1998年4月

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4/15(Wed)

3週間程続いたハワイのrainy season(だったらしい)がようやく明けて、 再び夏が戻って来た。とにかく数日前までは、燦々と晴れてたかと思うと 土砂降り、という天気だったのだ。まあ、"No rain, no rainbow"という sayingもあるから、それはそれなりに悪くない天気だったのだが。 雨で中止がちだったホッケーも久々にintenseなゲームを楽しめた。 しかし、フェンスに激突して背中を激しく打ってしまった。背骨が痛い...

日本で最近発売されたスクウェアマニアックスとかいうムックの付録CD-ROMに、 昨年のSIGGRAPHでのインタビューが収録されていることが判明。 そうか、何故ファミ通が取材にテレビカメラを持って来るのだと疑問に思っていたら そういうことだったのか。 同僚に見せられたのだが、俺ってこんな間抜けな顔だったっけか? そういえばあの時は数日間徹夜してたから顔形が変わっているのかも (そんなわけない)。 生の自分の映像を見るというのは妙に気恥ずかしい。 自分が立っている舞台のビデオを見るときはそんなことは無いのだけれども。 まあでもこの間抜け面を普段人前に晒しているのだから、 いまさらじたばたしたって仕方無い。

LAのスタジオも映っていて懐かしい。 あの頃とは随分様子が変わってしまっているはず、と言っても昨年夏のことだが。 うちのようなよくわからない会社では、一年先も同じ生活をしているなどとは 考えない方が良いということが良くわかる。 安定性を求める人にはとにかく向いていない会社である。

4/14(Tue)

自分にも出来ないことなのに、人が出来ないからといってちょっと責めてしまった。 自分には見えている巨大な問題点が、その人には見えていないようだったので ついいらいらしてしまったのだが。 相手にしてみれば全然違うふうに問題を捉えているのかもしれないのだ。 でも、冷静になって考えてみてもやっぱりこのままじゃ動かないような気がする。 相棒はものすごく頭が切れるし、私なんかよりはるかに豊富な経験を持っていて、 説明にも筋が通っているのだけれど、 ユーザの視点との間に深いギャップがあるような。 私のほうがありもしない問題を見ている...という可能性もあるな。

4/13(Mon) プログラミングについていろいろ

ここ5日程(含旅行中)、現行システムのデザインの未解決な部分をどうするかで 悩んでいたのだが、夜10時頃いけそうなアイディアを思い付く。 明日のプレゼンで見せたいので、急いで仕様をまとめつつ実装にかかる。 今1:20am。ちょっと一休みしてこれを書いている。

プログラミングというのは、日本的な理系文系の区分で言うと 「理系」的なものと思われることが多いようだが (最近は変わって来たかもしれない)、 物理や数学よりは、文章を書いたり絵を描いたり曲を作ったりすることのほうに 近いように思える。いや、私自身の頭が物理や数学向けに出来ていないから そう思うだけかもしれないが (←理系ばりばりの学部を卒業しておいて何だと 突っ込まれそうだが、物理学科や数学科の連中と話をするとやっぱり脳の構造が 違うことがわかるのだ)。

物理や数学とどう違うかというと、 特にデザイン段階においてエンジニアの創作者としての個性に依存する部分が 大きいのである。 物理学者や数学者にも研究のスタイルというのはあるだろうが、 最終的な検証段階というのは自分を越えた世界 (神でも、自然でも良いが) に お伺いをたてるしかない。それに至る道筋におけるスタイルの違いというのは、 仕様が与えられた段階でそれぞれのプログラマがとる問題解決のスタイルの違い と対応するように思う。実際、仕様がある程度定まってからの道筋というのは 極めて「理系」的である。

だが、現実に問題となるのはむしろ、仕様が出来る前の段階である。 何かに対してコンピュータを道具として使いたい、 しかしどのように使えばよいかが明らかでない、という段階から、 どうやって形にしてゆくか。 ソフトウェアの仕様というのは、コンピュータの中で閉じたものではない。 どんな人が、どんな状況で、どういうふうに使うのかという絵が詳細に頭の中に 描けてはじめて、出発点の仕様を決めることができる。 そこらへんは、多分工業デザインとか建築デザインなんかと 全く同じなんだろうと思う。 その過程では数多くの解が存在し、どれを取ってどれを捨てるかというのは (出来るところまで検証するにせよ) 最終的には勘というか、センスによることが大きいと思う。

私の場合は、どうやら映像的に考えるように脳ができているらしく、 「出来上がり図」が頭に浮かばないとてんで駄目である。静止画ではなく 動画で、ソフトウェア内部だけではなくそれを使うユーザ、そのユーザを とりまく環境までを含んだ図である。しかもそこにいるユーザは、 大衆の中のアノニマスな一人ではなく、 極めてスペシフィックな人物でなくてはならない。 この図が何でもない時に突然 ぽこんと浮かんでくることもあるし、なかなか浮かばずに苦しむこともある。 図が部分的にでも見えて来たらそれを文章に書き下してみる。 人にコーディングしてもらう時はそれが仕様書になるし、 自分だけで使う場合はソースコードの中にコメントとして書いて行く。 その後のコーディングはただの作業である。

正確を期すために言うと、数学専攻の同僚なんかのスタイルを見ていると、 数学的なプログラムの書き方、というのもあるようだ。 最小のルールから最大の機能を引き出すような設計をする。 出来上がるものは非常に綺麗で、汎用的なものとなる。 ただ、そのデザインを見ていると、時々「ユーザの顔が見えない」という 気がすることがある。プログラマとしての自分は、要求される全ての機能を そのデザインが含むことを理解できるのだが、プログラマでないユーザが 初めてそれに触ったときどう感じ、 普段の生活の中でそれをどのように使って行くのか、 というところが見えないのだ。

それとも、自分の頭がユーザ寄りの部分の設計をするように出来ていると 考えた方が良いのかもしれない。外部からは見えない、システムのコア部分の 設計はそれが得意な人に任せて、外部から見える部分を自分が担当するのが 理想なのだろう。それだけ人が居ればの話だが。

追記:4:00amの段階で詰まってしまい、帰って来た。 とりあえずひと眠りしつつ考えよう。

4/12(Sun) Kauai島

ハワイはこのところ雨がちで、Kauai島旅行も天気が心配されたのだが、 風が強く時折通り雨があるものの全体的にはなかなか良い天気であったと 言えるだろう。何しろ年平均降水量世界一(11500mm/year)の島、 全く降らないということはありえない。

昼はカヤックやボディボード、ビーチバレー、夜は徹夜麻雀 といかにもリゾートな日々(?)を過ごして来た結果、睡眠不足と筋肉痛で へろへろになって帰って来た。

映画チームの結束を図るためという意味合いが強い今回の社員旅行。 既に本プロダクションに入り、決して時間に余裕があるわけではないが、 個人的には「忙しいから遊んでられない」という考え方は好きではない。 忙しいとは心を亡くすと書くと言われるが、まさに、 遊ぶことさえできなくなったら精神的に危険な状態だ。 もちろん締切前になったら、旅行どころか寝る時間さえも捻り出すのが 困難になるのだが、それでも常に遊び心は持っていたいものだ。

と言うわけで、今日も夕方空港から帰ってからオフィスに出て、 その後友人宅の飲み会に参加。明日は晴れれば朝8:00からホッケーだ。 遊びもあるからこそ、仕事もはかどる。

4/9(Thu) わからないこと

最近更新が滞りがちなのは、夜中過ぎまで仕事しているか、 明け方近くまで友人と飲んでいるから。 と言っても仕事上のストレスがたまっているとかいうわけでは無い。 むしろ仕事は心理的に楽になりつつある。仕事量は増えつつあるのだけれども。 ワーカホリックだろうと言われると返す言葉はないかも。 ただ、常に気を付けていることはある。 身体と心の言葉を聞くということ。 それを忘れるとひどいしっぺ返しにあうはめになるから。

人間が、自分の心や身体に嘘をつく能力というのには驚嘆すべきものがある。 嘘をつけばつく程、自分の心身を追い込んでいることに気づかない。 嘘をつけばつく程、その殻が壊れたときを見るのが怖くなる。 それでも本当に心が欲していることに目をつぶるのは、精神的自殺に等しい。 だから、そういう思いはもうしない、と決めたのだ。

悩んでいる人を見て、言えることは一つだけ。 本当にしたいことは何なの。 それが分かっているのなら、実現できるように、出来るだけの援助をしよう。 それが見つけられなくて悩んでいるなら、見つけられるように、 出来るだけの援助をしよう。 けれど、本当にやりたいことが分かっていないということを分かっていない人に 対しては、どうしたら良いのだろう。それはまだ私には分からない。

ところで、明日から3日間、社員旅行でKauai島へ行くのだ。 忙しいけど、遊ぶときは遊ぶ。 よく働き、よく遊べ、が我社の社訓である (嘘)。

4/6(Mon) 決心

反省することしきりの今日この頃。 やっぱり待ちに入ったらいかんね。 もちろん、誰かが仕事やってるときそれを待つ忍耐というのは必要なんだけど、 そうではなく、誰もやりそうにない仕事を待ってるのは意味がない。 たとえそれが自分のやるべき仕事ではないとしても。 今はちょうど、バレーボールで皆の真中に球が来て、 誰も手を出せないというような状態。 それなら例え誰かとぶつかることになろうと、 自分から動くしかないじゃないか。

...と、ここ2週間ばかりのもやもやに決着をつけて、動きはじめる。 やれることは全てやったと胸を張って人に見せられるものを作らないのは、 限りある人生の貴重な時間の浪費でしかない。

4/30(Thu) ユーザの視点

Stephen Kingのコーナーは、 Yahooに登録しているせいかもしれないが、時々メイルで感想を頂く。 皆さんそれぞれ思い入れがあって、私だけが読むのではもったいない。 ということで、投稿受け付けコーナーなど作ってみた。 しかし往々にして、せっかく作ると全然メイルが来なかったりするんだよな。

さて、プロダクション全体の流れが整理されて、やっとコードを書きはじめられる と思ったのだが甘かった。昨日の決定事項に基づく新しいワークフローを 実働部隊に伝えて回らなければならない。そのへんの作戦を プロダクションマネージャ(以下PM)のF君と練る。 PMというのはプロダクションの縁の下の力持ち。 人に仕事をさせるのが仕事、と言うと誤解があるかな。 人が、それぞれの得意分野で才能を発揮できるように 物事をうまくアレンジする役割と言ったほうが良いかも。

我々開発側の人間が、いくらユーザ視点で考えようとしても、 どうしても機能中心の見方が残ってしまう。それに対し、 PMの視点はあくまで人間中心だ。鋭い突っ込みのおかげで、 こっちもどんどんクリアになる。 どんな道具を作っても、使うのは人間。「ここでこの入力が必要になる」 と言うとき、誰がどういう状況で入力するのかということが見えてなければ、 結局そのシステムは使い物にならない。

PMという立場は、人間を実に良く見ている。 人間は機械の歯車ではない。人それぞれの得意な分野を パズルをはめ込むようにつないでいった時、 メンバーの総和以上のものを作り出すことができるのだろう。 しきりと感心の一日であった。

4/29(Wed) 生徒と教師は対等か

決めて来た (昨日の日記参照)。 これがゴールではなく、やっとスタートに立ったわけだけれども。 少しづつ、少しづつ、全員の向かう方向が明確になって来る。 方針決定まで待機状態になっていたタスクが一斉にアクティブになったが、 今日は段取りだけつけて世間並みの時間に帰宅。 久々に自炊。と言ってもカレーだけど。


所沢高校の卒業式・入学式問題に関する朝日新聞 (http://www.asahi.com/paper/edu/kyouiku.html) の特集を読んで。 遠く離れていても、やっぱり気になる。 私の母校も同じような校風だったので、他人事ではないように感じるのだ。 そこで、例によって青くさい正論をぶってみよう。

この手の話で、生徒の権利を認めるべきだとか言うと、 子供の権利だとか言って甘やかすからだめなんだということを言い出す人が 時々いるのだが、まったくもって理解しがたい。 権利を認めるということは、ぶっちゃけて言えば、 「手前の尻は手前で拭え」と言うことである。 自分で決めたんだから、自分でオトシマエつけろよ、ということである。 世の中には、ただ黙って叱られてたり、頭を下げたり、 校庭10周させられたり、あるいは人になすりつけたりするだけでは 済まないことがある、と心底から思い知らせることである。 これを甘やかしていると言うのだろうか。

こういうのは実際にそういう事態に直面して失敗を繰り返さなければ なかなか理解できないことだと思う。 だが、社会人になってから失敗するのはリスクが大きすぎる。 ある程度フォローしてくれる人がいる環境で経験を積み重ねるのが 理想的なのではなかろうか。 地域や家庭の役割だろうという反論もあるかもしれないが、 実際に社会に出る前に、ある程度の規模で「社会のシミュレーション」が 出来る機会としては学校が最適であろう。

自分が動けば人が動く、ということを体験し、 自分の個性、他人の個性を知り、 やればできるという経験を重ね、 そしてもうひとつ欠かせないのは、 (その時点での)自分には決して出来ないこともあるということを知ること。

敢えて言うと、それこそが 学校で学べる最も重要なことだと思う。

学校は勉強をするところだ、という向きもあるかもしれない。 でも考えてみて欲しい。 どんなにうまく教えても、中学や高校までに学べる総知識量やら技術やらは たかがしれている。 例えば英語。 中学高校の6年間の授業以外に英語に接すること無く、喋れるようになるか。 まず無理だろう。 では、英語を使えるようになるためには塾に行ったりしなければならないのか。 決してそんなことはない。もしそうなら私は今頃日本に逃げ帰っているはずだ。 学校英語だけで渡米して、英語で生活も仕事もできたのは、中学高校で 「英語を勉強するためのエッセンス」を習っていたからである。 学校で学ぶことは、知識の多さでも、実用的な技術でもなく、 知識をどうやって身につけるか、技術をどうやって身につけるかという 方法である。そして、身につけることに伴う快感を知ることである。 もとをたどれば人間も猿と一緒、 キモチイイとわかれば勝手にやり続けるんである。

さて、表題の質問。私の答えはyes and noだ。 生意気盛りの高校生に、対等な人間として接し、時には人間的な弱味さえ見せ、 だがその生徒が長じた時に、彼に見えないところでさまざまなフォローが あったことを知り、改めて尊敬し、 今度は酒を飲みながら語り合いたいと思う。そういう関係。

どうですかね、啓之先生。 (ここ読んでないと思うけど)

4/28(Tue) 勝負処

"Good Morning".
仕事帰りにアパートメントのセキュリティに声をかけられた。 そうか、5:00amだからもう朝なのだな。

明日(というかもう今日)の10:00amからのミーティング資料を作っていたのだ。 今度のミーティングはアイディア出しではない。 プロダクションの方針決定のミーティングである。 これまでさんざん紛糾してきた議題だが、もう延ばせないところに来ている。 一回で決めなければならない。 だからこそ、この2週間を分析と個別の討論に費してきたのだ。

さて、3時間くらい寝て、シャワー浴びて、 最後の見直しをして、決めて来ますか。

4/27(Mon) 敬語が下手になってゆく

...と最近感じることが多くなった。 社内ではさほど言葉に気を使わなくても良い会社ではあるのだが (ほとんど丁寧語だけで充分)、その丁寧語さえも危うくなってきたのだ。 いかにくだけた会社とはいえ、さすがに副社長にタメ口はまずかろう。 だが、議論の最中にふと頭がこんがらがってしまうことがあるのだ。

これが、英語では、誰であろうが "you" である。 もちろん英語でも丁寧な表現はあるし、丁寧な会話の持って行き方もあるのだが、 特にこの業界、回りくどい表現よりは言いたいことをはっきり言うほうが 好まれる。よく使う手としては、ワンクッション置いておきながら 言いたいことには強い表現を使う、というもの。例えば適当にでっちあげると、 "I might look over something, but considering the circumstances, I believe we have to take the risk." みたいな。 これ、日本語で言おうとすると、後半部分でやっぱり「〜であると考えます」 みたいになってしまうと思う。

また、ジョークというか、ちょっとした突っ込みを入れて場をやわらげるのも 英語ではよく行われる。これも、相手が社長だろうとお構い無しである。 笑って流せる範囲での話であることはもちろんだが。 日本語でも出来なくはないが、リズムを崩さずに敬語で突っ込むのは 結構難しいと思う。

特にここ1〜2週間程は、喋りながら「あ、いけね」と思うことがとみに 多くなっている。昼間のほとんどの時間を会議みたいなことに費しているから ミスする回数が多くなっているだけかもしれない。

4/26(Sun) 見えないものを見る能力

ぶらりと本屋に立ち寄ったら、ゴッホ全集(Walther/Metzger, 1993) を$40で売ってるのを見つけ、即買い。厚さ10cmはあろうかという本 (というか箱)をかかえて食事に行く。重い...

妹を含め、美術畑に進んだ友人は多いのだが、 私自身はそれほど絵画に興味は無かった。数年前に上野でゴッホを見るまでは。 その時は確かクレラー・ミュラー美術館のコレクションが来ていて、 たまたま友人と観に行ったのだ。 凄い人出で、まるで満員電車のような人混みの中で、 私は彼の絵の前で立ち尽くしていた。

何というか、それは、それまでに体験したことの無い感覚だった。 一言で言うなら、「ああ、わかった」という感覚。 私はそのとき初めて絵を「見る」ことが出来たのかもしれない。 それまでの見方は、絵を死んだものとして、客観的に眺めているに過ぎなかった。 だが、主体的に絵と向かい合ったとき、画家の眼差しがはっきり生きていることを 感じたのだ。絵を見つめる自分の眼と、対象を見つめる画家の眼が重なったような 気がした。たとえ錯覚であっても、それは心地よい体験だった。 芸術だの何だのを持ち出す必要の無い、原始的な快感だった。

「目に見えているもの」ってなんだろうか、と時々考える。 写真のような映像は網膜に映っている像のコピーに過ぎず、 脳まで届く情報は大幅にフィルタリングされる。 そもそも、「写真のような」高い解像度を捉えられるのは 網膜の中のほんの一部分に過ぎない。 瞬間瞬間での網膜細胞の出力は、それを画像に再合成できたとすれば、 視野の中心部以外はひどくぼやけている筈だ。 視野の全範囲にわたって画像が見えているような「気がする」のは、 視野をスキャンした短期的な記憶と、世界に関する知識とを元にして 脳がそのような光景を作り出しているからである。 逆に、必要な知識や視神経の結合が不十分であれば、網膜に十分な刺激を 与えられても、その人は「見る」ことはできないだろう。 このへんは動物実験で確かめられていたと思う。

また、視覚に限らず全ての感覚器からの刺激のほとんどの部分は、 明白な意識にのぼる以前に処理され、フィルタリングアウトされてしまう。 注意というふるいにかかったものだけが、意識にのぼることになる。 目に入っているけれど見ていない、という現象は、 他のことを考えていたり、疲れている時などに誰もが経験することだ。

そういう経験をしているにもかかわらず、 人は自分が知覚しているもの以外を見ようとしないことがある。 "Seeing is believing" とはよく言ったもので、 自分の目に見えているものだけが現実であると思い込んでしまうのだ。 だが、感覚が低下して普段見えるものが見えないということがあるのと同様に、 感覚が鋭くなり、普段見えていないものが見えるということは確かにある。 それはディテールの知覚や、色彩のダイナミックレンジの拡大や、 美しさの感覚として現われる。 そして、「世界はこんなものさ」と鈍りかけていた神経に喝を入れられるのだ。

でも、私にはそんな瞬間は時々しか現われない。 だから、画家の眼差しには憧れと羨望を感じる。 私が普段見えないものを見ている人達。 彼らはどんな風に世界を観ているんだろうと思いを馳せながら、 ぼーっと部屋の壁の絵を見る。

4/25(Sat)

"City of Angeles" は「ベルリン・天使の詩」(Wings of Desire) の リメイクという位置づけらしい。少なくともオマージュであるとは感じていたが。 静謐な美しさという点では「ベルリン〜」の方が私は好きだが、 "City〜" みたいな方が受けはいいかも。 でもやっぱりニコラス・ケイジはちょっと違うかも。

4/24(Fri) City of Angeles

もう一月以上も映画を観ていない。これではいかん。 金曜の夜だし。ということで友人と新聞をみて作戦を練る (こちらでは「ぴあ」のような情報誌は無いが、 新聞に映画館のスケジュールが載っている)。 ところが出がけに打ち合せにつかまる。仕方無いので夕飯をパスして、 ぎりぎりで打ち合せを切り上げ、映画館に駆け込む。

映画はCity of Angeles。「ベルリン・天使の詩」みたいだなあとか、 Nicolas Cageはぼーっと立っているとMessenger of Godというよりは 只のストーカーだなあとか、ずいぶん都合良く話が進むなあとか 思ってみていたのだが、最後の15分で不覚にもじわりとなった。 Meg Ryanの表情と、Malibuの海岸と、Lake Tahoeの森と、 そのへんの美しさが、ともすれば月並になりそうな題材を危うい所で 救っている。Los Angelesを俯瞰する映像もああ撮ると綺麗だなあ。

4/23(Thu) 会議な日々

いよいよ詰めの段階に入って来て、 コアな3人を中心に適宜関係者を召喚しつつ細部に関して話し合う。 ずいぶん話が進展した。やっぱり人数少ないと話がはやいねえ。 それにしても腹が減ったと時計を見て気づく。7時間話し続けていたのだ。 話が進むわけだ。

明日はトロントにあるA社とビデオカンファレンス。 時差があるから仕方ないとは言え、朝9時から会議である。 うちのような会社で、朝9時に出勤を要請するというのは もう極めて異例のことなんである (前日から帰らずに朝9時を迎えるってのは通常のオペレーションなのだが)。 コーディネータの人なんて気を使っちゃって、 「ドーナツ用意しておきますから来て下さいね」なんて言って回っていた。 そこまでせんでもとも思うけど、やっぱりドーナツがあると思うとちょっと嬉しい。

たかだか30年に満たない人生でも、これまでいろんな寄り道をして来たのだけれど、 不思議と現在の問題解決に、過去の経験が役に立つのに驚かされる。 ずっと前に興味と好奇心だけでやっていたことが、思わぬところで効いてくるのだ。 今直面している問題点は、まるで芝居の舞台監督の仕事 (の一部) と同じである。 そして要求される知識の数々は、CXで押しかけアルバイトをしていた頃だとか、 高齢者のケアを行うNPOの団体にパソコンを導入しようとしていた頃に得た 知識の応用である。どれも、相互につながりがあるわけでもないし、 将来役に立つなどということは全く考えていなかった。

もちろん、問題のとらえ方そのものが、過去の体験に基づいて構成された世界観に よるものだと考えれば、つながりがあっても当然なのだが... むしろ、人生そのものが時間を超越して織りなされる網のようなもので、 過去も未来も相互につながり影響し合っている、そんな気がしてくる。

4/22(Wed) ねごねごな日々

なかなか終らないミーティングをだらだらとやっている時期ではないので、 主だった人々の元を回って説得して歩く、ネゴシエーションの日々。 了解をとっておいて、本番のミーティングで一気に決める作戦である。

世界の見え方は人それぞれである。こんな当然のことが、 いやむしろ当然すぎるだけに、忘れられがちだ。 「あいつはわかっていない」と言い切ってしまうのは極めて危険である。 自分に見えている問題点というのは他人にとっては問題ではないのかもしれない。 いろいろな人が見る、様々な現実の断片をつなぎ合わせて、 はじめて全貌が見えてくる。それさえも、自分なりの見方でしかないのだけれど。

相手の言うことをただ聞くばかりでは発散するだけだし、 かと言って勝手に自分でまとめてしまっては重要な部分、 自分には見えていない部分を見落とすおそれがある。 コーディネーションとは、押しつけであってはならないし、 かと言って御用聞きでは意味がない。 常に気をつけているのは、 目的をはっきりさせること。 自分に見えている世界をフランクに伝えること。 それには、自分に見えているものは所詮断片に過ぎないと開きなおることが 肝心なように思う。

4/20(Mon)

土曜は一日仕事。休んでいた同僚を夜10時頃に携帯で呼び出して 午前1時まで打合せにつき合わせる。極悪人になりつつある。 日曜はイラン出身の友人宅でイラン料理の昼食会があったのだが、 夕方までわいわいやって帰って来たら、そのあとぱたんと寝てしまった。 変な時間に寝ると変な時間に目が覚める。 私はいつでもどこでも眠れるという特技があって、そのまま寝ていても よかったのだが、ついついやりかけのゼノギアスなどに手を出してしまって 今度は朝がつらかった。やっと何かと噂の2枚目に突入。ふう。

先週までのいろんな人との会話で、 自分の中ではプロダクション内の情報の流れが非常に明確になって来た。 今度はそれを説明して皆を説得しなければならない。というわけで ドキュメント書きと、それを持って関係各位に説明して回る一日。 仕様書とかマニュアル、説明資料の類を書くのは もともと好きである。文章の量でもって仕事のはかどり具合が目に見えるから。 もちろんそれ以前の分析・理解・決断のプロセスがあってこそなのだが。

4/17(Fri)

2〜3人でのブレーンストーミングを、メンバーを変えつつ朝11時から夜1時まで 延々と行う。かなりアイディアが具体化してきた。 ただ、皆を納得させるには、具体的なものを作って見せる必要があるだろうな... 決定もASAPに行なわなければならないし、やはり週末を潰すか。 パーティには行くけど。

3つほどがっくしすることが重なって気分はちょっとdepressed。 LAでも一緒に働いた、モーションキャプチャの専門家、 陽気なブラックのDがこちらにも契約で来ていたのだが、 LAに戻らなければならないらしい。奥さんを説得出来なかったそうな。 彼に代わる人材はそうそう見付けられないし、何より居て楽しい奴なので残念だ。 ホッケー仲間でもあったカナダから来てたアニメータが転職することに。 行き先はかのILM。彼のキャリアにとっては喜ばしいことだけど、寂しくなるな。 もうひとつはまあプライベートなこと。 もうちょっと早く行動しておけばよかったかな。 もじもじしているのは駄目だねやっぱ。

4/16(Thu) うはうはStag Party

背中はまだ痛い。日常生活に支障はないのだが、気になる。

前回、粉糾の末、4時間かかってみんなへとへとになったミーティングの続き。 開始時はなんかみんな警戒しているようだった。 まああの雰囲気はもうごめん、ってのは私も同じこと。 そこでミーティングの最初に 「俺は6時から約束があるから2時間で終らせるぞ」と宣言。 議長・通訳の権限で強引に話を進める。 なんだ進むじゃん。待ちに入ると泥沼化するってことだね。

夜は、 もうすぐ結婚するホッケー仲間のために野郎共で集まるパーティだったのだ。 bachelor partyと言うのかと思っていたのだが、いろいろ呼び名があるようで、 上品な言い回しではgroom shower。友人はstag partyと言ってたな。 要は、男だけで集まって、まあ奥さん同伴じゃなかなか行けないような 店に繰り出して騒ぐというもの。 アメリカーンな感じかと思っていたら、さすがハワイ、アジア系が多くてグッド。 「こいつ、もうすぐ結婚するんだ」と言うと、 店のほうも心得たもので、なんだがすごいことになってたのであった。

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Shiro Kawai
shiro@lava.net