1998年3月

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3/31(Tue)

現在開発中のプロダクションの基幹に使うサーバソフトウェア。 4/1試験運用開始と公約した手前、ここ1週間程はかなりきつかったが、 4/1 1:30am現在きちんと動いているようなのでひと安心。

プログラミングを生業としている身ではあるけれど、 業務に深くかかわるにつれ、コンピュータってのは結局数あるソリューションの うちのひとつに過ぎないのだなあとつくづく思う。 もちろん、コンピュータグラフィクスを作るにはコンピュータが 必要だということには疑問の余地はなくて、 そういう部分のソフトウェアというのは目的がはっきりしているだけ簡単なのだ。 けれど、例えばアニメーションをつけることを考えると、 すべて人手でアニメーションをつけるという方法から、 人間の骨格・筋肉モデルを計算機内に持っておいて ダイナミクスをシミュレーションするとか、 さらに行動原理をまで組み込んで置いてAIに勝手に演技させるといった方法まで、 様々な方法のスペクトルが考えられる。 どの方法を使うべきかという答えは、 必要とされるクオリティやら利用可能な人的資源やら締切までの時間やらを 考慮しつつ、最終的には経験であたりをつけるしかない。 人手と時間が豊富にあるなら、わざわざ高度なソフトウェアを作るより 人海戦術でやってしまったほうが確実だし、クオリティも高かったりするのだ。

ということを考えると、プログラミングが出来る、 というスキルはただの手段にすぎないことがはっきりしてくる。 不況下で専門職指向が流行りらしいけれど、 やりたいことがはっきりしてこそ意味を持つ能力なんであって、 「自分はプログラミングが出来るから、それを活かせる仕事につきたい」 というのは本末転倒。いや、プログラミングに限らず、 「英語が喋れるから」なんてのも良く聞く。 知り合いなら、そういうのを聞いたら[ 「続かないからやめとけ」と言えるのだけれど。

3/29(Sun)

オーブンで餅を焼こうとして火傷した。くう、情けない。

Behind scheduleなのにもかかわらず金曜も飲んだくれてしまったので、 この週末は仕事に出なければならないのであった。 これまで2回ほどプロトタイプを作って実験してきたシステムが 来月から本運用に入るので、その準備。

忙しいと言いつつ「ゼノギアス」を始めてみたりする。 自社製品を全部買っているわけじゃないのだが、 暇を見つけて消化してかないかないとたまるばっかりなのだ。 ストーリーはあんまり好みじゃないけど、 よくまああんだけモデリングしたもんだ。 やっぱりカメラのアルゴリズムは難しいみたいだなあ。 そもそも映画やTVで見慣れている客観視点って、 (カメラに写る所以外は何をしても良いという意味で) 物理的にありえない場所にカメラを置いたりしているわけで、 どこに行くか分からないゲームでそれをシミュレートするには きっちりした3Dモデルから離れて考えるべきなのかもしれない。

3/26(Thu) 出来ないなんて言うなー

仕事中議論していて切れそうになった。

同僚: "We can't do it."
私: "We can't say it."
同僚: "What do you mean?"
私: "If the artists don't like it, we gotta make whatever they like."
同僚: "But what if we can't do it?"
私: "We can't say we can't do it. That's why we're paid for."
同僚: "... I'm confused."

別に彼が間違っているわけではなかったのだが、 同僚の "we can't do it" という言葉にカチンと来てしまったのだった。

私のいるチーム(R&D)の仕事の一つに、CGアーティスト達のための ソフトウェアツールを作るということがある。作ると言ってもゼロから 全て自社開発するわけではなく、普通は特定のニーズに合わせて 既存のソフトウェアの拡張を行う。だが元のソフトウェアに制限が多い場合、 なかなか要望通りに作ることが出来ない。今回の議論の元になったのも、 本来望ましいインタフェースを作ることがアーキテクチャ的に難しいという 問題が発端であった。

与えられた資源と必要な作業量の見積もりに基づいて、 「それは(期間内には)出来ない」と言うことは、 エンジニアリング的には正しいことだと思う。 何でも出来ると引き受けて結局間に合わないのは最低だ。 だから、同僚の立場は全く正しい。 どう頑張ったって出来ないことというのはある。 それは頭では分かっている。

だが、ユーザにしてみれば、使えないインタフェースは使えないのである。 そのインタフェースを作るのにどれだけ作り手が苦労したか、 そんなことはユーザにとっては何の意味もない。 使いやすいか、使いにくいか、それだけが問題なのだ。 技術的に困難だとかアーキテクチャがどうとかいう話は作り手側の勝手な 理屈であって、ユーザがそのとばっちりを受けるべきではないんじゃないか。 技術的な理由でこれ以上使い易くは出来ません、 と言うのは私にとってものすごく抵抗がある。 まるで敗北を認めるような気がするからかもしれない。 与えられた時間内で出来たベストのものが、 結果的に見れば改善の余地のあるものであった、というのならまだ良い。 時間をかければ可能性があるからだ。 だが、技術のプロとして仕事を貰っている身分で 技術的な限界をユーザに負担させるのはやっちゃいけないことなんじゃないか。

こんなのは青臭い理屈だとわかってはいるのだが。

3/25(Wed) 卒業式の思ひ出II

うーん、最近夜中過ぎまで仕事するか夜中過ぎまで飲んでるかで日記をさぼりがち。 今日はちょっとだけ早く帰って来た。 会議で通訳も兼ねるとやっぱり後に疲れが来る。

ところで、直接の知り合いではないが私の後輩にあたる方が 緊急の脳死肝移植を必要としており、多くの方の援助が必要とのこと。 詳しくはこちら を参照して欲しい。

話変わって。 この間日本に帰った友人が本郷周辺の写真を撮って来たので見せてもらう。 三四郎池や安田講堂、懐かしいのう。 まだ離れてから2年しか経っていないのだけど。

安田講堂は東大紛争の後、一部分を除いてずっと閉鎖されていて、 ちょうど私が学部を卒業する年に修復されたのだった。 我々の代の卒業式が22年振りに安田講堂で行われるとかで話題になった覚えがある。 東大紛争の安田講堂攻防戦の時、私は母親のお腹の中であった。 労働運動の闘士だった母親は、TVで攻防戦の中継を見て涙していたそうだが、 18年後に息子がそのへんをうろうろするようになったのは何かの因縁か。 (これで父親が機動隊員だったりしたらまるでつかこうへいの 「飛龍伝」だが、あいにく父親も左翼である。そして息子は20年後に 「飛龍伝」を見て感激のあまり頭のねじが一本飛び、 社会運動ではなく芝居にずるずるとはまっていったのであった)。

しかし、大学の卒業(修了)式は学部、修士、博士と3回経験したのだけれど 、 私自身は何の感慨も無く、ただ証書を取りに行っただけであった。 私の中では卒業式は高校の卒業式 で完結したといっても良い。 大学時代、その時期はいつも芝居の公演の直前で、劇場から大学へ向かい、 証書だけ受け取ってすぐ劇場へとんぼ帰りという具合であった。 当然偉い人の話などはパスである。謝恩会みたいのがあったらしいがそれもパス。 博士の修了式の時は、芝居に加え、既に現在の会社 (東京本社) で働き始めて いたし、別口の仕事の仕込みで徹夜続きと、ただれた生活を していたのでなおさらであった。 今にして思えば、儀式的なものはともかく、世話になった方々には もうすこしきちんとアイサツを通しておくべきだったかなとも思うのだが。

卒業式というのは、 それまでに達成したことと新たな出発を祝福するという意味があると思うのだが、 特に大学の場合、 「達成した〜」という感慨に浸れるのはむしろ論文審査が終った時点である。 もちろん実際にその論文が通るのかどうかというのはその後の教授会を待たないと ならないのだが、東大の電々ではそのへん、 審査会までこぎつけられればまず通ると考えて良いらしいので (通りそうもなかったらそれ以前に指導教官から「指導」が入るだろう) 気持ち的には審査会が締めくくりである。 ホントはその後も研究室に出て引き継ぎだの何だの やんなきゃならないのだが、私はさっさと仕事を始めたりしていたので 「出発」という意味でも大学の卒業式の意義は薄かった。 「4/1から社会人だからそれまで最後の学生生活を楽しむ」という考え方も ありだとは思うが、 一番やりたいことをやってしかもお金までもらえるということが目前にあるのに わざわざそれを先延ばしにする必要を感じなかったし。

そもそも、「卒業」ということそのものがひどく個人的なものなのだと思う。 儀式をやるのは構わないけれど、それに向かって何かを成し遂げ、 新たな出発だ、と思えるものが無ければ意味がない。 内面の卒業が前提としてあって、それが式という形を取った時、 思い出深い卒業式ということになるのじゃないかと思う。

3/22(Sun)

昨日は午前中にホノルルの北のTantarusの丘にサイクリングに行った後、 夜から友人一同と夜を徹して飲み、今日は午後まで寝たおす。 月曜に上げねばならぬ仕事がまだ終っていないので夕刻から会社に出たが、 ぼけぼけで考えが進まない。

昨日のサイクリングは、 本当はState Recreational Areaにあるオフロードトレイルに行く予定だったのだ。 ガイドブックにも紹介されている。 ところが、行ってみたらマウンテンバイクは侵入禁止になっていた。 環境保護のためだという。 ハイカーとトレイルを共用する場合はバイクは危険であるということもあるのかも。 米国本土のNational Parkでも、トレイルはバイク禁止であるところが多かった。 自分的にも、自然を壊してしまうのは本意では無いので仕方ない。 結局予定を変更して、オンロードで1000フィート程の丘の上の展望台まで 登ったのだった。ホノルル、ワイキキ、ダイアモンドヘッドが一望できる 素晴らしい眺めであった。

3/20(Fri) ペルシャの新年/信用社会

最近、自転車通勤にしてみた。もう真夏のような暑さのハワイだが、 朝晩は適度な暖かさで自転車に乗るのは気持ちよい。 なにより狭い駐車場をぐるぐる回らなくて良いのがらくちん。

イラン出身の同僚によれば、本日はペルシャの新年だそうな。 正式には、地球が春分点を通過するまさにその瞬間を秒単位で計算し、 その時点をもって年の区切りとするそうだ。 春分の直前の水曜日に焚火を焚き、 その上を飛び越えることによって一年のけがれを取り除く。 当日は特別なテーブルにいろいろなものを象徴する7つのアイテム (例えば、自然を象徴する、芽を出したばかりの草だとか)を置き、 年明けから13日間飾り、その後それぞれが象徴する場所 (草なら草原に) それを返す。 形は違うけど、日本の年末年始の行事も概念としては似ているかも。

話は変わるが、 日本の新聞をネットで読んでいたら、「5月よりクレジットカード使用の際の サイン照合を徹底する」「サインの無いカードは使用できなくなる」とのこと。 ちょっとびっくり。ということはこれまでサイン無しのカードが使えてたってこと? 統計ではカード使用者の1/4はサインしていないとか。

まあ実際私もこちらに来るまでは日本でクレジットカードなど ほとんど使ったことがなかったし、帰省したときカードを使おうとしても (今の円レートだとお特なのだ) 使えない店もあったりして、 まだ日本社会に馴染んでないのだなあというのは感じる。 だが、そのような状況下で、 日本のカード会社は安易にカードを発行しすぎなのではないかという気が しないでもない。

こちらでは多額の現金を持ち歩かないせいもあって、カードは頻繁に使う。 私は$100以上持ち歩くことはほとんど無いので、 帰りにスーパーに寄って食材を買う時でさえカードである。 (ただ、そのような用途にはcredit cardではなく、 使った時に口座から金額が落されるdebit cardというものを使う。 キャッシュカードが店で使えるようなものと思えば良い。) しかし、そのようなカード社会を成立させている要因を見て行くと、 次のようなコンセンサスがあることがわかる。

特に、クレジットカードでは、 使用明細をユーザ側でチェックし疑問点はクレームする、という習慣を確立 することが重要だと思われる。こちらではもともと個人小切手が広く使われていたし、 預金通帳なんてあって無きが如しであるから、 毎月送られて来る銀行のstatementをチェックすることは自然な習慣であったのだろう。 要するに、自分の身は自分で守れということである。 実際、銀行のstatementに間違いがあってクレームしたこともある。

何でもおまかせ、になりがちな日本にカードの習慣は根付くのだろうか。

3/17(Tue) St. Patric's day/通訳と議論との両立

本日は表題にあるような日、らしい。もともとはIrishの祭かなんかだそうが、 何故かChinatownでステージを組んでバンドの生演奏などで夜遅くまで 賑わっていた。なんでも今日は緑色の服を着ていなければならないそうで、 着ていないひとはつねられるそうな。私は全然知らなかったのだが たまたま緑色のTシャツを着ていったのでつねられることは免れた。

先日 (3/11)、通訳をしながら議論に参加するリズムがつかめてきたなどと 書いたが、やっぱ駄目だあ。議論がintenseになってくるとどっちかに集中せざるを 得ない。これは本質的な問題なのか、それとも単に処理能力の限界の問題か。

普通に議論しているときは、人の話を聞くというタスクと 自分の議論を組み立てるというタスクが並列で走っている。 通訳している時は、話を聞きつつ、 その内容を頭の中の短期記憶に詰め込んでいて、 切りの良いところでこんどはその内容を別の言語で言い表す。 通常人間がちょっと覚えておくのに使う短期記憶(STM)の容量には限界があることが 知られているので、もし自分の議論を組み立てるのにその領域を作業領域として 使っているのなら、議論と通訳は資源的に競合するので両立し得ないことになる。 でも、STMが思考の作業領域にも使われるのかどうかということは知らない。 簡単な内容では両立が可能なので、処理能力の方の問題かもしれない。

3/15(Sun)

ひさびさに自転車に乗る。 車に積むためのキャリアをまだ買っていなかったので、 会社に集合してから直接行ける所ということで、 Waikeleのアウトレットモールまでオンロードを往復、50km程。 オンロードを乗ってみるとわかるのだが、アメリカの道路って 完全に車優先に作られている。幹線道路を走っているといつのまにか フリーウェイにつながってて引き返すはめになったり。 車ならすぐ越せる立体交差の下を、 自転車でも通れる道を探してうろうろするはめになったり。 まあ、車が町と町との間の唯一の移動手段なのだから仕方無いのだが。

それでも、ホノルルは歩行者用信号が青になっている時間が長い。 ロスでは、歩行者用信号が青になってすぐ横断舗道を渡りはじめても 向こうに着く前に赤になってしまう。 一応ロスにもホノルルにもバス路線はあり、車無しでも暮らせないことはないのだが (実際、ロスでは9ヵ月程車無しで暮らしていた)、 かなり不便である。ふりかえって考えれば、 公共交通機関の便利さ、という意味では東京は凄い都市だったのだなあと思う。 最近はトラフィックが飽和状態で、何かあるとすぐにダイヤが乱れるらしいが。

3/14(Sat) 肉体の言葉

ここ一週間程で、気温が一気に上がって来たような気がする。 窓を開けるとむっと熱せられた空気が入ってくるので、 ついついクーラーを使ってしまう。ハワイはもう夏だ。 東京の夏とちょっと違って、空気が暑いというより太陽の日射しが ものすごく強いという感じなのだが。 今からこの調子では、8月あたりにはどうなることやら。

先日(3/8)、チェーホフの「かもめ」を観て来て思ったことを少し。

中学校から演劇部に出入りしていたとは言え、 やっていたのは現代ものか創作で、シェークスピアとかチェーホフとか 部外者から定番と思われそうなものはほとんどない。 正確にはシェークスピアはただ一度だけ、 高校一年の時、役者としての初舞台が「十二夜」であった。 (初舞台だというのにいきなりオーシーノウ公爵--- 男役者がいなかったとはいえとんでもない話である。 ちなみにヴァイオラが3/9の日記のSであった。) いや、正直言って、なんで劇中の連中が愚にもつかないことをぐだぐだ喋っているのか さっぱり理解できずにやっていたのだった。 チェーホフの「かもめ」は高校の一年下の後輩がやっていたところに、 手伝いと称して潜り込んで遊んでいたのだが、 理解していたかといえばやぱり全然理解していなかった。

その頃いくつか有名な戯曲も読んだのだが、 ドラマチックな悲劇はまだ筋が面白いので我慢できるが、 軽い喜劇となるとさっぱりであった。 何より、セリフの量が多すぎる気がしたのだ。 なぜこんなに皆饒舌なのだ、普通こんなに喋らんぞ、と思っていた。

大学の学部3年の頃からしばらく、アルバイトでちょくちょく 東京グローブ座等に出入りするようになり、目に着いた芝居を観に行くようになった。 国内外から、様々な演出のシェークスピア作品が来ていて、 演目はなかなか充実していた。 そこで初めて、シェークスピアを面白いと思った。 役者の肉体を通して表現されたセリフは、紙の上で死んでいる「ブンガク」ではなく、 生きた人間を伝えて来た。いや、私にそれまで読み取る力が無かっただけの ことなのだが。 とにかく生身の役者を観て初めて、 「シェークスピアってエンターテインメントなんだ」 「400年前も今も、人間の本性って全然変わらんのだなあ」 ということがわかったのである。

数ページにわたる主人公の独白は、ただの言葉の羅列では無かった。 生きた人間がまず居て、そいつが思ったことを口にしているのである。 心の中に葛藤や迷いがあるから、あっちへいったりこっちへいったりと 喋りが長くなっているだけだったのだ。そんなことにやっと気づいた私は かなり鈍感である。

だが、戯曲という形式が舞台での上演を (たとえ形式上でも) 前提としている以上、役者の肉体を通してはじめて作品が実体化するのは 当然であるとも言える。頭でせりふを追って、 さまざまな伏線やら言葉のあや、構成上のトリックを楽しむ見方もあるが、 そういうもの一切は血と肉を持った身体が舞台上に感じられて始めて意味を持つ。 クレバーなセリフと物語だけを楽しむのであれば、わざわざ舞台に乗せる意味はなく、 本でも買って読んでればいいのだ。

今では、私にとっての舞台の楽しみというのはそこにあるし、 映画等の他のメディアでもそういう見方をしがちになってしまった。 (そういう見方では、たまに観る日本のTVドラマはちょっと楽しめないのだが...)

3/13(Fri) 安全運転/Dark City

AAA (American Automobile Association) から送られて来た小冊子の 中の記事、安全運転の心得。不愉快な走行をするドライバーがいても、 決して中指を立てたりしてはいけません。 さもないと相手がいきなり銃を出して撃ってきます。 ってところがいかにもアメリカ。 これまでに中指が原因となったドライバーのshootingが600件以上あった とか書いてある。

本日の映画は "Dark City"。SF好きの同僚が勧めていたので皆で観に行く。 いつも行くシネマコンプレックス (家の隣にあるのだ) ではなく、 ワイキキの映画館の方に行ってみた。スクリーンが大きくてなかなか良い。

映画のほうは、テンポ良くまとまっている。前半が特に面白い。 真夜中。ホテルのバスルームで目が覚めた主人公。 額にひとすじの血。自分が何者なのか、ここが何処なのか、全く覚えていない。 部屋に行くと、女性の死体が。パニックを起こしてなんとかホテルを出るが、 その後を追う不気味な灰色の男達。 暗めの画面構成や美術と、緊張感のあるカメラワークとで、 最初から引き込まれる。 ラストにかけては好みが分かれるところ。 私はもうひとひねり欲しかったかなあと思う。

音楽で、執拗にStravinskyの春の祭典のなかのあるテーマが繰り返されるのだが、 何か暗示しているのだろうかと気になる。あんまり関係なさそうだが、 ただ音楽家が好きだから使ったのだろうか。

3/12(Thu) らせん・ループ/Revival of Evangelion

忙しくてなかなか書けなかったが、忘れないうちに先日の訪日で 読んだもの観たものについて書いておこう。

まず鈴木光司の小説「らせん」と「ループ」。 「リング」に続く作品である。「リング」は日本を出る前に読んで (確か角川ホラー文庫になってすぐだったと思う)、 和製ホラーで珍しく本当に恐い思いをさせてもらった。 その続編なので期待大で読んだのだ。

「リング」自体もそうだったが、 「らせん」「ループ」でも設定はかなり強引である。 んなわけあるかよと突っ込みたくなるような設定なのだ。 しかしそれでも話しに引き込まれて読んでしまう筆力はたいしたものである。 考えてみればキングの小説だって設定だけとれば荒唐無稽なのだ (Regulatorsの描写や、The Dark TowerのIIIからIVにかけての Braine the Monoなどはばかばかしすぎて笑い出しそうな程であるが、 それがなおさら、恐怖と笑いとが紙一重であることを教えてくれる。) もっとも、「リング」での恐さはむしろ予想もできない結末にあったのだが。

続く2編では、前作の荒唐無稽さがさらに飛躍し続ける。 恐さという面ではたいしたことはない。 むしろメタフィクションとしての手法の鮮やかさが素晴らしい。 「次はそうくるか!」と裏切られる楽しさ。 メタフィクション自体は新しい手法ではないが、 突っ込みたくなるような設定自体が罠であり、 それに引っかかった読者に対してメタな手法が効くのである。 「らせん」の最後で、実に見事に小説は現実世界へと浸出してくる。 そして、「リング」「らせん」を読みながら、 「んなわけあるかよ」と突っ込んでいた 自分自身が「ループ」でもって小説内に取り込まれたら、 これはもう降参するしかない。

だがそのような手法の巧妙さもさることながら、 この3部作全体を支えて読者を引っ張って行く力は、 鈴木光司の他の作品にも一貫して見られる力強い「未来への希望」で あるように思われる。「仄暗い水の底から」の中の短篇や「楽園」等では 読んでいて気恥ずかしくなるくらいにストレートに表現されている、 先の分からぬ未来へ踏み出す勇気と希望。 読んだ後、勇気がもらえるようなその力強さが私にとって一番の魅力のようだ。


月曜(3/9)に、フライトまでの時間がぽっかり空いていたので、 日本でしか観られないものを観ておこうと思ったのだった。 で、何かと評判を聞くが (TV版も含め) ついぞ観る機会のなかったEvangelionを観た。 うちの会社の製品も類似点を指摘されたりしているようだし :-)

良く出来ているなあ、というのが感想。 日本のアニメーションの系譜の中でどのような位置付けになるのかは、 詳しくないのでわからないのだが、 演出の方法が10年くらい前の小劇場演劇で流行ったもののようで懐かしかった。 もちろん芝居では文字だけのシーンをカットインすることなどは出来ないが、 鳴り響くクラシックに乗せた主人公の独白、唐突なカットの転換のリズム、 セリフの引っ張りかた、そもそも間の取りかたなどに類似点を感じてしまった。 (本家本元は夢の遊民社あたりだったろうか。いや、Evangelionが似ている ということではなくて、手法自体の系譜の元、という意味であるが)。

あれが何故流行ったかというと、気持いいのである。 観ている方も、やっている方も。 ただ、当時はあちこちのアマチュア劇団が無闇に真似をして、食傷気味であった。 形だけを真似しても、やはり基本をしっかり押えていないと駄目じゃん、 とわかったのは我々自身でもちょろっとやってみてからであった。 そういう意味で落し穴の多い方向ではあると思うのだが、 この作品では落し穴にはまること無く、気持良くまとめている。

でもラス前は大風呂敷広げ過ぎかなあという印象は拭えなかった。 シンジの内面の葛藤から、メタ的展開 (実写映像) への移行は見事だったのだが、 あそこでスクリーンから飛び出さんばかりに広がりを見せた世界が、 その後再びスクリーンの中へとしぼんでしまったように思えたのだ。

3/11(Wed) ミーティング、充実

本プロダクションのスタートを目前に控え、 皆ミーティング三昧の日々を過ごしている。 大量の作業を今後数年にわたってこなして行かねばならぬ我々にとって、 現段階でシステム (コンピュータ上のものと、人的組織と含めて) を徹底的に練り上げて置くことは死活問題である。 意見の相違を全て俎上に上げ、丁寧に検証してゆくのは、しんどいプロセスではある。 だが皆、ここでの結論の持つ重要性を認識しているため、 中身の濃いミーティングであることは確かだ。 いや、実のところ、これほど充実したミーティングを体験したのは 初めてかもしれない。

プレプロダクションの初期の頃のミーティングは 要領を得ない発言、感情的なやりとり、言語の壁などで かなり不満のたまるものであった。そのことは日記でもぼやいていた。 今は要領を得た建設的な意見が活発に交わされ、 通訳を待つタイミングにも慣れて来た。 私自身も通訳をしながら議論に参加する要領がつかめて来たように思える。 ほんの数ヵ月だが、極めて大きな変化を感じる。 一言で言えば、波に乗ってきているのだ。 まだ先の見えない航海だが、良い前兆だ。

3/10(Tue) 誰が主役じゃ (卒業式の思ひ出)

日本のニュースから。埼玉の高校で、 生徒が自主的な卒業式を行おうとしたところ、学校主催を主張する校長と対立し、 結局生徒のほとんどが学校の卒業式をボイコット、 その後同会場で行われた生徒主催の「卒業記念祭」は大盛況だったとのこと。 それに対する校長の弁がなかなか笑かしてくれる。
「卒業式は学習指導要項に位置付けられた重要な行事」 「厳粛に清新に実施できた」
へそが茶を湧かすとはこのことだ。 卒業生がいなくて何のための卒業式なのだろう。

高校の卒業式は、私にとっては忘れられない儀式であった。 私の出身高校では、卒業式は卒業する3年生が中心となって企画するのが伝統であった。 高校生活最後のイベントを後輩の手にわたすなんてもったいないというわけである。 大学受験を控えた高3の冬だというのに、物好きの集まりが 卒業式実行委員会などという組織を作り、根回しに暗躍するのだ。 その委員長などをやっていた私も物好きの一人であった。

どのような内容にするかの決定は委員会が生徒アンケートなどをもとに行う。 午前中の第一部はわりと普通の卒業証書授与式の形式をフォローし、 午後の第二部はパーティー形式、というのがパターンであった。 変わったところと言えば、「スピーチが欲しい先生」のアンケートを取って 上位の教師に喋らせる企画とか (既に退官された先生を無理言って呼んで来たりもした)。 立食パーティーではステージを使って卒業生による バンド演奏やら教師による劇上演やらで大騒ぎ。 制服の無い高校だったので、卒業生の衣装もおもしろかった。 卒業生代表スピーチのK君は紋付羽織袴で登場。 滅多にスカートも履かなかった男まさりのIさんが あでやかなチャイナドレスで登場したのにびっくりしたり。

委員会の顧問について頂いた先生に、色々なことを教わった。 会費を集めた場合の会計報告のありかた、 パーティ業者との交渉 (入札制度とか、価格交渉とか)、 講堂で騒ぐことに対する近所の民家へのフォロー (あらかじめ一筆入れておくだけでずいぶん苦情の電話が減るのだ)。 こういうことって、教科書よりも大事なんじゃなかろうか。

後片付けまで卒業生の手で行い、 掃除し終ったがらんとした講堂で全予定の終了を宣言した時、 私の中の高校生活にもきちんと幕が下りるのを感じた。

ちなみに、第一部の終りに、卒業生皆で歌ったのは「仰げば尊し」。 歌いたい歌のアンケートでダントツだったのだ。 出来すぎの話に聞こえるだろうか。

3/9(Mon) 55時間の帰省

週末を利用して、ちょっとだけ日本に帰っていた。 金曜日一日休暇をとれば、2晩程日本に滞在できる。 ネット仲間と飲んだり、小学校以来の友人と会ったり、 高校の友人と会ったり、ばあちゃんの見舞いをしたり、 なかなか密度の濃い2日間であった。

が、今回の帰省の真の目的は一つの芝居を観るためであった。 高校以来の親友であるSが主演するチェーホフの「かもめ」である。 彼女の所属する劇団、三原塾は、主としてチェーホフの短篇の戯曲化上演を 行っているが、時々こういう大作にも手を出す。 役者は皆、仕事を持ちながら芝居をやっている人達で、 非常にレベルが高いというわけではない。しかし、 現代風な翻案や奇抜な演出をせず 原作をかなり忠実にフォローするにもかかわらず、 生身の人間を感じさせる舞台には不思議な魅力がある。 映像メディアを見回せば荒い演技が多い中で、 相当丁寧に脚本を読み込んでいるのだろうと思わせる演技をする。

Sとは高校の演劇部の3年間を共有した。 勝気で意地っぱり、でも気遣いが細かく繊細な部分も持つ彼女と、 温和でまとめるのがうまく、しかし優柔不断で気遣いに欠ける私とが、 何故か気が合った。 いや、一見自分と全然違うように見える人程、 自分の知らない自分の姿を映す鏡なのかもしれない。 何年も経ってから、当時分からなかった自分の中に 彼女の性格との共通点を見付けることがある。

高校を出た後は別の大学に進み、 私は学生演劇に浸りつつも、自分の人生を賭けるのは計算機工学だと感じ、 海を渡った。彼女はと言えばやはり学生演劇を経て、 卒業後は仕事と劇団の2足のわらじを履いてハードな生活を送っている。 仕事は食って行くためと割り切っているから、 残業はほとんどせずに稽古にかけつけるそうだ。 現在の自分の生活には、やりたいと思う方向にコミットして進んでいるので 不満はない。しかし、彼女の生き方は、もう一つの私の理想でもある。 もし別の人生を生きるチャンスがあれば、そう生きてみたいと思うような。

彼女の芝居を観に行くことは、単なる応援というだけでなく、 私の中の何か大事なものを失わないようにするための、重要な行動なのだ。

3/5(Thu)

Big Island旅行で日焼けした鼻の頭や額の皮がぼろぼろと剥けている。 ハワイの日差しはもう夏だ。 明日から週末の間だけ日本に行くのだが、東京ではまた雪が降ったそうで、 寒そうだ。昔から寒いのは苦手であった。 暑いのはかなり平気なのだ。 たとえ汗がだらだら出ても、強い日射しを浴びていると元気が出てくる。 ハワイに来て良かったと思うのはそんな時。

でも、枯枝の先に木の芽を発見したりして春の到来を知るような、 季節の移り変わりがちょっと懐かしくもある。 今はまだ日本に戻るつもりはないけれど、 結局は住めば都。どこに行くことになってもそれはそれで楽しいかも。

ところで、暑い地方から寒い地方へ旅行する時悩むのが、 どんな服を着て行くべきかということだ。 3月の東京に合わせた服装とするなら、寒がりの私は上着と長袖シャツの 下にもう一枚Tシャツを着たい。上着は成田に着いてから着るとしても、 こちらで出発時に2枚着て行くのは暑すぎる。 頻繁に旅行する人はどうしているのだろう。 やはり出発時は暑くても我慢するのだろうか。 それとも着いてから寒いのを我慢するのか。 まてよ、Tシャツで飛行機に乗り込み、 機内で長袖シャツを上から着るのが良いかもしれない。

3/4(Wed) 紙媒体 vs 電子媒体

普段は一日の大部分をコンピュータのディスプレイに向かって過ごしているのだが、 そのわりに私自身の生活はあまり電子化されていない。 例えば辞書は、一応コンピュータ上のものと携帯の電子辞書と紙の辞書とを 併用しているが、一番使う頻度が高いのは紙の辞書である。 PDAは使わない。日々のメモは全て紙のログノートに記す。 日本にいた時、学生アルバイトと (って自分も学生だったのだが) スケジュールの打ち合せをする際に紙の手帖を取り出したら、5才くらい下の学部生の 彼らが一斉にZaurusとかLX200とかを取り出したのにびびったものである。

電子媒体は人間同士のコミュニケーションを飛躍的に便利にしたことは 間違いない。今どき社内の連絡事項を紙で回覧するとか会議の資料をコピーして 配るなどは資源と時間の無駄である。 だが、個人的の情報管理への応用という観点からみると、 電子媒体はインタフェース、 保存性ともに決して紙媒体を超えていないように思われる。

例えば電子媒体の利点としてよくあげられる、検索の便利さ。 私は仕事のログノートを3ヵ月に一冊の割合で消費しているが、 検索に困ることはほとんどない。重要な事項をメモした場所はだいたい 覚えていたりマークしてある。一年以上前のことであっても、 だいたい議論の状況を思い出せばどのへんに書いてあるかあたりがつけられる。 私にとっては、文字や図形がどんな電子編集ツールよりも早く自在に書ける、 という紙媒体の利点の方が魅力的なのだ。 辞書はどうか。電子辞書なら検索は1〜2秒だろうが、紙の辞書を使っても だかだか10〜15秒。ひとたび見出し語にたどり着いたら、一目で見てとれる 情報は紙のほうが多い。紙の辞書は書き込むのも自在である。 (ただし、人に見せる文書は全て電子的に処理している。 訂正、複製、参照を頻繁に行うからだ。)

保存性はどうか。この正月に実家に帰った際、大量にあった 5インチFDを処分した。読める機械を処分してしまったので、 大切に保存していたデータもただのゴミになっていたのだ。 例えば大学の研究室にあった8インチFDや1/2インチ磁気テープ、 果ては穴のあいた紙テープなんてのも、読み取れる機器を個人で探すのは 難しいだろう。しかしこれらの媒体が保存媒体の主流であったのは さほど昔のことではない。 複数の人間が参照する、仕事上のデータならそれでも コンバートしてより現代的な媒体に移し変えておく価値はあるかもしれないが、 個人的な、いつ参照するかもわからない情報をそれだけの手間をかけてまで メインテナンスする必要があるだろうか。 紙ノートならメインテナンスの手間なしで、すくなくとも自分が生きている 間は変わらず参照できる。

数年前のインタフェースに関する学会で、携帯端末に関する使い勝手の 研究の発表があった。日常的によくあるタスク (会議のスケジュールを いれて、変更して、また戻す、とか) の遂行時間を測ったもので、 まあ各社一長一短というところだったのだが、最後に出て来た紙の手帖が ダントツの速さであった。なにしろ予定変更は矢印一本、取消はそれを ぐしゃぐしゃと消すだけである。

もちろんインタフェースの研究者達はこの問題に気づいていて、 紙の利点をいかにして電子機器と融合するかに躍起になっている。 だが、データ処理だけでなくデバイスの進歩も必要であり、 今の所、机上の空論ならぬディスプレイ上のシミュレーションの域を 出ていないようである。 紙が完全に置き換えられるのはもう少し先のこととなろう。 それまでは、私は紙のノートを使い続けることになりそうだ。

3/2(Mon) Nature of the Nature

常々思っているが、ハワイ島旅行で再び考えたことを少し。

「大自然」という言葉を聞いて、人は何を想像するだろうか。 緑豊かな森。鳥の鳴き声と見え隠れする小動物たち。泉から湧き出る清水。 日本でのんきにオンロードサイクリングやキャンピングをやっていたころの 私の認識はそんなものだった。

その認識を改めさせられたのは、米国中西部を旅した時であった。 見渡す限り、石ころとサボテンと枯れたような背の低い草だけがある砂漠。 突然足元に現れる切り立った崖。 照りつける太陽と乾燥した空気の中。飲み水は一滴も手に入らない。 まるで生命を拒否しているかのようだ。 ハワイ島の溶岩流も、命あるものを全て焼き尽くし、 黒々とした不毛の岩石のみを後に残す。 ぱっくり口を開けた火口は地球の傷跡に見えなくもない。

だがこれもまた自然のひとつの顔なのだ。

乱獲で幾多の種が絶滅しようが、環境汚染で生命の育たぬ土地が広がろうが、 地球にとっては痛くも痒くもない。核戦争で一切の生命が地球上から無くなっても、 ハワイ島の火山は噴火しつづけるだろうし、プレートは動き続ける。 地球にやさしいだか何だか知らないが、そんなものは地球からみたら 塵のような人間の勝手な思い込みにすぎない。

それでも人は生命豊かな森が破壊されてゆくのを見ると守りたいと思う。 もちろん人間自身が住みにくくなってしまっては困るという実用的な理由がある。 だが人間を動かす感情の背後にあるものは、 生命というものを創り出した自然の仕事に対する愛情と畏敬の念であろう。 もっとぶっちゃけて言えば、生命豊かな森を見るのが好きだから、 気持いいから、守りたいと思うのだ。

ハワイ島では様々な年代に流出した溶岩を見ることで、溶岩流がどのように 環境にとりこまれてゆくのかが分かる。流れ出して数年の溶岩はまだただの 巨大な岩の固まりである。 10年程過ぎると、その岩の割れ目のところどころに小さな植物が顔を出す。 20〜50年前の溶岩はごろごろとした岩に分かれ、背の低い潅木がぽちぽちと 生え出す。100年以上前の溶岩は、遠目にはくっきりと跡を残しているものの、 近寄ると既に多くの生命がその中に育まれていることが見て取れる。 そして数千年、数万年と経過するうちに、溶岩は土となり、深い森が育つ。 そして人もまた、この大きなメカニズムの中で生かされているのだ。

自然を守ることに、理屈付けなど必要無い。 空き缶の無げ捨てをする輩は、アリゾナの砂漠の中に身ひとつで放り出して やればいい。自分の生がどれほど大きなものに支えられているのかが 身に染みてわかるだろう。

いや、私だって偉そうに言えたくちではない。 便利な日常に埋没して自然というものを忘れがちだ。 旅をするのは、そんな自分に喝を入れたいからかもしれない。

3/1(Sun) The Big Island

3.5日のハワイ島(The Big Island)旅行から帰って来たとこ。 初めてだったので車で行けるところは全部回ろうという 欲ばりな旅だったのだが、これが非常に面白かった。 何も計画を立てずに行ったにもかかわらず楽しめた。 ちなみにホノルルからだと3泊、フライトとレンタカー込みで 一人$250である。 レンタカーのガス代やら保険、毎晩の酒代などでもう$150くらい余分に かかってしまったが。

ハワイ島は私の住むオアフ島から飛行機で30〜40分程、"The Big Island" の名の通りハワイ諸島中で一番大きく、面積でオアフの約3倍、 徳島県と香川県を足した面積くらいだそうな。 実際、3.5日で700マイル近く走った。 島の各部分で実にさまざまな気候帯や地形が見られるのがおもしろい。 東岸は熱帯鵜林に近く、北西部は砂漠気候、南部には森林や草原が広がり、 山に登れば雪も降る (但し今回は山には行かなかった: 島の中央部の二つの山、Mauna KeaとMauna Loaはそれぞれ標高4,265m/4,169m、 頂上近くまで道はあるが4WD車でないと到底登れない)。 またハワイ諸島中で最も新しくできた島とあって、火山活動も活発。 島のあちこちに溶岩流の跡が見られるし、 南東部のKilauea山は現在でも活動を続けている。 逆に70万年程前に火山活動が休止した北部は既に侵食が進んでいて、 切り立った谷によるダイナミックな地形が見られる。

あと、今ちょうど鯨がハワイ周辺にやってくる時期だとかで、 岸からでも沖でばしゃばしゃ飛び跳ねている鯨がよく見えた。 北岸で2回目撃、南岸では2時間のハイキング中ずっと沖で遊んでいるのが見えた。 比較するものがないので大きさが実感できないのだが、 かなりの距離にいるはずなのに肉眼ではっきり見えるということは やはり相当大きいのだろう(友人の話によると20〜30m)。 それが全身が見える程に海面で跳ねているのだ。 不思議な眺めであった。

旅行ガイドなどでは、ハワイというとホノルルやワイキキが大きく とりあげられ、ちょっとマウイが紹介されるくらいだが、 ホノルルやワイキキはハワイ州の中ではかなり特殊な場所である。 南の島を楽しみたいなら、別の島に足を伸ばしてみるのが良いのだろうと思った。 ちなみに今回の旅行での個人的ベスト3は:

3) Hawaii Tropical Botanical Garden
そんなに大きくないけれど、熱帯雨林の植物が充実。 不思議な花が咲き乱れている。 基本的に植物園は好きなのだ。
2) Volcano National Park
やっぱりハワイ島と言えば火山でしょう。 現在ももくもくと煙をあげているところまでは車では近付けない (4マイル程手前で、道路が溶岩によって塞がれてしまっている) のだが、溶岩流の迫力は堪能できる。 熱い溶岩のポイントまでは往復4時間のハイキングが必要。 備えが無く断念。
1) Green Sand Beach
島の南端より3マイル。車では行けない (4WD車なら可) ので 片道1時間のハイキングになるが、その価値あり。 火山灰の中のある成分が冷える時に緑色の結晶を作り、それが 砕けて緑の砂となっている。実際の浜では普通の砂と混じって くすんだ抹茶色に見える。 すぐそばに寄るまでビーチが見えず、 出現の仕方がけっこう劇的なので感動する。

Green Sand Beachは今回唯一のハイキングだったのと、鯨がずっと見られたせいで ポイントがずいぶん上がっている。 次回は是非Volcano近辺のハイキングと、4000mの山登りを体験したい。

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Shiro Kawai
shiro@lava.net