストのせいか、 長蛇の列が出来ていた "Meet Joe Black"。個人的には、Joe Blackという 友人が居るので、そいつをひやかすためにも観ておきたいところ。 人類の営みの歴史の中で、「死」は黙々とその役割を果たして来た。 しかしあるときふと思った。生の世界とはどんなものなのだろうと。 大会社を経営する社長Bill(Anthony Hopkins)の命を取りに来た「死」は、 きまぐれに、若者(Brad Pitt)の身体を借りてこの世に降り立ち、 生きることの感触を味わう。

プロットは、ある意味古典的だが面白い。「死」が乗り移った若者Joe Blackは Billのゆくところ何処へでもくっついて行って騒動を巻き起こす。 BillだけがJoeの正体を知っているが、それをおおっぴらに言うことは出来ないため、 Billのセリフはなかなか意味深なものとなる。「死/Joe」がBillの娘Susanと恋仲に なるに至って、Billはますます困った立場に追い込まれる。 ある意味これは役を入れ換えた「ファウスト」か。 メフィストフィレスがこの世の快楽を追い求めてグレートヒェンと恋し、 ファウスト博士は全てを悟ってメフィストを諭す。 料理次第ではいくらでも面白くなりそうなプロットだ。

だが残念なことに、製作の方のアンサンブルがいまいち。 個々のシーンで役者はいい演技をしているのに、編集がそれを殺してしまっている。 意図してやってるにしては無闇に長いし。 大仰なセットもどこかちぐはぐだ。音楽("Shawshank Redemption" なども 手掛けたThomas Newman) も妙に浮いている。実にもったいない。

ところで、急拠明朝よりマウイ島へ行くことになった。 一泊して日曜に帰って来る。報告はその後で。

11/12(Thu) The Bird People In China (中国の鳥人)

『もし飛べたら?』

ハワイ国際映画祭はまだまだ続く。今日は椎名誠原作ということで 楽しみにしていた「中国の鳥人」。 彼のエッセイの方はあんまり読まないのだけれど、SF的作品の方は大好きなのだ。

映画の方は、小説から設定だけ借りて、かなり違ったものになっていたが、 換骨奪胎というのか、なかなかそれなりに良い作品に仕上っていた。 水墨画に出て来るような中国の奥地の自然と、 ノスタルジックな村の風景。「伝統を作る」の伏線の張り方も良い。 終盤がちょっとくどくなるものの、爽やかな幕切れが用意されている。

急斜面を見下ろす構図というのは、絵としては結構撮りにくいものじゃ ないかなと思う。ただの素人考えかもしれないが。自分で写真を撮ってみても、 その場で自分が感じた距離感だとか眩暈感だとかはなかなか思うように映って くれないものだ。だがこの映画では、斜面にへばりつくような村の様子が とても良く分かる。そこに自分も居るような気になる。電気も無い村だけど、 そこで暮らす幸せが伝わって来る。心の故郷。

観た後、幸せになれる映画だ。

11/11(Wed) Nadya's Village/"May I Help You?" と自意識

今日はVeteran's Dayで休み。もともとは第一次世界大戦の終結日かなんか だったらしい。ヨーロッパでもこの日を祝っていると聞いた。 ちなみにVeteranとは退役軍人のこと。 多くの休日を平気で月曜や金曜に動かして連休を作ってしまう米国でも、 この日は固定であるから、それなりの重みを持っているのだろう。 あと日付が固定な休日は独立記念日とクリスマスくらいのもんである。


昨日に続いてハワイ国際映画祭、今日は昨年日本で公開されて話題になったと聞いている ドキュメンタリー、Nadya's Village 「ナージャの村」。 チェルノブイリから170kmのところにある村で、政府の立ち退き命令を拒んで 暮らしている数家族の一年間を追ったものだ。

監督の本橋成一はもともと写真家だというだけあって、 映画全体で一種のアルバムを観ているように感じさせる。 ベラルーシの田舎で、他の村人が立ち退いた後も、昔ながらの生活を続ける人々。 ナレーションは最低限に押えられており、インタビューめいたものもない。 言葉による説明を極力排している。 しかし、例えばカメラが追う8才の少女Nadyaが、荒れ果てたかつての村の学校に入り込み、 壁の「さようなら私の村」という落書きを眺める時、確かにメッセージは伝わってくる。 また、人の表情が実に良く捉えられていて、 村人達一人一人のキャラクターが自然に浮き出てくる。

だが驚きはその後にやってきた。本橋監督本人が来て、 コメントとQ&Aセッションがあったのだが--- スクリーンに映し出される美しい自然は、その土壌、河川、そこで捕れる魚などに 基準値をはるかに上回る放射能が含まれているということ。笑顔が実に愛らしいNadyaも 体内被曝しており、いつ症状が出るかは誰にもわからないということ。

映画中にはチェルノブイリの放射能事故を匂わせる描写はほとんど無いため、 何の付加情報も無く映画だけ観たら、過疎の村で自然の中に暮らす家族の姿、くらいにしか 思わないかも知れない。映画だけで語るべきことが完全には伝わらないのは、 ドキュメンタリーとしては欠陥であるかもしれない。ただ、監督のとても素直な感じの コメントを聞いていると、ああこれがこの人なりの作り方なのだなあと思えて来た。


ところで、映画の後の監督のコメントとQ&Aセッションで非常に気になったことがあった。 通訳の女性(多分英語ネイティブで、日本語を後から学んだのだろう)が、監督の喋ったことを かなり大胆に改変して訳していたのだ。ぽつり、ぽつりとした監督の喋りは確かに 通訳しにくかったのだろうが、語句を飛ばすのはともかく、 勝手な解釈を入れるのはまずいんじゃないか。 そんなことは言っとりゃせんだろ、と何度も突っ込みたくなった。

終った後で友人に不満をもらしたりしてたのだが、しばらく経って冷静に考えてみたら、 そう思ったのなら援助を申し出れば良かったのだということに気づき後悔。 お節介だと相手が思えば引き下がれば良いし。何にもしないでおいて後から何か言うのが 一番無駄なことなのに。

そういえば先日の学会でも、日本から来た発表者が質問が聞き取れず苦労する 場面があったのだが、後で同僚に「Shiro、マイクの所に行って通訳してやれば良かったのに」と 言われたのだっけ。荷物を持つとか、席を譲るとか、そういうのは全然抵抗ないのだけれど、 訳しましょうか、というのが言いにくいのは、これも過剰な自意識の裏返しなのだろうなあ。

11/10(Tue) Welcome Back, Mr. McDonald/東大生と自意識

観客の笑い声で、劇場が揺れているようだった。 ハワイ国際映画祭参加作品、"Welcome Back, Mr. McDonald"、 原題「ラヂオの時間」である。 まだ東京サンシャインボーイズが休眠する前に、舞台で観て大いに楽しませてもらったので、 映画になったと聞いてずっと観たいと思っていたのだ。 そしてその期待は裏切られなかった。

やはり、脚本が平均的なハリウッド映画にくらべて段違いにうまいと思う。 例えば、極めて論理的に導入される笑い。登場人物が、それまでの流れの中で 自然に選択したことがらが、後で自分達の首を締めることになるという、因果関係が ロジカルに可笑しいのだ。この可笑しさはどんな国の人にも通じると思うし、 実際、館内がこれだけ爆笑に包まれたのは、ハリウッド製Sitcomでもそれほど 無いことだと思う。

また、これは舞台脚本をやっていた強みなんだろうなと思うのだけれど、 各々のせりふが、ストーリーを進めるための都合で挿入されているのではなく、 劇中での経過の積み重ねの上で必然的に出て来るものになっている。 役者が「語らせられる存在」ではなく「語る存在」になっているのだ。 最終的に登場人物達は荒唐無稽とまで言える程に突っ走るわけだが、 それを納得させてしまうだけの語る力がある。

ただ、オープニング、リハーサルが終った後のスタジオの シーンのカメラは違和感を感じた。たくさんの人が入り乱れている中を カメラはせわしなくパンして特定の2〜3人の絡みを拾う。 Strangerの視点である観客を引き込んで行く工夫かなと思うのだが、 舞台ならば、特定の絡みに観客の注目を集めさせることは比較的容易なのにと 思ってしまう。

他にも弱点が無いわけではない。 同じく舞台作品をベースにした「十二人の優しい日本人」に比べると、 テーマが本質的に楽屋落ちの要素を含んでいる点で不利である。 また、舞台でやった時は、生舞台であるが故に生放送の緊張感がよりいっそう 出ていたのだが、映画ではカットによっては時間経過が曖昧になっているところがあって 若干面白みが失われたような気もした。それでもこれだけ映画で笑ったのは 久しぶりなので、星4つ半。


STABILIZEさんのところ(11/11付)で引用されている、 「東大生だからって特別視しないで」という東大新聞のコラム。 自意識過剰気味だけれど、その気持は理解できないこともない。 大学に入ったばかりのころは私もウブだったので、他人の反応を気にしたりもした。 しかしさすがに同じ大学に9年も通っていると、 どんどん図々しくなり、面の皮もどんどん厚くなり、それに従って東大生というラベルも 足の裏についた飯粒程にも気にならなくなっていった。結局どんな人生を送っても ラベルはついてまわるのだ。ラベルも時には便利だから、利用出来る時は使えば良い。 でもラベルは自分自身では無い。あたりまえの事なのだけれどね。

自意識に悩む若者には旅をすることを勧めとこう。旅先では、ラベルも肩書きも関係無い。 白紙の状態で人と出会い、いろんな話をする。自分の見えている世界からは想像もつかない、 人それぞれの世界がある。「トウダイ、何それ?」という世界の方がずっと広いのだ。

過剰な自意識に悩むのも、偏見でもって人を判断するのも、 所詮は暇人の遊びにすぎないと私は思っている。 明日をも知れぬ生活を送っていればそんなことを気にする余裕は無いはずだから。 それが悪いと言うわけではなく、むしろそういう余裕のあることを喜べば良い。 で、その余裕を悩むことに使おうが、快楽を追求することに使おうが、 何かを作ることに使おうが、それはその人の選択である。

私が自分なりに価値判断の基準としていることはある。 もし自分が明日死ぬと分かっても同じように感じるだろうか、ということだ。 明日死ぬかもしれない状況で、選べるとしたら、自分はどういうラベルを選択するか。 最後まで「私は○○だ」と胸を張って死んで行ける、そんなラベルがあるのなら、 そのラベルはもはやラベルでは無くその人そのものだと言えるだろう。 そう言えないようなラベルなら、気にするだけ時間の無駄である。

11/9(Mon) Lispは生き残るのか

もう11月だが、ハワイはやっぱりまだ暑い。 仕事を終えて夜遅く帰ってきても、クーラーをつけることがしばしば。 もっとも、つけなくても我慢できないという暑さじゃないのだけれど。 夜は風も出るし、ラナイで冷えたビールを飲むのに丁度良いくらいの気温である。

プログラミングの話。 金曜日にWebを見限ってから、Perl/Tkを利用してクライアント側のインタフェースを 組んでいる。Perlというプログラミング言語は、私の知る限り、世界で二番目に 奇怪な計算機言語だ。ちなみに一番目はkvikkalkul(*)である。 もっともコンピュータ言語は、奇怪さと実用性とに必ずしも相関は無いようで、 Perlは最も便利な言語の一つでもある。

個人的にはSchemeというLisp系の言語を利用した STkの方が使い慣れているし、 何よりSchemeのシンプルさが良いのでそちらを使いたいところなのだ。 「シンプルさ」というものの定義がはっきり しているわけではないが、直観的には「より少ない規則で、より多くの表現が可能なこと」 と言えるだろうか。極めて複雑な機能も、新たな規則を導入すること無く、 単純な機能の積み重ねで実現される。要するに覚えることが少なくて済むのである。

ところがSchemeに限らすLisp系の言語、熱狂的な支持者はいるものの、 どうも流行らない。ひと昔前のComputer Graphics業界ではLispが健在だった こともあって、業界に長いプログラマの人にはわりとLisp使いも居るのだが、 新しく採用しようとするとなかなか見つからないのが現実だ。 現在うちのディビジョンにはLisp使いが私の他に二人いるのだが、 マネージャーと副社長である。新しいLisp使いを見つけるのが困難な現状では、 Lisp系言語でプログラムを書いたら、誰かに引き継ぐということが出来ず、 私が永遠に保守してゆかなければならない。また、いくらLispで膨大なライブラリを 書いても、他の誰も使ってくれないということになる。

大学院にいた頃のように、自分の実験のために自分でコードを書くような場合は それでも全然構わなかったし、チームの後輩に「覚えろ」と命じて楽することも できたのだが、手段を問わずとにかく成果物を締切までに出すことが最重要な プロダクションにあってはそうも言っていられない。 ここにきてようやく、企業がLispを開発言語として採用するのにしりごみするわけも わかってきた。使い手がいなければ開発・保守は高くつく。使われなければ 使い手は育たない。悪循環である。

数千行のクライアントライブラリをSchemeで書いて、結局私以外の誰も 使わず、改めて全てをPerlで書き直したところ、ぼちぼち使ってくれる人が 出て来た。基本機能がほぼ固まったサーバの方もそろそろ助手を入れて 保守モードに入りたいところだが、数万行のCommon Lispコードを読める人が 入ってくれるかどうか。下手をすると全てC++で書き直す羽目になりはしないか と秘かに恐れている。

(*)KvikKalkul: プログラミング関係のニューズグループでは しばしば冗談で言語を設計するのが流行るのだが、中でもこれは傑作。 C++なんかのしちめんどくさいプログラミングに疲れた方は KvikKalkulのソースコードを眺めて微笑んでみるのもよろしいかも→ KvikKalkul Home Page

11/8(Sun)

今日のホッケーの試合は朝9:45スタート。涼しいかと思ったのだがあにはからんや。 ぎらぎらと照りつける太陽は真夏のそれと何ら変わるところなく、フル装備で ちょっと滑べるだけで汗だくになるくらいの暑さだった。 試合の方は4-2で勝利。少しづつだが要領が分かって来た気がする。

11/7(Sat) Charles-Valentin Alkan

数冊の楽譜は、注文してから6週間もかかってようやく届いた。 昨日楽譜屋で受け取って来てから、明け方までさらっていた。 一生かかっても自分では弾けるようにはならないだろうけれど、 弾いてないと頭の中を曲がぐるぐる回って眠れない。 私はとりつかれてしまったのだ。

Ch. V. Alkan(1813-1888)。 ショパン(1810-1849)やリスト(1811-1886)と同世代の作曲家で、 その作品はほとんどがピアノ曲である。ピアニストとしての腕は、 「超絶技巧練習曲」等を著したリストでさえ一目置いていたという。 実際、ちょっとしたスケッチのような小品を除けば、 彼の作品はどれも超難曲の部類に入る。 リストはピアノの限界をどこまでも突き詰めて、先人の交響曲をピアノ曲に アレンジしてしまったが、Alkanは自分で「交響曲」「協奏曲」と 題したピアノソロ作品さえ書いてしまった。

あまりAlkanの人生について知っているわけではない。ピアニスト・作曲家として パリのサロンでもてはやされていたショパンやリストと違って、 人づきあいをほとんどせず、家に籠ってピアノばかり弾いていたらしい。 クリスチャンでもあったらしいが、宗教的な色彩はあまり感じられない。 それどころか、彼の作品には生活のにおいさえあまり無いように思える。 人生の悩みとか、愛の喜びとか、美しいものを前にして震える心だとか、 他の作曲家の曲にはいかにもありそうなそういう感情は、Alkanの曲にはあまり ピンと来ない。

彼の曲に込められているのはむしろ、ピアノを弾くことそのものへの喜びだ。 ひたすらピアノという楽器を鳴らし、歌わせ続ける恍惚。 それは、陸上選手がひたすら走り続けたり、ボクサーがひたすらサンドバックを 叩き続ける時に感じるような恍惚ではないだろうか。 汗だくになって弾き続ける時、彼は聴衆さえ必要としない、至福の快楽にあったのでは ないだろうか。

もちろんその快感は、ひたすら訓練に耐え技術を磨き、芸を深めた者にしか到達できぬ 境地であろう。だが私のような素人にもその片鱗をかいま見ることくらいは出来まいか。 無理と分かっていても、快感を求めてまたピアノに向かってしまうのだ。

11/6(Fri)

大きな間違いを犯していたかもしれない。

仕事で書いている一種のデータベースサーバ。デフォルトのフロントエンドに Webを利用していた。クライアント側の環境がまちまちなので、当初、 汎用のWebブラウザを使ってもらうのが手っ取り速いと判断したのだ。 しかし、http/htmlはUIDL (User Interface Description Language) ではない。 高度にインタラクティブなアプリケーションのフロントエンドとするには制約が多すぎる。 必要に応じてjavaやJavascriptも使ってちくちく作っていたのだが、 よく考えたら、Intranetでしか使わないのだから、 自分でクライアントプログラムを書いてしまったほうがずっと速いではないか。 Tk等で書いておけばクロスプラットフォームに出来るし、 開発期間は縮まり、使いやすさは向上し、良いことずくめである。 クライアントソフトのメンテナンスという作業が増えるが、その分 サーバ側が楽になっているのでメリットは大きい。

それというのも、数日前に、必要に迫られて数時間ででっちあげた クライアントプログラムが本来のWebインタフェースより好評だったから なのだ。いくら苦労しても、できたものが使いやすくなければ何の意味もない。 当初から、複雑な編集業務はクライアントソフト込みで開発するものとし、 Webは情報のブラウジングとちょっとしたフォームの使用のみに止めておくべきであった。 餅は餅屋。何でもかんでも一つのもので済まそうというのはやはり間違いである。

11/4(Wed)

先日顎の傷の治療を受けた病院からbillが届く。 何と$160(プラス「糊」代が$16.25)。保険で全額カバーされるけど、 こりゃ保険無しじゃうかうか怪我も出来ない。

ここ2〜3週間、ハワイでは雨が多くなっている。 降りっぱなしってことは無くて、気がついたら降ってて、気がついたら止んでる という感じなんだけど、何か湿度が一段と高くなっているようでちょっと不快。 今朝のホッケーも、行ってみたらリンクが水浸しで中止。 引き返して来る時には雨が上がって、目の前に大きな虹が出た。

現在関わっている映画プロジェクト、昨日遂に東京でプレスリリース。

11/3(Tue) Soldier

面白いじゃん。批評ではこき下ろされているSci-Fi movie "Soldier"。 もうどこかで観たようなありがちの演出ばりばりで、B級映画の王道を行ってるんだけど、 だから何? たっぷりと思わせぶりな間の後に、「そこだ、行けー」とばかりに来るアクション。 設定は分かりやすすぎるし、キャラクタがうすっぺらだし、 筋はミエミエだけど、それでも楽しめる面白さはある。 但し、深い映画が観たい人はやめておいた方が良い。

簡単にプロットを紹介すると、赤ん坊の頃からひたすら戦士になることのみを 教育され、ひたすら戦場で戦闘マシンとして使われて来た Todd (Kurt Russell)が、 遺伝子工学によりチューニングされた新しい戦士達が導入されたため お払い箱となり、宇宙のゴミ捨て場となっている遠い星に捨てられる。 しかしそこにはゴミを漁って細々と生きているコミュニティがあった。 戦い以外のことを知らないToddはコミュニティに馴染めず追放されるが、 コミュニティが危機に瀕した時、再び戦士として立ち上がる。 行けぇ、Todd。悪い奴等をやっつけろ。

11/2(Mon) レストラン経営も楽じゃない

先週2回程行った、新しくKapiolaniにできたレストランにまた行く。 と、$10-$15だったメニューが$13-$18くらいに値上がりしているではないかっ。 まあね、料理の質からして、前の値段が安すぎたんだけどね。 今の値段がむしろ妥当と言えるだろう。 でも、むちゃくちゃコストパフォーマンスが良いレストランを見つけたと思ったのになあ。

ただ、2回目に来た時は1回目より量が減ってて、今回は量は戻って値段が上がってたり、 ソースが毎回微妙に違ったり (各人は毎回別のものを頼んでいるのだが、前回友人が頼んだ ものを頼んだりしているので違いが分かる) と、できたばかりで試行錯誤する レストラン経営の裏がかいま見えるようで楽しい。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net