1997年11月

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11/30(Sun) フムフムヌクヌクアプア

結局、Thanksgivingの休日は日本から来た友人と遊び呆けていたのであった。 ちょっと雨がちの天気で、予定していた乗馬やビーチでのバーベキューなどが 出来なかったりもしたのだが、まあそれらは次回ということで良かろう。

しばしばハワイで道に迷った話は日記にも書いていたが、 今回もずいぶん迷った。隣に地図を持ったナビゲータがいるにもかかわらず、である。 これはもう、ハワイの道が悪いに違いない。 「次のとこ左ね」「おーい、この道右にしか曲れないぞ」ってな具合で 目的地が見えているのにどんどん遠くなって行くのだった。

曲者は通りの名前である。「カイフオパラアイ通りをまっすぐ行って、 ラウラウヌイ通りを左折ね」なんて言われても覚えられんぞ。 ハワイ語にはもともと子音が h, k, l, m, n, p, w しかないので こんなことになるらしい。 ウオウオア、フルフル、パパプヒ、アヘアヘ、アヒアヒ、アフアフ、 パラパラ、ホイホイ、きりがないからやめるが、これ全て実在する地名である。 ハワイ語は奥が深そうだ。アヒヒホレパヒパヒとか適当に言ってても 何かの文章になりかねない。ちなみに今日の表題はハワイ州の魚の名前。

友人を空港に送った後ちょっと会社に寄るが、家でドキュメントを書く つもりで資料を全て持って帰っていたことに気付く。 しかも連休前までに何をやっていたんだかをすっかり忘れてしまっていた。 遊びすぎて頭の中はパフパフである (意味不明)。

11/27(Thu) Alien resurrection

高校時代の友人とハワイ観光の一日。 ダイアモンドヘッドに登ったりビーチの高い波を眺めたり。 だけどショッピングモールがThanksgivingで軒並み閉店だったり、 Polynesian Cultural Centerもお休みだったりして、 観光には適さない日だったかも。

夜は映画「Alien resurrection」。そう、あのAlienの続編である。 Alien IIIで死んだはずのリプリーが遺伝子からのクローニング技術により復活。 そしてアイツもまた復活するのだ。

あの気色悪い生物が上から下から後ろから、 忍び寄って襲ってくるという基本はしっかり踏襲されている。 その上、今回はリプリーの役どころがなかなか微妙で シナリオ的にも見せてくれる。 ストーリー的に良い伏線や設定が最終的にちょっとこなれてない印象も残ったが、 全体として、前作に比べて決してパワーダウンはしていない。

11/26(Wed) スーパーの中でもの食う人々

明日からThanksgiving。4連休である。 仕事はかなりタイトだけど、休みはきっちり取らにゃ。 高校の時の友人が日本から訪ねてくるので、 この機会に思いっきりポピュラーな観光地というのを巡っておこう。 住んじゃうといつでも行けるという気分のせいかなかなか回れないのだ。

仕事帰りにスーパーマーケットに寄ると、異常に混んでいる。 みんな連休中のTurkey dinnerの材料の買いだしに来ているのであろうか。 全てのレジが動いているにもかかわらず、長い行列が。 こちらの連中はこういうのにはすこぶる寛容である。 レジも行列が長いからといって急ごうという気配もない。 待つ覚悟を決めて行列末尾に並ぶ。

と、私の前でショッピングカート一杯の買物をしている家族連れが、 やおら買物の山の中からダイエットコークのボトルを抜くと栓を空けて ぐびぐび飲みはじめた。 父親はサンドイッチのパックも空けてばくばく食べはじめている。

スーパーで精算前の食品を空けて食べるというのは、 こちらではわりと普通のことらしい。「後でちゃんと払うからいいでしょ」 と思っているのだろうか。もちろん店の人は何も言わない。 後で精算すれば問題ないのかもしれないが、 こちらに来てすぐのころはびっくりした。 今では見慣れてしまったが、それでも自分でやるのはさすがに抵抗がある。 日本での暮らしで、そういうことは「イケナイコト」という概念が びっちり刷り込まれてしまっているのだろう。

彼らの番が来て、家族連れは何のためらいもなく既に空になったボトルを 精算台の上に載せる。 確かにね、どうせすぐ払うんだから飲みたい時に飲んじゃった方がいいかもね。 でも私には真似出来そうにないなあ。

11/25(Tue) Ghost in the Shell (英語版)

家具付きアパートにさらに自分の家具を持ち込んだため 2ヶ月近くリビングがすごいことになっていたのだが、 本日ようやく元の家具を引き取ってもらう。おお、こんなに広い部屋だったのか。 この国では何事も催促しないと進まないとは知っていたのだが、 それでも暮らせてしまっていたのでついついほおっておいたのだった。

本日はHonolulu Academy Theaterにて "Ghost in the Shell" の上映があるというので同僚に誘われ観に行く。 私はこの映画を日本では観ていない。士郎正宗の原作も読んでいない。 LAでジャパニメーションマニアの友人からビデオ(英語字幕版) を借りて観たのが初めてであった。で、たまげた。 緻密なストーリーもさることながら、画が綺麗。音楽もいい。 一度通して観たあと、すぐに巻戻してもう一度観たくらいである。

ミニシアター風のを想像していたのだが、実際にはシネコンプレックスの 小さめの劇場に比べればずっと広い会場だった。映画専用でないため 音響の悪さは仕方ないか。客席はがらがらだったが年齢層は意外と高く、 日本のアニメーションだから、というよりは普通の映画を観る感じで 来ているようだった。

で、内容。英語版だったのだが、 草薙の声を当てた女優、ちょっとその演技は違うんでないかい、 というのが一番気になる。イントネーション過剰でやたらはっきり喋って、 英会話の教材かと思われる程であった。 あと、間はやはり最初に日本語のダイアログで合わせて 作ったのだろうか、英語の掛け合いの間がいまいちのような気がした。 綺麗な映像の部分は、さすがに大画面で観ると良い。 細かいところまで丁寧に描き込まれているのがわかる。

今日初めて観たというアニメーター (実写映画のCGエフェクトで長く働いていた) の感想: "Very good script, very bad animation. But I need to see it again." 良いシーンは感動的に良いのだが、没入しているところに粗いシーンが入って 一気に醒めてしまうとのこと。確かにアニメーションの仕上がりにはむらが目立つ。 しかし他の同僚も、いくつかのシーンの美しさには圧倒されたようだ。

ディズニーに代表される米国産アニメーションとは全く雰囲気が違うが、 その点は特に違和感なく受け入れられているようだ。 来年には「もののけ姫」が上陸するが、果たしてどのように受け取られる であろうか。

11/24(Mon) 忘却

午後から降り出した雨に、夜になって強い風も加わってきた。 傘を斜めにささなければ歩けないという感じだ。 もちろん東京ではこんな天気はしばしばあるのだが、 LAでは傘を使うこと自体が全く無かったので妙に懐かしい。

本日は午前中のミーティングからずっとかなり濃く仕事をしていて、 気がつくともう深夜であった。報告書がちょうどまとまり、 心地よい疲労を感じつつ餅を食しているところである。 あと味噌汁と。ハワイでは日本の食材にはほとんど不自由しない。

ミーティングで通訳兼発言者をやり、そのあと実験をしつつ報告書を仕上げて いたのだが、英単語が出て来なくなっていることに気付く。 たしかここにぴったり来る言葉があったはず、というところまでは わかるのだが、日本語の単語が先に出てきてそれをマスクしてしまうのだ。

考えてみれば、LAではチーム中で誰も日本語を話さなかったため 一言も日本語を話さない日がざらであった。現在は約半分が日本語使用者である。 人間の脳は必要度の低いことは極めて効率良く忘れるように出来ているのかも しれない。所詮は長じてから身につけた外国語、 今後日本へ戻ることがあったり他の非英語圏へ行くことがあれば速やかに 忘れてしまうのかも。もちろん必要ない能力をキープしていても 意味がないのだが、なんか外国語を話せるとかっこいい気がするのだ。 日本で意味もないのに英語を喋っている人間を見ると 「必要ないなら日本語で喋れー」と思うのだけれどもね。 実はせっかく一度身につけた能力を忘れないように一生懸命なのかもしれない。

11/23(Sun) 学歴

ある人とメイルで議論をしていたのだが、その中でふとその人が 「そもそも私は大学にもいっていませんし...」ともらした。 高校を出てすぐ大学に行った私には、大学に{行かなかった or 行けなかった} 人の気持ちはわからない。想像することはできても、 自分が大学に行ったという事実をリセットするわけにはいかない。

学歴なんか関係ないよ、というのは高学歴を持つものの奢りだろうか。 アメリカもある意味かなりの学歴社会である。 日本と雰囲気が違うのは、高校→大学→社会人というおきまりのコース以外の コースが用意されていることだ。どの大学も聴講制度のようなものが充実しており、 自分の専門に合わせて働きながらでも少しづつ単位をとってゆける。 もう一つ日本と違うのは、 どこの大学を出たかにはこだわらないところだろうか。 むしろ大学での専攻が何だったかが重要視されるようだ。

実際のところは、CG、ゲーム業界では学歴よりも職務経歴がものを言う。 新卒であっても、履歴書(resume)の職歴欄はインターンシップの経験から アルバイトの記録までがずらずらと書き並べてある。 中途で応募してくる場合は学歴が書いていないことさえある。 実際、どんな仕事をしてどんな成果が挙がっているかがわかればいいのだ。

11/22(Sat) ばあちゃん倒れる

久しぶりに日本の家族へ電話すると、 同居しているばあちゃんが卒中で倒れたという。 幸い命の危険はなく、麻痺は残るがリハビリで日常生活に復帰できるとのこと。 「あわてて帰って来なくても大丈夫だから」母の声の明るさにほっとする。

私の母はばあちゃんの4人の子供の末っ子である。 じいちゃんは海軍で、太平洋戦争末期に沖縄の海に沈んだ。 その時、ばあちゃんは母親の出産のために、それまで数年住んでいた旧満州国を 引き払って日本に帰って来ていた。 まだ乳飲み子だった母を含め子供4人を女手ひとつで育て上げたばあちゃんの人生は 波瀾万丈、語ればまるでNHKの連ドラになりそうな程である。 当時は珍しくもなかったのだろうが。

ばあちゃんは末っ子である母が一番気になっていたのだろう。 私がものごころついた時から家で暮らしていることが多かった。 両親は共働きだったため、私もばあちゃんっ子だった。 母は若い頃にはばあちゃんにかなり反発したそうで、 兄妹の中でも一番ばあちゃんと喧嘩したそうだ。 だが最終的にばあちゃんは母のもとで余生を送ることを決心する。 今月始め、もしかすると最後になるかもしれないという想いを持って 田舎への訪問をして、ほっとしたのだろうか、とは母の弁。

何でも自分でやらなきゃ気が済まなくて、退屈なことが嫌いなばあちゃんは、 きっと車椅子生活になったらフラストレーションと折り合いをつけてゆくのが 難しかろう。 がしがし手紙を書いて、ビデオを送って楽しんでもらうことにしよう。 ばあちゃん、世の中にはまだ面白いことがいっぱいあるよ。

11/21(Fri) 世界が美しく見える日

何か特別なことがあったわけではない。言葉で書けば、いつもと同じ。 朝ホッケーをして、一日仕事をして、夜は友人宅のパーティーに行って来た。

ただ今日は、朝日に照らされる山から始まって、涼しい空気の香り、 昼間の強い日差し、夜のハイウェイを走る車のライトと頭上の星空まで 全てが胸をしめつけるように美しかった。 頭の中の感動の蛇口が壊れてしまったような感じである。 きっと自分に絵の才能があったらこの感動を残しておこうと思うのだろうなあ。

この話は人にしてもあまり分かってもらったためしがないのだが、 私は、ものを認識する力というのが日毎に大きく変動するのをよく感じる。 調子のいい日は全ての物が色彩豊かに奥行きを持って細かく感じられるし、 調子が悪いと何もかも薄っぺらく大雑把で画一的に見える。 例えばゴッホの絵が好きでポスターを壁に架けているのだが、 毎朝全然違うように見えるのだ。 他の人はどうなのだろう。 少なくとも芸術系の人は認識力が高いところで安定しているかなとも思う。 ま、とにかく今日は世界の見え方から判断するに絶好調だったようだ。 こんな日はいろんな発見がある。言葉で書けばとるに足らないこと、 風に乗って運ばれて来た花の香りとか、 夜露に濡れた芝の感触だとか、そういったことなのだけど。 つくづく、生きてるっていいなあ、おもしろいなあと思うのだ。

「毎日が同じだというのは、朝、日がのぼるというような素晴らしいことに 気付いていないだけなのだ」(パオロ・コエーリョ「アルケミスト」)。 日記を書き始めた時、この言葉が頭にあった。 自分にとっては、日記が書きづらくなったら毎日が同じに感じられるように なったということで要注意だからである。 今の所、多少波はあるものの毎日は新鮮であるようだ。 果たしてこの調子でどこまで日記が続けられるか、自分でも楽しみである。

11/20(Thu) Entrepreneur

東京に住むO君より頼んでおいた書類が届く。 同封の便箋の差出人欄をふと見ると、見なれぬ会社名と「代表取締役」の文字が。 そうか、ついに彼も独立したか。

O君と会ったのは2〜3年前、某放送局で働いていた時である。 私は博士過程の院生だったが、彼の方は修士を一年休学して来ていた。 思い返せば幾晩も眠れぬ夜を過ごしたものだ。 「本番まで18時間〜? ほんとにこれ、動きますかね、うひゃひゃひゃひゃ。」 連日の徹夜でいささか正気を失っていた彼の笑い声を今でも思い出す。

今年の春に修士を卒え、しばらくは日本のまっとうな企業に勤めていたのだが、 もともと学生の頃から独立志向であった彼は 入社後も水面下で会社設立準備に走り回っていたようだ。 8月にロスで会った時は「あんまり早く辞めちゃうと今の会社に悪いから」 とか言っていたのだが、もう辛抱しきれなくなったらしい。 今日本の景気はかなり悪いようだが何とか頑張って欲しいものである。

どうせ辞めるのならわざわざいっぺん就職しなくても... とも思うのだが、 当時、彼も私もお世話になった小さなCGプロダクションを営むM氏から 「すぐ独立しちゃうと世間をなめるようになるから ちょっと普通の会社を見て来い」と喝を入れられたそうな。

これまでの日本経済を支えて来た会社体制が行きづまりつつある中、 学生起業家が大流行りらしい。 日経新聞 によれば、学生の2割は独立志向を持っているとか。 まあ、ひとくちに独立と言ってもフリーランスで活動するのと人を雇うのとでは 事情が違ってくるが、いずれにせよ「大学4年になったら就職活動して...」という 既存のパターンは徐々に変わって行くと思われる。

実は私も院生の時分に会社を作ろうとしていたことがある。 個人契約の形ではあったが、プロジェクト単位で仕事を請け負って、 別にアルバイトを集めてシステムを作るといった事をやっていて、 投資してくれるという人もあった。 結局止めたのにはいろいろな事情が絡んでいるが、最終的には 自分はマネジメント屋ではなく技術屋だ、というところに落ち着いたからである。 少なくとも、自分は技術部門には責任を持てるが、 それ以外のマネジメントを得意とする人のサポートが不可欠であった。 今後そういう人に巡り合えたらまた独立を考えるかもしれない。

肝心なのは、独立そのものではなく、何のための独立かということであろう。 まず「自分はこれがやりたい。そしてこれをやることで共同体に貢献できる」 ということがあって、それを実現する手段として独立が良ければ独立を、 既存の会社勤めが良ければそれを選択すればよいだけの話である。 今いる会社は各プロジェクトが企業内企業のような性格を 持っているから、個人的にとりたてて出て行きたいと思わないというのもある。 どうしてもやりたいことがあったら、プレゼンして皆を説得すれば良いのだ。

ところで上記の日経新聞の記事では「既存の教育システムに合わなかった 起業家たち」という点が強調されているようだ。 客観的にみて優等生だった私にアウトローな生き方をする素質は無いかもしれん。

11/19(Wed) 作っては壊し...

昨日迄で現在作っているプログラムの方向性が確認できたので、 今一度アルゴリズムの見直し。クラス関係も整理して、大幅に書き直すことにする。 だいたい実験色が強いプログラムは、ある程度あたりをつけたらまず作って見て 問題点を洗い出し、もう一度書き直すとすっきりするものだ。 最初からきれいな仕様を切ろうとするといつまでたっても手がつけられないし、 最初に書いたコードにいつまでもこだわっているとぐちゃぐちゃになる。 というわけで、作っては壊し、作っては壊しの繰り返し。 少しづつ前進してはいる。

最初にかちっと仕様を決めて一気に仕上げる、というのは仕事の流れとしては スマートだし、行き先が見えているので精神的に楽でもある。 だが不確定要素が多い時はどうしても試行錯誤せざるを得ない。 その間、まるで霧の中を歩いているようで非常にフラストレーションが溜る。 しばしば十分な材料がないままに進む方向を決めなければならない場合がある。 その時頼りになるのは一種の勘のようなものである。 これが不思議なことにだいたいは正しい方向に進むのだが、 時には誤りに気付いて引き返さねばならないこともある。 費やした努力を、方向が違っていたからといって捨てるのは心理的につらいものだ。

以前、老人・障害者のケアサービスを行なうNPOでアルバイトしていた時のことだ。 私は介護ケースのデータベース化とマネジメントのためのソフトウェア開発を 担当していた。そのソフトを扱うコーディネーターの人々は、こういっちゃ何だが 普通のおばさん達で、「あれ、川合さん、窓がどっかいっちゃったよ」 「アイコン化のボタンを押したからでしょ。アイコンをクリックして」 みたいな会話をよくしていた。 だが、ここのおばさん達はただものではない、と私に思わせた出来事がある。

ある時コーディネーター会議で、それまでのデータの取り方がどうも うまくない、という話が出た。議論の末、これまでのデータはだめだ、 修正だ、ということになった。「さあ、修正するよ」号令一下、 彼女らは一言の文句も言わず、山のようなデータを手作業で黙々と直し 始めたのである。ほとんど無給でやっているコーディネーター、しかも みんな主婦として自分の家族を支える立場にもある。 だが自分達の責任において軌道修正が必要だとわかるや否や 愚痴ひとつこぼさず作業するおばさん達が、とても逞しく見えたものだ。

目的のためには、それまで積み上げたものをたやすく捨てさる潔さ。 自分で選んだことだから、それが決して無駄にはならないことを知っている。 あの人達を見習いたいものだ、とずっと思っている。

11/18(Tue) 呪文違い?

本日は雷雨。雨はよく降るけど、雷がこれだけ派手に鳴ったのは ハワイに越して来て初めての体験かな。 一日中オフィス内にいるからあまり関係はないのだけれど。 半袖だと多少肌寒さを感じるようになった。

Pixar社の新作のCGショートフィルムの試写会の案内が届く。 でもSanta Monicaは試写会のために出かけるにはちょっと遠いなあ。 LAって便利な場所だったのだなあと思うのはこんな時。

現在取り組んでいるツールの途中経過をマネージャーに見せる。 「グレイトだね。だけどシロウ、マッスルの綴りは "muscle" じゃないのかい?」 指摘されて、筋肉を "mustle" と綴っていることに気付く。とほほ。 クラス名、関数名からファイル名、ディレクトリ名まで全部修正。 まあ、こういう名前の間違いはリリースしてユーザが使い始めてしまったら 直そうにも直せないから、今のうちに見つかって幸いか。

自分が間違えたのを人のせいにしようというわけではないが、 英語の綴りと発音の関係は他のヨーロッパ系言語に比べるとかなり 複雑なように思える。 日本の子供が漢字の書き取りに悩むようにこっちの子供は綴りに悩むみたいだし。 あまり使われない単語はネイティブでも間違えることがしばしばある。 そういえば、綴りの間違いのパターンで同一人物が書いた文書かどうかを 推定する、っていうミステリーを昔読んだような。 以前メイルを交換したことのある人で、"strange" だったかな、 よく使う単語なんだけど必ず間違える人がいた。 一度間違って覚えちゃうとなかなか直せないのだろう。

それでも、英語圏には古くから結構賢いスペルチェッカーや文法チェッカーなどの プログラムがあるので、レポートや論文を書く時にはなかなか便利である。 まてよ、そういうプログラムが沢山作られたってことはやっぱり 間違える人が多いってことか?

ところで時々「スペルを間違える」という文章を見かけるが、 名詞として「綴り」と言いたいのなら「スペリングを間違える」なんじゃ なかろうか。もう半日本語として定着しているのかもしれないけど、 なんだか魔法の呪文(スペル)を間違えたみたいで変な感じがする。

11/17(Mon) 職住近接

LAより某ゲームタイトルのスタッフが大挙して押し寄せる。 ほんの2ヶ月ぶりくらいなのだが、やけに懐かしい。 だが彼らは現在恐ろしく忙しいので、 一緒に遊んでいる暇はあんまりなさそうだ。残念。

LAではオフィスから5分のところに住んでいた。 現在はオフィスから徒歩10分。車でも、駐車場に入れるのに時間がかかるので10分。 インラインスケートだと5分くらいかもしれない。 締切前でスケジュールがタイトになってくると、 近くに住めることはものすごく有難い。 徹夜明けに、ちょっと帰って仮眠をとってシャワーを浴びるだけで ずいぶん気分が良くなるからだ。

LAでもそうだったが、こちらでは家族持ちでない限り、職場を変わると 職場の近くに引っ越す人が多い。以前の家から職場まで30分程であっても、 職場まで10分のところに引っ越すのである。 アパートメントや貸家は、不動産屋などを通さなくても 新聞の広告欄で探して貸し主と直接交渉すれば良いので、 日本でいう礼金とか不動産屋への手数料なんかは不要である。 敷金にあたるデポジットは家賃1ヶ月分くらいだが、 出る時にカーペットのクリーニング代を引かれるくらいで戻って来る。 というわけで引っ越しにかかるコストが日本に比べべらぼうに安いのだ。

東京で学生をしていた頃は 実家から都心のキャンパスまで片道1時間程かけて電車で通っていた。 時差通学 (もちろん遅い方ね) でラッシュの時間帯は避けていたものの、 毎日の往復2時間に使うエネルギーというものはばかにならないものだったのだなと 職場の近くに住むようになってから改めて気付いた。

デメリットは、本を読む量が減ったこと(東京では電車内でいつも本を読んでいた)、 それから終電というリミットが無くなったので、 勤務時間に歯止めがなくなったことだろうか。 大学の研究室では、毎日のように0:15くらいに「泊まるか、帰るか」の決断を 迫られていたものだ。 現在は、終電の代わりに自分なりのリミットを決めておかないとつらい。 もっとも締切直前はそんなこと言ってられなくなるので、 泊まるか帰るか悩んでいられるうちはまだ幸せなのかもしれない。

11/16(Sun) 電子楽器の色気

ハワイにも冬の気配は迫っている。 毎週末ビーチで泳いでいて冬もないもんだと思われるかもしれないが、 日の短かさが冬の到来を告げてくれるのである。 午後6時過ぎくらいでもう真っ暗。 朝も、ホッケーの日は6:30頃に起きるのだが、最近ではその時間はまだ暗い。

夜間でもピアノを稽古したいのと、MIDI音源などつなげて遊んでみたいのとで、 ピアノタッチのキーボートを探しに行く。なかなか良いものが見つからない。 メカニズムがアコースティックと全く同じで、ハンマーが弦を叩くかわりに 内蔵音源を使う、いわゆるサイレントピアノならばタッチは問題ないのだが、 既にアコースティックがあるのにもう一台もっと高いピアノを買う程金はない。 デジタルピアノでは、バネを使わず錘で鍵盤を戻すようになっているタイプなんかは それなりに頑張ってるなというタッチではあるが、 鍵盤がぱたぱたして頼りない感じがしてしまうのはどうしようもないのか。 「デジピとアコピは全く別の楽器」と言われる程で、 比較してしまうのが間違いなのかもしれない。

ピアノに限らず、アコースティックの楽器には妙な艶めかしさを 感じてしまう。無論、長い歴史の中で完成された形状の美しさもあるが、 やはり奏者と楽器のコミュニケーションが一筋縄ではゆかないところに 秘密があるように思われる。例え量産されたものであっても楽器毎に 構成する部品のコンディションやバランスは異なるから、自分に合うもの 合わないものが出て来る。同じ楽器でも気温や湿度や使い込み具合に よって鳴り方が変わって来る。 「感触」が変われば、奏者はその変化を感じて奏法を調整し、そこに対話が生ずる。 微妙な奏法の変化もフィードバックされるから、 奏者自身が楽器を通して自分のコンディションに気付くということもある。

デジピの味気なさは、それらの微妙な要素を大幅に欠いてしまっているところに あるように思われる。 ピアノの場合、奏者が物理的にコントロールできるパラメータというのは 意外に少ない。 各鍵盤を押すタイミングと速度、そしてペダルの踏み具合だけである。 だが、アコピではハンマーが弦を叩く強さによって音量そのものだけでなく 音色が変わって来るし、各弦間の共鳴も全体の雰囲気に影響を与える。 入力から出力への伝達関数は恐ろしく複雑なのだ。

音色に影響を与える全ての要素を解析し コンピュータでシミュレートすることは原理的には可能であろう。 各要素について人間が変化を弁別できる閾値を測定し誤差をそれ以下に押さえれば 奏者にとってはアコースティックと同じことになる筈である。 だがそれだけでも膨大な計算が必要なうえ、 出力の音響条件までそろえようと思ったらアコースティックと大差なくなってしまう。 電子楽器は電子楽器として独自の道を歩むのが正解なのだろう。 ただ、果たしてその過程で、 電子楽器はアコースティック楽器に見られるような色気というものを獲得できるだろうか。 それが可能になる時は、 コンピュータを使ったインタラクティブメディアがもう一段進化する時であろう。

11/15(Sat) ビーチで再び迷子/The Jackal

ちょっと最近日記ファイルが重くなってきたので、 試しに当日分だけ置くようにしてみる。でも毎日読んでる人っているんだろうか。 読みに来る頻度が低ければ、一週間毎とかの方がいいかもしれない。 意見下さい

本日はWaimanalo Bay Parkで皆でシーフードバーベキュー。 多分焼き物は皆持って来るだろうから、ちょっと趣向を変えて刺身なんか いいだろうと思い、俎と柳刃を包んで持ってゆく。ネタは鮪、鯛、烏賊と蛸。 先週、Waimanalo Beachで迷って 誰にも会えなかったので、今回はしっかり場所を確認する。 南側に "Waimanalo Beach Park" があり、北側が "Waimanalo Bay Park" ね。 よし。これで完璧。

... のはずだったのに。"Waimanalo Beach Park" の一つ北のビーチに 着いてみると、誰もいない。なんか悪い予感がしてたんだよ。 ひょっとするともうすこし北なのかもしれない、と思い、てくてくビーチを 北へ向かって歩く (「別のビーチ」といってもほとんどつながっているのだ)。 そんなこんなで2時間ばかり彷う。ビーチを横目に見ながら汗だくになって、 でも誰も見つからない... ひょっとして、明日だったのかなあ。 それともWaimanaloじゃなくてWaimanaoとかHaimanaloとか似た名前の別の ビーチなのかもしれん...

最後にものは試しと一つ南のビーチに行って見る。と、 そこに "Waimanalo Beach Park" の表示が。全ての謎が解けた。 私が "Waimanalo Beach Park" だと思い込んで探しもしなかった場所が 目的地だったのだ。遂に友との邂逅を果たす。 刺身は... クーラーボックスに入れといたんだけど、 やっぱり旨味は落ちてしまうなあ。


で、本日の映画。Bruce Willis & Richard Gere の "The Jackal"。 冷酷無比な暗殺者と彼を追うかつての仲間。 どこまでも正統派のサスペンスに仕上がっている。 Bruce Willisは結構悪役も板についているし、 次々と姿を変えてゆく様も面白い。 話も二転三転、最後まではらはらする。

奇をてらった作りも、斬新な手法も、派手なスタントもないけれど、 きちんと作ればこんなに面白くなるっつうことかな。

ところで、今日観て来た映画は12:30amからの回。 こちらではかなり遅くまで上映しているのが、映画を観やすい理由である。 平日でも10:00からの回とかがあるので、仕事して、食事して、それから観にゆける。 もちろん料金の安さ ($4.00〜$7.00) も気軽に観にゆける要因。 日本は料金の高さと不便さで客足が遠のき、そのせいでまた料金をあげざるを 得ないという悪循環に陥っているような気がするなあ。 ランニングコストが全然違うから単純には比べられないのだが。

11/14(Fri) いいかげんな国/Mad City

ここ4日程さんざん頭を悩ませていた仕事上の問題が 同僚の知恵を借りてあっけなく解決。やはり情報交換は重要だ。 プログラムには劇的な速度向上が見られたが、まだ不充分。 でもとりあえず動いたから嬉しくなって退社。

米国社会の不思議な「いい加減さ」については何度か書いたが、 本日も2件ばかりそれに触れる機会があった。 まずは長距離電話会社。米国では市内(local)通話と市外(long distance)通話 それぞれと契約しなければならない。localは済んでいる地域によって電話会社が 決まってしまうが、long distanceは選択の余地がある。 で、2週間くらい前にSprintに申し込んだのが、まだつながらない。 どうせ忘れてるんだろうと思って催促の電話を入れる。やっぱり忘れていた...

もう一つは小切手。 銀行振込を申し込んでおいたのだが、手続きの都合上今回の給料は小切手だった。 ところが小切手の受取人("Pay to the order of")欄に印刷された私の名前が 違っている。("KAWAII" と "I" がひとつ多い)。 不安に思って「これで預けられるかなあ」と会計課のH女史に尋ねたら、 「大丈夫よ。全然違う名前でも平気。どうせ銀行の窓口の人は見てないから」 ... って、そんなんでいいんかい! まがりなりにも我々庶民にとっては大金ですぜ---でも、実際預けられた。 つくづく、不思議な国だ。


さて本日の映画は "Mad City"。 実直で子供にはやさしいが、神経質で不器用なSam (John Travolta) は 博物館のガードの仕事を首になる。だが何とかして家族を養って行かねばならない。 思い詰めた彼はボスに何とか考え直してくれるよう直訴する---ショットガンを持って。 もちろん彼はそれを使うつもりはなかった。 だが、全くの偶然からその場にローカルケーブルTVのキャスターMax (Dustin Hoffman) が居合わせたことで、彼の運命は大きく変わって行く。

主演にJohn TravoltaとDustin Hoffmanという ビッグネームが名を連ねているが、映画そのものはハリウッド的なノリとは ちょっとテイストが違う。リズムが淡々としているというか。 構えないで見せてるというか。 監督Costa Gavrasはアカデミー賞も取った人らしいけど、不勉強のため よく知りましぇん。これまでのタイトルを見るとフランスで撮っていたのかな。 脚本がまた良く出来ていて、いいセリフが散りばめられているし、 構成もいい。小説で読んでも面白いだろうな、という感じ。 登場人物の中には典型的に描かれすぎている役も無きにしもあらずだが、 役者がきっちりと演技で押さえるところを押さえていて違和感はない。

メディアがストーリーを「作る」過程が生々しい。 同じ素材を編集によって全く反対の立場から見せてしまう。 Max自身の言葉でさえ、彼自身の意図と反対の立場で編集され、 彼の意図と全く異なる意見として放送されるのだ。それにじっと聞き入るMax。 自分のこれまでのやりかたが自分に牙を向く瞬間。

ちょっとだけ違和感があったのは、さえないセキュリティガードという 役どころのJohn Travolta。あまりに他の映画での印象が強すぎるため のっけから目立ち過ぎてしまうのだ。物語上はアノニマスな民衆のうちの一人、 という方が望ましいのだろうが。まあこれは彼の責ではない。

全体的に押さえ目な演出の中で光っているのはMaxのアシスタント役の Mia Kirshner。実にいきいきとスクリーンの中で輝いている。 一気にファンになった。

観ている最中はそんなに引き込まれないような気がしてるんだけど、 観終わった後じわりと効いて来る映画。いいっす。

11/13(Thu) 米国CG業界就職事情

LAから流れてくる情報によれば、このところハリウッドではあちこちで lay offが進行中。もともと映画のCGはプロジェクト単位で人を集めるので プロジェクトがなくなればはいさよなら、というのは珍しいことではないのだが、 近年はCGアーティスト・技術者の人件費が高騰しているので 会社側もなおさら余分な人間を抱えていられないらしい。 映画業界に古くからある業種では組合が強いのだが、 新興のCGプロダクションなどではそんなものもない。

employerとemployeeの力関係は微妙である。常にemployerが強いとは限らない。 employerとしては少しでも使える人材を手もとに置いておきたいし、 能力のある人間は自分で勝手に動いて行く。 終身雇用というのが一般的でないから、 働くということは現在の生活を支えるだけでなく、 自分のキャリアを蓄積するという重要な意味を持つ。 次の職場にアプライする時に、resumeにどれだけのことが書けるか、 demo reelにどれだけの作品を入れられるかが勝負なのだ。

経験重視のこの業界では、学生を終えたばかりの人間が職を見つけるのは 至難の技だ。とにかくどこかに滑り込み、コンピュータを使える環境を手に入れて、 夜と休日は自分の作品作りに励んでいる連中もみて来た。 米国に来る前は、アメリカ人は日本人程働かないんじゃないかと思っていたが (これを偏見という) そんなことは決してない。働く人間は働くんである。 日本と違うのは、家族持ちは仕事後どこにも寄らずさっさと帰る。 自分の分担が終わればさっさと帰る。どうしても仕事が終わらず、休日に 出る必要が出て来てしまったら、家族を会社に連れて来る。 それもままならない程になったら、さくっと転職する、ってとこだろうか。

ずっと働ける保証が無いというのは、タフな世界であることは間違いない。 (私はそんな保証など最初からあてにしていないのだが)。 だが業界がある程度回っている限りは、健全なシステムなんではないかとも思う。 ここでは人は「歯車」には成り得ない。そういう人材は求められていないからだ。

11/12(Wed)

仕事が煮詰まっていたところ、 Admin sectionの美女二人から夕食のお誘いが。 一人はLAオフィスからの助っ人で、 私と久々に会ったので積もる話もあるだろうということになったのである (なーんておおげさなもんではないのだが)。 彼女を助手席に乗せ、一足先に店へ向かう。 初めて行く店だったので、店を探しつつ、会話も盛り上げつつ 小雨の降り出したKing Streetを走る。 英語での美女との会話は、しかし、 私の情報処理能力の多くの部分を占有してしまっていたらしい。 店を通り過ぎてしまったようなので回って戻ってこようと左折したら 正面からヘッドライトが。 うわーい一方通行逆走だあ。

今こうして日記を書いているということは何事も無かったわけであるが。 いや、車多くなかったんで危険はなかったんだがね。 何事も無かったように車を戻したが、恥ずかしかったぞお。かなり。

11/11(Tue) 学問てなんじゃろなあ

今夜の献立もうどん。だが、作り始める前に 鮪の刺身でビールをちょいと一杯やったのがまずかったか。 ふと気付くと、葱 (green onionという) を一把まるまる刻んでしまっていた。 えいままよと全部放り込むと、め、麺が見えない... ま、葱好きだからいいんだけどさ。

今日はVeterans Dayで会社は休みだったが、 社内向けチュートリアルのドキュメント書きにちょっと出た。 チュートリアルとか仕様書の類はなんぼでも筆が進む。 この調子で論文も書ければ良いのだが、何故論文書きはあんなに辛いのだろう。 向いてないのだろうかね。 修士論文審査の時、「で、君の研究は学術的にどういう点が優れているのかね」 と偉い先生に質問され、「こういうのがあったら便利でしょう」と即答した私は やっぱり研究者として生まれついてはいないのかもしれん。 学術的ってなんじゃい。 私にとっては「こういうことができたらもっと楽なのに/楽しいのに」 っていうことに役に立ちさえすればそれでいいんである。 9年も大学に行っていて、学問の何たるかを私は遂に会得しなかった。

でも、どんな工学者もそういう多かれ少なかれそういうモティベーションで 始めていると思うんである。ACM あたりのカンファレンスに出てみれば、趣味が昂じてそれに一生を捧げる 決心をしてしまったような人々がわんさかいる。その中で、 どうしても日本の大学っていまいち元気がないなあという印象を受けてしまうのだ。 もちろんexcitingな研究を出して来る日本人はいる。 日本のレベルは高いのだ。けれど、子供が自分の宝物を自慢するように、 目を輝かせて自分の研究を語れる日本の学生というのに出会うことは少ない。 自分が学生だった頃を振り返れば、国際会議なんて見るもの聞くもの珍しい おのぼりさん状態だったんだから、人のことは言えないのだけれど。

恥ずかしながら、学生の時私は講義にほとんど出席しなかった。 出たのはコマ数で1割以下だろう。 ちゃんと出ていれば学問とは何かわかったのかもしれない。 私の怠惰な性格が全ての原因なのだが、しかし、 excitingな講義が無いと感じたのもまた事実である。 (講義に出なかっただけで、勉強はしていた)。 そんな中でただ一つ、ものすごく面白かった講義があった。 自己組織化なんかのほうで有名なN先生の講義で、ほとんど毎回、 その先生の試作した機械をいろいろ持って来ては説明してくれる。 <<アイディア>> → <<設計>> → <<試作>> → <<考察>> → <<より深いアイディア>> というダイナミックなサイクルと、 それに賭ける先生の情熱が伝わって来る、いい講義だった。

人のことをぐちゃぐちゃ言う前に、自分自身が常に、 子供のように目を輝かせて語れる研究をやってくしかないのだ。 あのN先生のように。

11/10(Mon) Ashkenazyのショパン、Rachmaninoffのショパン

最近ちょっと真面目にショパンの練習曲をさらいだしているので、 参考にするためAshkenazyの弾くEtudesのCDを買ってきた。 (こう書くとすごいかっこいいなあ。 実際のところゆっくりゆっくりさらっているのでまだ全然曲になっていない)。 実家にはポリーニ演奏のレコードがあってずいぶん聴いたものだった。 ピアノが好きになったきっかけである。ポリーニの弾くショパンは、 クールな中に情熱を秘めているという感じだった、と記憶している。 アシュケナージのはしかし、こらまたずいぶんロマンチックな演奏である。 ちゃんと要所要所は締めているが。

実はロマンチックすぎて (というか、優しすぎる感じがして) いまいち私の好みではなかったのだが、最後Op25-12、これに度肝を抜かれた。 全曲通じてフォルテで両手が幅広いアルペジオを奏する嵐のようなこの曲を 彼は意表をついてピアノで始め、全く違った響きを作る。 嵐の下でうねる海面ではなく、静かに砂浜に打ち寄せる波のような、 こんな風に響かせられるとは思いもよらなかった。 それが中間部から次第に荒れてきて激しい嵐になり、最後に力強く雲が晴れて終わる。 やっぱ勉強せないけませんな。 まあ私の場合、「こう弾きたい」と思っても指が全然ついてこないんで 関係ないかもしれないけど。

ちなみにラフマニノフの弾くショパン(ソナタ他)も買ってきたのだが、 こっちは見事に私のつぼにはまる。もう一音一音に痺れまくる。 彼の弾くショパンは「熱い」のだ。血がたぎるとはまさにこのこと。 いいぞう。

11/9(Sun) The Dark Tower/歯が...

待望のStephen Kingの新刊、"The Dark Tower IV: Wizard and Grass" 遂にget。 先週本屋で尋ねたら「いつ入るかわからない」と言われて、 それでも2日とあけずチェックしていた甲斐があった。 このシリーズ、巻を追う毎にどんどん厚くなっているのだが、 これも例に洩れず、III巻より厚いずっしりとくるペーパーバック。 まだ "IT" よりは薄いが、このペースだと次あたりで越えそう。

前巻 "The Waste Land" の刊行から5年。さすがに読者に配慮してか、 ちゃんと「これまでのあらすじ」が最初に載っている。 結構細かい話を忘れていることを確認。 改めて全部読み直したくなってしまうではないか。 前巻の最後、狂って二重人格を持つに至ったコンピュータに操られる 800mphで走る超高速モノレールに閉じ込められた主人公達が 命を賭けたなぞなぞ合戦に挑む (こう書くと全然わけ分からない話だなあ) ところで終っていたが、ちゃんとその続きから始まる。 読み終るのにはしばらくかかると思うけど、終ったら Kingのページの方に 載せるのでよろしく。 とりあえず本屋の横のStarbucks Coffeeで最初の方を読むが、 今日は仕事もしなければならんので途中で諦めて会社へ。


アメリカで医者にかかるのは何かと面倒臭そうなので、 日本を出る際に医者に直せる悪い所は全部直して出て来た (結局こちらで網膜専門医にかかるはめになったのだが、 それについてはまた書くこともあるだろう)。 虫歯も見付けられるだけ見付けて全部金歯にして来たのだが、 先日、大分昔に直した歯 (その頃は貧しかったから金歯じゃなかった) の詰め物が崩壊。めんどくさがってほっておいたら、本日激痛に襲われる。 やっぱほっといたらだめだね。明日にでも予約いれなきゃ。

この国で医者にかかるのは、日本と比べるとちょっと面倒だ。 日本では「全ておまかせ」の健康保険だが、 こちらではさまざまな保険会社があり、それぞれが医者と契約を結んでいる。 したがってかかる医者によっては、自分の契約している保険会社の保険が 使えないことがあるのだ (私の加入している保険会社だと契約外の医者 にかかってもある程度は払ってくれるが率は低い)。 契約は医者毎なので、同じ病院内でも医師によって契約している保険会社が 違ったりする場合もある。また、ある医者から別の医者を紹介された場合、 紹介先の医者が同じ保険会社と契約しているとは限らない。 いずれも医者にかかる前にちゃんと保険が有効かどうかを自分で確かめなければ ならないのである。

私の場合は会社のgroup planなので、明日にでも同僚に「いい歯医者ない?」 と聞きまくろう。とりあえず夕食は噛めないのでうどんにする。

11/8(Sat) ビーチにて一人佇む

朝。一度目覚しを止めたのは覚えている。土曜日だからもう少し寝てよう。 ふと目を覚ますともう10時。げ。しまった。

「朝10時くらいからWaimanaloのビーチに出てますけど来ますか」 昨日同僚のSにこう尋ねられ、yesと返事しておいたのだ。 彼は愛車のJaguarを颯爽と乗りこなし、毎朝ビーチで boogie board (最近はbody boardとは言わないらしい) をたしなむ男だ。 ちなみにそのJaguarには色々な話があるのだが、 許可無く全世界に公開するのは気が引けるのでここでは彼がそれを $2,000で買った($20,000じゃないよ)という事実のみ述べておく。 あとはいろいろ想像されたし。

まああせっても仕方ないし、 腹が減ってはブギボもできんのでのらくらと朝飯を食らったりシャワーを 浴びたりしてゆったり出かけたら、山を越える道が意外と混んでたりして 結局ビーチに着いたのは11:30を回っていた。むう、駐車場に彼のJaguarが 見当たらないぞ。

Waimanaloは島の東側にあるゆるい湾になっている遠浅のビーチで、 この時期でも波がそれほど高くない。ハワイのWaikiki以外のビーチでは 日本の様に人がたくさん出ていないので、人を探すのは普通はそんなに 難しくないのだが、Waimanaloのビーチは延々と数マイル続いているのだ。 一応、指定の駐車場の近くでやっているはずなんだが、 ずいぶん時間が経っているから移動したのかもしれん。 長ーいビーチをとぼとぼと歩き続けて探したが見つからない。 汗びっしょりになったのでしばらく泳いだが、 海って一人じゃ全然つまらないのお。 回りは家族連れや年配の夫婦か、ガキばっかりだし。 プールなら一人でも1000mとか目標を決めて泳げるのに。

そうそう、ハワイでは普通皆水着を着て泳いでいるが、 本日ヌーディストのカップルを発見。さすがに脱いでいたのは泳いでいる 時だけで、岸に上がる前には身につけていたが。 でも目の保養になる程の体型ではなかった。

11/7(Fri) Driving in US (2)/Starship Troopers

今朝のホッケーは人数が集まらず、2on2 でやるハメに。 日和っていられないので無茶苦茶きつい。 朝9:30の時点で一日分の体力を使い果してしまった... 仕事はどうするのだ。 とりあえず一旦自宅に帰りシャワーを浴びてリフレッシュ。 のろのろと出社する。歩くだけで、あ、足がつりそう。 それにしても、カナダ人との実力差はいかんともしがたいが、 せめてもう少し個人技を磨きたいものだ。

日本の新聞をWWWで読んでいたら、 ロス近郊で自動車事故で邦人5人死傷とのこと。 タイヤがパンクして横転とは気の毒としか言いようが無い。 亡くなった方の御冥福を祈ります。 時速135キロで走行中というからだいたい84mph、 カリフォルニアのフリーウェイの制限速度は70mphだが、 実際の所、ひとたび郊外に出たら90mph〜100mph (160km/h)くらいで流れるのが普通だ。 巨大なトレーラートラックが90mphで走っているのは見るだに恐ろしい。

一昨年くらいまで、フリーウェイでの制限速度は全国一律55mphだった。 制限が外れてから各州毎に上限が決められるようになり、 65〜75mphにしたところが多いようだ。 ネバダの一部には速度の上限が無いところもあるという噂だがまだ見たことはない。 取り締まろうにも回りは砂漠だし、 制限速度など設けても仕方無いというのは理にかなっている。

以前、アリゾナ、コロラド、ユタ州などを一人で車で旅した。 アメリカは、都市を出たらずーっと何もない土地が続くと話には聞いていたが、 実際体験してみるとこれはすごい。 見渡す限りの荒れ地に、地平線の彼方まで延びる道路を 100mphで延々と走り続けても、いつまでたっても次の街に着かないのだ。 (BarstowとかLas Vegasなんかは、そんな荒れ地の中に文字通り突如として出現する)。

そんなドライブでの最大の強敵は眠気。ハッカのキャンディーとガムを 山のように買い込んで走っていたのだが、2〜3時間も変わらぬ景色の中を 変わらぬ速度で走っているとふーっと気が遠くなって行く。 それが決して私だけでないこということを、 フリーウェイの路面に生々しく残る数多くのタイヤの跡が証明している。 そのタイヤ跡の多くは、路上に長々と蛇行する二本の軌跡を残した後、そのまま フリーウェイを飛び出していってしまっている。合掌。

実際、冗談にならない体験をした。アリゾナの北部で、 フリーウェイではないハイウェイをちょっとぼーっと走っていた時のことだ。 ふと気が付くと、なんと今まさに赤に変わらんとしている信号機が見える。 加速して走り抜けるのは余りに危険な賭けと判断し、思いっきりブレーキを踏んだ。 スピードメータの針が100mphからぐんぐん下がってゆく、 80mph...70mph...60mph... 止まらない! 交差点がすごい速さで近付いてくる。 50mph...40mph... タイヤがすさまじい音を立てて軋む。 30...20...10... ようやく停止したのは交差点を半ば過ぎた位置であった。

ハンドルを握る手は汗びっしょり。すぐに加速して走り抜ける。 交差する道路で待っていた車達は、ブレーキ音を聞いていたのだろう、 ちゃんと待っていてくれたが、一歩間違えれば「アリゾナで邦人死亡」と 日本の新聞の社会面に載るところだった。 「車は急には止まれない」という標語を身を持って体験したのである。

ちなみに試した中で最も眠気覚ましに効果があったのは "Hot" 表示のある ビーフジャーキー。口の中が燃えるようで眠るどころではない。 コストパフォーマンスが悪いのが欠点。 二番目に効果があったのは発声(滑舌)練習。 車の中で「母の頬に微笑みを見、ハヤオはほっとした。母の皮肉な微笑み、 母は母なりの抱負や批判を持っているのだ」とか 定番の外郎売りのセリフなど大声で怒鳴っているとしばらくは効果がある。 同乗者がいる時に使えないのが欠点。 あ、同乗者がいる時はひっぱたいてもらえばいいのか。


さて、今日は盛り沢山だが、 映画 "Starship Troopers" を観て来たので書いて置かねば。 予告編を見てあんまり期待してなかったのだが、これがどうして、面白い面白い。 全てを戯画化した構成 (「軍隊」「戦争」「階級」「政治的プロパガンダ」 と言ったものさえもカリカチュアライズしており、 それが強烈にブラックな笑いを誘う)、 明らかに狙ってやっているベタなストーリー、 そしてこれでもかこれでもかと繰り出されるvisual effectsの数々 (CGどっぷりのハリウッド映画そのものをカリカチュアライズしている?)。 Alias|Wavefrontの友人Jackと観に言って二人で口をあんぐり。 「こ、ここまでやるか...」。

ちなみにeffectsは巨大昆虫群がILM、 starshipがSony Pictures Imageworks。ちょうど今日届いたLA Siggraphの newsletterによれば、Sony Pictures側のvfx supervisor Dan Radfordは 「これまでに我々が見たこともない映像を作ることを目指した」そうで。 とにかく、"Mars Attack!" が楽しめた方になら文句無しにお勧めだ。 でも原作はハインラインなのね。知らなかった。

11/6(Thu) Into Thin Air

昨年春にエベレストで起きた遭難を描いたJon Krakauerの "Into Thin Air" を読了。だいぶ前に買ったにもかかわらずなかなか読む時間を見つけられずに ほったらかしになっていたのだが、ここ数日、寝る間を惜しんで読み耽っていたのだ。 凄い本だ。感想を書いたが、長くなったので 別ページにする。

エベレストの頂上を極めた人は1996年までに延べ630人 (もちろん複数回登っている人もいる)。その間の死者は144人。 自分の命を賭けるには、あまり良いオッズではない。 もし自分の友人や恋人が「それでも登る」と言い出したらどうするか。

いやこれは山に限ったことではない。 しばしば人は、理性的に考えれば納得しがたい行動をとる。 自分が自分であるために、そういう行動をとらねばならない時がある。 ただ気がふれただけなのか、それともその行動がその人の 存在そのものに対する必要条件なのか、 それを区別する客観的な方法は、無い。 その判断を迫られた時点で、 本人はすでに人間の理性では扱いきれない場所にいるからだ。 存在するということ自体が、そもそも理性の埓外のことである。 普段我々は、理性という眼鏡で見える範囲を観ているだけに過ぎない。

ふと、数年前のことを思い出した。 芝居の公演を控えたある時、 一緒に舞台に立つ予定だった役者がふともらした。 ある劇団のオーディションを受けたいのだと。 オーディションのレベルからすれば受かるのは難しいが、 受かればプロへの道に弾みがつく。 しかしもし受かった場合、日程的にこの公演には出られなくなる。 直前なので代役を立てるのも困難、とすれば自分のエゴのために この公演に関わって来た皆を犠牲にすることになる。迷っている、と。

「本気で受けたいなら受ければいい」と私は答えた。 「もし受かって、この公演がキャンセルされたら、 多分今の仲間の何人かは一生お前のことを許さないだろう。 それでも受けたいというのなら、あきらめることを心が許さないというなら、 それを止めることはお前に死ねと言うに等しいから。」

最後の一線での決断は、理性と非理性の境界領域にある。 友人よりも、恋人よりも大事なのは自分。最後は自分の心で決めるしかない。 彼はこの時は、直前に迫った公演を続ける方を選んだ。 でも次に同じような決断に迫られた時どうするか。 どうなるかはその時になってみないと分からない。

そして私自身だって、いつ他者にとって裏切者になるかわからないのだ。

11/5(Wed) ハワイの秋

「ハワイはいつも夏なんでしょ」などと言われるが、 ハワイにだってちゃんと四季はある。 現に、最近はめっきり秋らしくなってきた。 秋と言っても木々は青々としているし、 相変わらず半袖短パンで過ごしているのだが、風が秋なんである。 昼暑くても、夜には涼しいなあと感じる。 ちょうど東京の9月始めくらいの感じだろうか。 冷房もあまり使わなくなったし。

ハワイの人は一年中泳いでいるのかとも思っていたが、 ここで生まれ育った友人に言わせると「冬泳いでるのは観光客だけ」 なんだそうだ (但しサーファーは別)。 週末になるとなんとなくビーチに行かなければならないような気になる 私はハワイアンとしてはまだまだである。

本日はR&Dチームの全体ミーティングの後、皆で食事。 「にんにく屋」という、全てのメニューににんにくが使われている店に行く。 料理自体はさまざまな国籍のmixtureで、タイのトムヤムがあるかと思えば Japaneseなんとかというメニューがあったり、 アメリカンなステーキがあったりするのだが、 その徹底したにんにくぶりは、表を車で通っただけではっきり嗅ぐことができる。 なにしろデザートのアイスクリームにまでガーリック。

珍しさに皆いろいろなメニューを頼んだんだが、どんどん来るうちに 何が何だか結局わからなくなった。ただトムヤムは非常にスパイシーでgood。 さて、明日オフィスでR&Dチームのセクションに足を踏みいれた 他のセクションの連中がどんな顔をするか、楽しみである。

ところで、昨日口内炎のことを書いたら何人かの方に御心配頂きました。 ありがとうございます。これまでの経験からすると、 プログラムが順調に動き始め、自己満足でにやにやして 脳内にドーパミンが溢れ出すと、口内炎達は直ちに消え去るので御安心ください。

11/4(Tue) 口内炎

遅い。遅すぎる。

私はここ数日頭をかかえていた。理屈通りに実装したプログラムは、 確かに小さなデータでは理屈通りに動いたのだが、 実際に使うデータにおいては哀しくなるくらい遅かった。 これでは実用にならん。 だが小手先の効率化はいずれも通じなかった。根本的にアルゴリズムを 見直す必要がありそうだ。

仕事が進まなくなると、決まって口内炎に見舞われる。 現在も4〜5箇所に炎症が発生している。 特に舌に口内炎ができると英語のthとかの発音がうまくできなくなり、 ただでさえ下手な英語のろれつがまわらなくなる。 もっともアメリカに移って能天気生活を始めてからは驚く程症状が軽減した。 かつてはほとんどいつも口内炎を抱えていたし、 ひどい時には物を噛むこともできず、薄いお粥をストローですすったり していたというのに、現在は口内炎がある時のほうが珍しいのだ。

口内炎に悩む人は多いらしく、色々な人が色々な治療法を教えてくれる。 私の場合は多分に体質的なものがあるらしい。というのは、 父親もよく口内炎になったからだ。実際父親は色々な治療法をどんどん 試してみたのだが、いずれも効くような効かないようなで、 結局あきらめていた。

しかしある日を境にして、父親の口内炎はぴたりと鳴りをひそめたのである。 その日、父は私が生まれる前から続けていた禁煙を解いたのだ。 「医者に話すと必ず『そんなことがあるわけがない』と言われるんだよ」と 笑いながら、しかし父はうまそうに煙草を吸う。 ニコチンの作用なのか、それとも煙草によってストレスが緩和されたのか。 いずれにせよ、この「煙草効果」は一般的なものではなく、 あくまでそれが父親に合っていたからなのだと思う。

私自身も、口内炎がなんらかの心身的バランスに起因することに気付いていた。 というのは、それだけ患った口内炎なのに、 役者として舞台に立つ約一週間前になると必ずぴたりと直ったからである。 どんなにハードな日程で疲労がたまっていても、 不規則な食生活で栄養が偏っていても、 本番の舞台上で口内炎に悩まされたことは一度もない。 本番前には、限られた時間内で自分のコンディションを最良に保つことに おそろしく集中する。その集中力と、芝居が好きでたまらないということ、 これが口内炎を止めたのだろうと思っている。 以来、口内炎は自分のコンディションの良きバロメーターとなっている。

「何が自分の為になり、何が自分の害になるか、の自分自身の観察が、 健康を保つ最上の物理学であるということには、物理学の規則を越えた 知慧がある」と言ったのはベーコンだそうな。 「一般的に健康に良いこと」に耳を傾ける価値はあるが、 「自分の健康に良いこと」は自分自身で見つけて行くしかないのだ。

11/3(Mon) 英語と日本語

うちのオフィスでは数ヶ国語が乱れ飛んでいるが、 一応社内のprimary languageは英語なので、レポート、マニュアルの類はいつも 英語で書く。しかし、しばしば日本語訳のリクエストがある。 書いた本人が訳すのが合理的と言えば合理的だし、 コミュニケーションを円滑にするのに協力することはやぶさかではないが、 一度英語で書いた文章を日本語にする、これがなかなか厄介なんである。

私は翻訳の専門家ではないので何が難しいと聞かれてもよくわからないのだが、 日本語と英語ではリズムが違う感じがする。そのまま訳すともろ翻訳調になって、 それなら専門の翻訳者に訳してもらった方がいい。ちゃんとした日本語に しようと思うと結局最初の構成から考え直すことになるので二度手間だ。

でも、言葉の壁は、ある意味では表面的なものとも言える。 議題が絞られていて、しかも双方がその話題に精通している場合は カタコトの英語でも充分に議論が成り立つではないか。 USに来て間もない頃、テクニカルスタッフのミーティングで議論して、 「お、結構俺の英語も通じるじゃん」と自惚れたものだ。 その後食事に行って全然会話についていけず、 その自信はあっという間に崩れ去ったのだが。

問題は、会話の際に暗黙の前提とされる各種の知識や文化なのである。 テクニカルな、きちんと定義された用語と概念で話しをするのは易しい。 これがもっと一般的な話題だとか、曖昧な概念、 たとえばゲームのコンセプトだとか演出の話になってくると、 暗黙の前提としている文化の違いはあまりに大きい。 日米で仕事のやりかたが違う場合も然り。前提が噛み合わないので 10分ですむはずの議論が2時間かかったりする。

通訳もしばしばやるが、暗黙の前提を明示的に示したり その逆をやったりしていると、 一言の会話を訳すのに長々と説明したり、逆に長い演説が1センテンスに なったりしてしまって難しい。つくづく、同時通訳者っていうのは すごいと思う。よほど両方の文化に精通し、かつ両方の言葉に対する 鋭いセンスがないと勤まらないだろう。

日本では文部省が「使える英語を」とか「英語の早期教育を」とか 言ってるみたいだが、使える英語ってなんなんだろうか。 翻訳家になるのでもなければ、 語学的な知識としては高校までの英語プラス自分の専門分野の語彙で 充分だと思うんである。 それよりもはるかに重要なのは、 自分の論旨を整理して言いたいことをはっきりさせること、 双方の暗黙の前提の違いに敏感になること、 そして言葉に対するリズム感だろうか。 日本語ですっきりとした文章が書けないのなら、 英語できちんとした文章が書けるわけがない。 そういう意味では国語教育をもっと重視しても良いと思う。

なーんて偉そうに書いているとまるですっかりバイリンガルみたいだけど、 自分の書いた英語をネイティブに添削してもらうとぼろぼろ間違いがあるもんである。 やっぱり時制と数の一致が難しいね。 日本語環境で育った私にはそういう概念が実装されてないんである。

11/2(Sun) The Full Monty

昨日の日記に書き忘れていた。この週末にHonoluluでコンピューター、 通信関係の展示会が行なわれているのでちょっとLと覗いて来たのだ。 ラジオで「家族皆で楽しめる、ハイテク機器一斉展示!」みたいな 広告をばんばん打っているのだが、会場に着いてみるとずいぶん静か。 ブースを出している会社は20社くらいだろうか。 同じ業界内ではお互いに知り合いになるのだろう、 ライバル社のブースに行って油を売っている社員とかもいる、 のどかな展示会であった。 LAや東京の喧騒極まりない展示会は行くだけで疲れてしまうので、 こういうのもたまにはいいかも。

本日の映画 "The Full Monty"。だいぶ前に知人に勧められていたのだが 今まで観る機会を逸していた。 かつて製鉄で栄えたが、現在はさびれてしまった町。何をやっても うまくゆかず、職を探してうろつくさえない主人公達が一大決心をする。 男性ストリッパーになって一山当てようというのだ。およそストリッパー 向きではない連中がダンスにフィットネスにと特訓を開始する。

ところどころの笑いをとるカットが、キャラクタの味でもって 素直に笑えるようになっている。きめ細かく丁寧に作られたコメディ。 シリアスなシーンも淡々と進み、押しつけがましいところがない。 主人公と一緒に一喜一憂しながら、最後にスコーンと突き抜けて 気持ちいい笑いで終われる。カメラがいい表情をとらえている。

11/1(Sat) Switchback

一昨日の日記に書いたLが家に来ているので、ともにドライブに出かける。 ホノルル、ワイキキ近辺は高層のオフィスビルやコンドミニアムが 建ち並び、ショッピングセンターやレストランに人が溢れ返っていて 大都市にいるような錯覚さえ覚えるが、それは島全体から見ればほんの一部分。 車でほんの15分も走ればすっかり田舎の風景である。 特に島の中央〜西側は基地か農場、あるいは人の手の入らない野山。 Interstate Highway H2 (ハワイにも、日本の「国道」に相当する Interstate Highwayが3本ある。 太平洋の孤島でInterstateというのも考えてみれば変な話なのだが。) から99号線へと抜けると見渡す限りのパイナップル畑、そしてその向こうに 島の北側の街、Haleiwaが見えてくる。ほんの30分程で縦断できてしまう島なのだ。

島の北岸を、本日は西へと走る。北岸は波が荒く、 特に北西部はサーファーもいない。誰もいない、何もない海岸に波が白く砕ける。 海の色は全然違うけど、なんとなく北陸地方の日本海を思い出す。

夜、映画 "Switchback"。連続殺人犯とそれを追うFBI捜査官、 そしてふとしたことから彼らに関わる人々のストーリーをテンポ良くみせる。 各キャラクターがよく描かれていて悪くはない。でも、人間ドラマにも なりきれず、アクションにも徹し切れず、推理ドラマとしても弱いという、 なんとなく中途半端な印象が残った。 特に犯人のモティベーションがいまいち掴めん。

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Shiro Kawai
shiro@lava.net

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