2000年10月

[前月][次月][一覧]:[表紙][映画][King][BBS]


10/31 (Tue) あと4日

全世界的にコスプレ解禁、もとい、仮装大会となる今日この日。 昨年までは何かしら仮装してたんだが、今年はさすがに余裕が無い。 そもそも昨夜は家にさえ帰ってない。 わざわざオフィスまで見に来てもらっても何もないっす>少数の同僚。 某社からお客さんが来ていて10時から17時までびっちりミーティング なので、コーヒーを浴びるように飲んで眠気に耐える。最後の方は ちょくちょく落ちてたけど。

式にむけての作業量はそんなに多いわけじゃない。イベントのアレンジ自体は 舞台監督をやっているみたいで楽しい (今回は主演でもあるわけだし)。 ただ昼間は頭を仕事に切り替えざるを得ないわけで、考える時間も動ける時間も 限られているのが、妙にプレッシャーになる。

いよいよ明日の早朝に、2便に分かれて双方の一族が到着する。さっさと寝とかないと。

10/29 (Sun) あと6日

結婚式前のこのくそ忙しい時期に白蟻駆除なんかがあるから準備で大変だ。 食品は全て袋に密封。明日はアパートメントに入れない。 日程は前から分かってたんだからそれに合わせて準備すれば良いのに、 という突っ込みは不可。改めて準備することのリストを作ってみたら寝る時間が 無いではないか←だから今頃になってやるなって。式まであと6日。

10/28 (Sat)

昨夜は久々に飲みに行った。ボスのおごり。ブランデーの水割りとロック数杯で沈没。 アルコールは好きだが弱い。ソフトリミットを超えると頭が痛くなって、 アルコールが分解されるまで動かなくなる。ハードリミットを超えると 無条件に受け入れられないアルコール分を排出する。もっともハードリミットは 20代前半の経験によりだいたい見当がつくので、それを超えることはもうほとんど 無くなった。

式を挙げて一緒に暮らし始めるまではやっぱり落ち着かない。 生活が大きく変化するんだろうが、どう変化するのかわからないから、 仕事にせよプライベートにせよ新しいことを始めるのがためらわれる。 とりあえず仕事は日常業務、プライベートは式の準備、で過ぎてゆくのだけど なんか中途半端だ。

10/25 (Wed) ビザ騒動

ここ2〜3日、ばたばたしていた。顛末は以下の通り。

遅くとも先週には下りているはずだった妻のE-2扶養者ビザが 今週頭にまだ届いてない。11/4に式を控えて妻は11/1にこちらに来る予定。 しかしパスポートは米国大使館に預けてある。あと一週間で下りなければ入国は不可能、 式はキャンセル。あまり嬉しい事態ではない。

もともと日程がきついことは分かっていたので、一応こういう事態も想定してはあった。 手続きを進める東京本社にまず連絡、そこからpetitionを準備したLAの弁護士事務所に連絡がゆき、 LAから日本の米国大使館に問い合わせ。ハワイの月曜の午後=LAの月曜の夜=日本時間の火曜の午前中に LAから私の方に事態の説明の連絡。 何故か米国大使館は私のパスポートのコピーをチェックする必要があり、 処理が止まっているとのこと。マークされてるのか>自分。よくわからん。 とにかく全ページのコピーを取って東京にFax。

LAから再び連絡が入ったのは火曜の朝=LAの火曜の昼=日本の水曜の早朝。 今から郵送で手続きを再開していては間に合わない公算が高い。しかし、米国大使館は 毎週木曜に直接面接を受けてビザを発行するということをやっている。それに滑り込めれば、 木曜には確実にビザが手に入る、とのこと。日本にいる妻に連絡して、大使館に 面接の予約を取るように伝える。

ところが妻は、大使館の自動予約システムでうまく予約できないという。 東京とLAとにかわりばんこに電話をかけまくって相談したり試したり。 ひとつ幸いだったのは、処理が中断した時点で妻のパスポートは東京のエージェンシーの ところに戻っていたことが判明したこと。したがって、予約が取れなかったり、 あるいは面接で何か不都合があった場合はビザの処理を中断したまま、 観光用のビザ免除制度で来米するというバックアッププランをたてる。 もちろんその場合、片道チケットでは入国できないから、判明次第こちらで 帰りのチケットを購入して日本に送らなければならない。

などと気を揉んでいたが、日本時間水曜の午後に予約が取れたとの連絡が入る。 必要書類を東京本社から妻のところへバイク便で届けて、日本時間木曜の朝に 妻が大使館へ出向くことになった。LAにもその旨報告。どうやら寝入りばなを起こしてしまった らしい。"Yeah!" とか喜んでくれたが。 あとは、面接の場でなにか不都合が起きないことを祈るばかり。

で、今日の夕方=日本時間木曜の午後に無事ビザが下りた。 妻の話だと、散々待たされた挙げ句にどうでも良いことを延々と尋ねられて参ったそうだが。 「何故あなたがたは結婚したのに一緒に暮らしていないんですか?」と聞かれた時は、 一緒に暮らしたいからビザ申請しに来てるんじゃーボケー! と切れそうになった らしいが、よくぞ抑えた。ひと安心。

10/20 (Fri)

そろそろやばくなってきた野菜を一気に片付けるために昨夜はカレーを作ったのだが、 食べても食べても無くならず。今夜で4食目。あと2食分はゆうにありそうだ。


昨日の話題はちょっと特定のプログラミングトピックに偏りすぎた。 今日もソフトウェアの話題だが、一般的な話。

そもそも、何でプログラムを書くのかってえと、それによって仕事や生活のある 局面を便利にしたりとか、幸せにしたりとか、物理的な制約をはずして能力を発揮できるように したりとか、そういうことがしたいわけだ。手間も間違いも多い書類ベースの作業を 電子化するのは、それによって間違いの訂正だとか書類を持って走り回るのにかかる時間を 減らして、やりたいことに集中したいがためだ。

だがソフトウェアとて一つの道具にすぎず、紙とエンピツという道具に比べて長所もあれば 短所もある。将来はどうかわからないが、現在、端末まで行かなければ作業が出来ない、 というのは大きな制約だ。非定型的な入力が苦手なのも。それに、ワークフローの中に 今までと違う作業を導入するなら、全体の仕事がうまく流れるように調整してやらなければ ならないし、ある場合にはユーザが頭に描いている作業モデルに介入して新しいモデルを 確立するのを手伝ってやらねばならない。例えばユーザが「このソフトは時々クラッシュするから 信用できない」として手書き書類で業務を流して、ソフトの入力はおざなりのものになって しまったとしたら、そのユーザの信頼を取り戻すまでは、どんなに素晴らしい機能を 実装しても使ってもらえない可能性が大だ。

使えるソフトウェアシステムを作るとき、そういう非ソフトウェアな部分--- 組織運営とか人材教育とか---の流れを整えるのは非常に重要だ。5割以上の努力が そこに割かれるべきで、実際のプログラムを作る過程など1割くらいの重要度しかない。 残りの4割はメンテナンス。

にもかかわらず、ソフトウェアを導入しさえすれば問題が解決する、という人々の 思い込みは意外に強固だ。油絵の具とキャンバスを買って来たらばりばり画が書けるという ものでもあるまいに。

もちろん核となるソフトウェアは信頼できる良質のものであるべきで、 そこにも金と時間をかけなくちゃならないのは確かだ。 金を出す方が、1日分のコーディングに対し、9日分のコーディング以外の作業がついてくる、 という認識をもって人的資源を割り当てていれば構わない。 現実には、残りの9日分の作業がユーザーの負担とプログラマの残業によって賄われているって ところじゃないか。あるいはそれが出来なくて、ソフトは使われないまま放置されるか。

IT振興とやらでなんとか省の外郭団体がなにがしソフトの開発をするとか聞く度に、 そこんとこが心配になる。

10/19 (Thu) 作れば良いってもんじゃない

"On Writing" 読了。感想は週末にでもじっくり。


以下はプログラミングの話題。

一日、問題解決に追われる。Lispで書いたDBサーバとPerlのクライアント。 Perl側をいじくって小手先の解決をしてみようとしたが、いろんな例外 事態に対応しようとすると結局ごてごてして収拾つかなくなった。 サーバ側に目を転じたら、Lispで10行書き足して解決できた。

プロプライエタリなサーバを書いたのは、いざという時に隅から隅まで 自分でいじれる、という理由。もちろんSQLの表現力の不足を回避するために 本質的でないところに時間を取られるのが厭だったということもある。 今回の事例のように、それで救われる場面も少なくない。

だがこれは大筋では失敗だった。SQLを話すポピュラーなRDBならば わかる人はたくさんいるが、プロプライエタリなコードだと自分で全てを メンテナンスしなければならない。独自のクエリー言語も、ドキュメントを書いてサポートして さらには布教してSQLに対する優位性をアピールするという広報活動が重要になる。 そこまで手がまわらない。SQLなら「本買って読んどいて」で済むのに。

何よりも、プロプライエタリに開発することでの恩恵を直接に受けるのは主に 開発している人=私であって、使う側にとってのメリットが見えないというのが難しい。 限界に当たった時に内部に手を入れることによりそれなりに運用が継続出来ている というのは、使い手にとってもメリットであるはずなんだが、こういうインフラ的な システムは動いていてあたりまえ、止まった時に初めて存在に気付く、 というもんなのでそういう間接的なメリットは認知されない。

でも、何か新しいものを作った時、旧いものを使っている人を新しいものの方へ 無理無く移行させること、というのも作る側の責任だ。

今考えてる作戦は、SQLも実装しちゃって、外から見たら普通のRDBにも 見えるようにすること。そうやって羊の皮をかぶってこっそりと忍び込ませてゆくのだ。 そういえばどこかのベンダーが、「外から見たら100% Apache互換(バグまで再現)」 というLispのHTTPサーバを作ってたな。やっぱり作るんならそこまでやらねば。

10/17 (Tue) 読む速度

キングの新刊 "On Writing"、2週間遅れで購入。夢中になって半分程まで読み進む。 とりあえず、すべてのファンと、物書きを志す全ての人におすすめ、と感じている。

キングの本だと、帰宅してから寝るまでの時間で読むとして、 おおざっぱに言って100-130ページ/日というのが普通のペースのようだ。 ここ数年このペースは変わってないように思う。 これだと普通のキングの小説は4日〜1週間楽しめる、のだけれど、 出来ればもっと速く読みたい。4日楽しむなら、 4回繰り返して読んだほうがいいからなあ。 速読までする必要はないが、日本語で読むのと同じくらいになればなあ。 今は、日本語で読む場合の数分の1の速度だろう。どうすれば速度があがるのか。

10/16 (Mon) キムチ

週末はごろごろ過ごす。日曜は昼寝してたらホッケーを寝飛ばすし、FF IXはやっと2枚目だし。

キムチは辛いだけより酢っぱい方が好き。韓国人の友人によれば、買って来たキムチを すぐに冷蔵庫に入れず、ちょっと蓋を緩めて常温で半日から一日放置すると程良く発酵して 酢っぱみが出るそうな。昨日Dillingham通り沿いの韓国マーケットで買って来た 「まっきむち」を放置。 本日食してみたらなんと旨いことよ。2パウンド入りの瓶を買って来たのに、やや、 もう半分になっている。これはいったいどうしたことか。

うーん、腹が痛くなった。食べすぎたかも。

10/13 (Fri) The Exorcist

13日の金曜日はホラー映画日和、ってわけでもないが、"The Exorcist" の再編集版を観て来た。実はオリジナルは観たことがない。いくつかの シーンはあまりにも有名で、観て「ああ、これね」と思ってしまうのだけれど、 それでも有無を言わせず物語に引き込む力はすごい。多分、悪魔憑きの少女という 非日常に対する普通の人間の日常がうまく描かれているからだ。 キャラクタの描写も類型的でないし。27年前の初公開時にはきっと衝撃的だった のであろう、びっくり箱的シーン(首のところとか)や12歳の少女がキタナイ言葉 を使うシーンなんてのは、刺激的なものを見慣れすぎた現在の観客にとっては むしろ笑いを誘ってしまうのだが(実際、4割くらい埋まった客席からはしばしば 笑いが出ていた)、少女の母親や神父の苦悩は時代によっても色褪せることが無い。

クライマックスのエクソシズムのシーンには、 人間の理性以前から存在する邪悪なもの vs キリスト教的人間の良心、 というキング的展開 (「呪われた町」「デスペレーション」等に代表されるやつ)を 期待していたのだけれど、そこはさらりと済まされていてちょっと肩透かしを食った感じ。 だがこの映画としてはこれで良いのかもしれぬ。 階段を見下ろすDyer神父の演技に、暗黙のうちに込められた述懐が全てを物語っているから。

当初のモノラルのサウンドトラックを、最新技術でミックスダウンしたという音響はすごい。 それだけでも、音響設備の整った映画館で観る価値がある。 追加されたというラストシーンは、無くても良かったんじゃないかと思うが。


ところでこちらの日記 の10/8 (992208) のエントリー、さらりと書いてあるんだが、内容は 完璧にホラー。かなり怖いんだが、実話なんだろうか。なんだろうな。

10/12 (Thu)

周囲でいろんなものが動き出してる。わしも乗っかろうっと。 これから半年くらいが一つの勝負だ。

ACMのdigital libraryで文献探し。学生の頃は、 予稿集なんかが大学の図書館に置いてなくて、他大学まで出かけてコピー取ったりしてた。 便利な世の中になったものよ。古い論文がまだデジタル化されてないのが難点だけど。


イスラエル、パレスチナを報復爆撃。憎しみは憎しみしか産まない、 なんて悠長なことを言ってられない程に追い詰められているのか。 兵士をリンチにかけた民衆も。同じ自治区に済んでいるというだけで、 傷つけることを正当化する軍隊も。

個人個人の想いの集積でありながら、ひとたび勢いがつけば個人など 簡単に押し流してしまうような、大きな流れというのはある。 それはベルリンの壁を破壊する力にもなるが、平和への道を破壊する力にもなり得る。 その力を飼い慣らすことなど出来ないのだろうか。

10/10 (Tue) 英語の夢

英語の夢 (10/11) はむしろ、英語圏で生活するようになって間もない頃に良く見ていた。 夢の中には友人や同僚が現われることが多く、彼等は現実では英語を喋っているので、 夢の中で突然日本語を喋ったりはしない。そして夢の中の私は英語でコミュニケーションを 取ろうと四苦八苦してた。だから実は英語の夢ではなく、英語で苦労する夢だったのかも。 最近はあまり苦労してる夢は見ない。夢の中の友人とは相変わらず英語で話したり議論したり しているという意識はあるけど。実はそういうつもりになってるだけかもしれないけど。

脳の使う部分が違って来るのかどうかってのはよくわからないが、たかだか 4年半くらいの英語圏での生活でも、英語を使う感覚というのは変わって来ている。 第1段階は、とにかく相手の言っていることがわからなかった。んで、わかるまで しつこくしつこく食い下がることと、こっちの言いたいことを伝えるためには 成り振りかまってられないということを覚えるまで。つまりサバイバル術を身につけるのに 2〜3ヵ月。第2段階は、用件が明確なら曲りなりにも話が通じるまで。 つまり普通に仕事して、買いものして、遊びに行って、という生活ができるレベル。 半年から一年くらいかなあ。映画によってはセリフが聞き取れるという感覚が出て来たのもこの頃。 自分の喋る英語はWhat I want to do is...の連発だけど、 頭の中で英作文せずに話せるようにはなった。

それを超えてようやく、言葉に明示的に表現される以上のものをどう伝えるかというところに 突き当たった。この第3段階で、語彙力不足や、文化に対する基礎知識の無さを思い知って、 そうなると却って話しづらくなった。会議でのなんちゃって通訳をしてて、発言の真意を 伝えようと文化の違いを説明し出したり(←それはもはや通訳ではない)。 何でもハッキリ言う、という米国人のイメージが変わったのもこの頃。 英語を母国語としてる人だって、いろんな思いを伝えるために、どう表現したら良いのか もやもや考えてる。そこは日本とてあんまり変わらない。表現の手段が違うだけだし。

過去日記を見てみたら、3年前にそんなことを書いていた。 あ、2年半前にもほとんど同じことを書いてる。

で、今はそれを乗り越えたかというと、そんなことは無くて、友人間で交わされるくだけた 軽い会話だとか、店に入った時に見知らぬ店員さんとジョークの応酬をするとか、そういうのは まだ全然だめ。映画でもセリフ回しによる軽いジョーク主体のものは全然聞き取れない。 でもいいや、それは仕方無い、と割り切るようにはなった。私には私の持つ文化的バックグラウンドを 基礎にした、私なりの表現があるはず。時間はかかっても、それを培ってゆくしかあんめえ。

* * *

多分、旅行に行ったり、国際会議で議論したりするには第2段階の「明示的な情報を 伝えるツール」としての英語で十分だと思う。第3段階の「情緒を伝えるツール」との ギャップはものすごく大きいけど。

10/9 (Mon) 自動翻訳/Ruby

晴れているのに、時々突風と共にシャワーが降り注ぐ妙な天気。 もともと風が強いことが多いハワイだけど、停車中に車が揺れる程の風はわりと珍しい。


コスタリカからメイルが来た。Lisp/Schemeという単語がちらほらしているので、 多分私のSchemeのページを見てメイルを送って来たのだろう。しかし、全く意味がわからない。 どうも自動翻訳ソフトを通したらしい。

以前、日→英の自動翻訳を通したメイルを同僚が受け取って、 「解読してくれ」と持って来たことがあって、その時は英語を一度日本語に 逐語訳してもとの日本文を推測したのだった。日本語と英語じゃ構造が相当違うから 自動翻訳も難しかろう、とその時は思った。 しかし、コスタリカと言えばスペイン語か? それでも自動翻訳ってそんなに難しいのかなあ。

先日のフィルタリングソフトの話も関連するけど、自然言語理解なんてずいぶん 長く研究されていると思うのだが、単に実用技術への移行がまだ十分で無いだけなのか。

しかし韓国人の友人が前に教えてくれたところによると、韓国では日本のウェブサイトを見るために 日→韓のウェブ翻訳サービスが大人気だと言う。韓国語と日本語なら単語レベルの置き換えでも 結構いけるのだろうか。

件のメイルは、原語で送り直してもらった。明日同僚に聞いてみよう。 人間翻訳が一番手軽である。


以降はプログラミングの話題。

日本語処理の参考にと思って、数年前にちらりと見ただけの Rubyの最新版を落として眺めてみたら、 すげえ、いつのまにか完全なclosure (前からあったっけ?) も call/cc (これは 前には無かった筈) も備えている! イテレータなんて控え目に呼んでるのも(*) 実はまっとうなクロージャ+マッピングであって、 図々しくも偽クロージャにlambdaを名乗らせているPythonとは違ってかっこ良いぜ。 Schemeから乗り換えようかなあ。Lisp系と比べて足りないのはマクロとMOPだけだ。

(*) Henry Baker, "Iterators: Signs of Weakness in Object-Oriented Languages" が 頭にあったので、iterator == poor man's map function との偏見があったのだ。

Schemeの好きなところは、いかにシンプルな概念で高度な処理を簡単に記述できるかって とこにあくまで挑戦し続けてるところだ。思い付きで機能をべたべた付加していって 収拾がつかなくなっている他の多くの言語とは対象的に、Schemeの仕様は誕生から 四半世紀を経てもあんまり変わらない。 言語そのものに手を加えなくてもいろいろ自分で書ける枠組は提供されている、 という自負があるのだろう。それだけに新仕様の追加に関してはそれが言語の精神に 照らして「正しい」かどうかという激しい議論が巻き起こる。言語仕様の外で、実用的な ライブラリを作って行こうというSRFI (Scheme Request For Implementation) でさえ、例えばSRFI-17の議論の スレッドなんかにその精神を見て取ることができる。 もちろん、そのストイックさを利点と見るか欠点と見るかは人によって立場が異なるわけだが。

さて、ruby-1.6.1を眺めた感触では、作者が言語マニアを自称するだけあって、 仕様の選択は注意深く、しかし言語の精神に合致する機能なら 流行りとは外れていても大胆に採り入れているという印象を受けた。 仕様自体のディスカッションもメイリングリストで自由に行われているようだ。

LispのマクロやMOPが強力なのは、それによって自分の解きたい問題向けに カスタマイズした言語を作ることができるからだ。普通は言語の作成者と使用者は 別々であり、使用者は言語仕様に不満があってもそれを変更することはできない。 rubyのような、作成者と使用者が緊密なコミュニケーションを取っている場合は それがあまり問題とならないのであろう。

10/8 (Sun) リリース/Meet the Parents

長い間引っかかってた趣味のプログラムライブラリをリリースしようとしたんだが、 ドキュメントを書いたりテストをしたりしてたら次から次へとバグを見つけたり 修正したくなったりして、結局週末のほとんどを費してしまった。 昨晩の時点で一度強引にまとめたのだが、どうも実装が綺麗でないところが一箇所あった。 どうしても気になるものだ。今日も片手間にいろいろいじくりまわしていたんだがすっきりしない。 気晴らしにコメディ映画など観に行ったら、帰りの車の中でアイディアが降りて来た。 うーんすっきり。 (→ Schemeのページ)

基本的には自分で使うために書いているコードだから、こうやって公開するのも 自己満足みたいなものだ。それでもオープンにするという行動がひとつの区切りになる。 デジタルデータはいつでも修正できるから、手元に置いておく限り、何かといじり続けて しまう。一度バージョン番号を振って「外に出す」と、少なくともそのバージョンは自分の手を離れる。 修正してバージョンアップすることはあっても、一度出したものを無かったことに することはできない。まがりなりにも足場を確保した、という感覚がある。 足場を確保して初めて、次の一歩を踏み出せる。

それにしても、typoは必ずリリースしてから見つかるなあ。


今日の映画は"There's something about Mary", "Keeping the Faith" などで好演を見せたBen Stillerが Robert De Niroと共演するコメディ "Meet the Parent"。 看護士Greg (Ben Stiller) は付き合っている彼女の妹の結婚式のため、彼女の実家を 初めて訪れる。で、彼女の父親が De Niro なんである。

彼女の父親と初めて会うときの、あの、何とも微妙な緊張感ってのは 世の男性諸氏の多くが経験していることではなかろうか (しかも大抵、彼女本人は わりと平気だったりするんだよな)。しかもこの場合、相手は De Niro だからなおさらだ。 この人の凄いところは、どんな映画でも、 最初に出て来た瞬間からDe Niro本人より役の人物そのものであることだ。 (いかに多くのハリウッドのスター俳優達が、どんな役を演じようがその俳優本人に 見えてしまうことか)。 この映画でも、最初の登場の一瞬で「一筋縄ではいかない、気難しい彼女の父親」である ことがばちーんと分かってしまい、観客はGreg君の受難をあれこれ想像して笑いの準備を整えるのだ。

監督は"Austin Powers"の人。しつこいくらいに畳み掛けるドタバタなギャグに、 "Mystery, Alaska" で見せたようなヒューマンドラマをうまく絡めた。

ところでIMDbで調べてたら、 同一の作者達によって同名の映画が1992年にリリースされている。リメイクかな。

10/6 (Fri) 生産/エゴロジー

バグフィクスやら新しいツールのリリースやら新しい機能の追加やら、 細かい仕事をかたづけていたらあっと言う間に一週間経った。 アウトプットを実際に出している時というのは、何かと手を動かす作業に 追われる時であって、しかもその作業が大抵trivialなものなので、 あまり生産しているという気分になれない。

かと言ってきちんと仕上げてものを出すというtrivialな作業をおろそかにしていたら、 どんなに素晴らしいアイディアを練っていても全く意味が無い。 アイディアを練る時が一番楽しいのだけれど、 形にせずに放っておくと頭の中に沈澱して新しいことを考える邪魔になる。 それを形にまで持ってゆくのは、どっちかというと体力とか気力の問題だ。


企業名やドメイン名を選ぶのは難しいようだ :-) Foll the Filters Contest. "The Floric Award" ので爆笑。フィルタリングソフトウェアってこんなに使えないのか?


こないだ行きつけのカフェに、「ベジタリアンになるには」みたいなパンフレットが置いてあった のでぱらぱらと見ていた。私の友人の中にも数人、主として健康上の理由からベジタリアンに コミットしている人が居る。私自身はベジタリアンになる気はないが、彼等のコミットメントは 尊敬している。

しかしそのパンフレットはかなりトンデモだった。"PETA: People for the Ethical Treatment of Animals" という団体が出しているもので、動物保護、環境保護の観点から ベジタリアンを推進している。延々と、食肉に供される動物達がいかにひどい(「非人道的」な) 扱いを受けているかをセツセツと訴えていて、まあそれには一応理はあるのだが、例えば こういうセンテンスを持ち出されると一気に全体が眉唾になろうというものだ:

「[牛乳は骨粗鬆症(osteoporosis)を防ぐどころか促進する]。牛乳の最大の消費者である 工業化された西側諸国では骨粗鬆症の罹患率も最大である。一方、日本や中国といった、 牛乳製品などほとんど目にしない国では事実上骨粗鬆症は無い」

まあこういうあからさまな点を除いても、全体に流れる「動物がかわいそうだから」という 発想がいただけない。こういうトーンを西側諸国の動物保護団体や自然保護団体(とそれに 影響を受けた日本の類似団体)によく感じる。自然を人間の下に見る発想。 文明人のエゴ。 人間そのものが、大きな生命の循環の中の、よく保護された育児室で遊ばせてもらっている 存在にすぎないのに。 保護の発想は、感謝や尊敬の念から出て来るべきではないのか。

それを自覚するには、やっぱり小学校か中学校あたりで鶏の捌き方くらい教えて 置いてくれると良いような気がする。2年間くらい丹精込めて育てて、最後に皆で食べるの。 捌かれる過程を観て食べれなくなるなら、そもそも肉を食べる資格が無いってことで。

10/4 (Wed)

何だか複雑な夢を見た。登場人物がやたらに多くて筋立ても劇的で、 起きた直後は妙に充実感があり、楽しかった記憶が残っていた。 筋はすぐに忘れちゃったけど。 随分寝たと思って時計を見たらいつも起きる時間より1時間以上早く、 それにしては睡眠に対する充足感があるので、ひょとするとまる一日 寝たおしたんじゃないかと真剣に心配になって、わざわざPCの時計で日付を 確かめてしまった。

将来の没入型のインタラクティブメディアをプレイする感覚ってのは こんな感じなのかもしれん。


今住んでるアパートで白蟻駆除をするそうで、今日は住民に対する説明会に夕方から行って来た。 業者の名前が奮っている。 "Diversified Exterminators"。 筋肉隆隆とした大男を想像していたが、しかし、出て来たのは あんまり気の強くなさそうなおじさんであった。 Vikaneというガスを使うらしい。一晩は家を空けなければならないらしい。 ガスの性質なんかを事細かに説明するのなんかはいかにもアメリカらしい。 「このガスの残留成分は無いというが100%保障できるのか」という突っ込みが入るのも。 まあ、バルサンみたいなものだというのが私の理解。

10/3 (Tue) 結納

さてビザ取得の都合でとうに入籍を済ませた我々だが親の「ちゃんとして欲しい」との希望も 汲んで今週末に結納を執り行うのだ。あまり良く考えずに勢いで式の日程を決めてしまい 逆算したらこの日しか無かったからなのだが、 さらに私本人はそうさいさい休みを取って太平洋を渡ってられないということで 本人不在のまま結納をするという実にわけのわからない事態になっている。一応8月に帰った 時に一揃いの結納アイテムは購入し、デパートの人に聞いた作法を両親に伝えてはある。 妻の実家は九州で関東とは作法が違うらしく何やらいろいろややこしいのだが 多少は伝統というものを知っておくのも悪くはない。

しかし妻経由で聞くところによると両親はさっさと結納を済ませた後連休を利用して 九州巡りに出かけるつもりで浮き足立っているそうで、考えてみれば今週末は両親の 結婚記念日でもあり、いつも忙しくしている両人が2人きりで旅行するなどひょっとすると 新婚旅行以来ではあるまいかと思われるので良い機会であったかもしれぬ。

なにしろあの2人ときたら何がどう忙しいんだか息子がせっかくサンタモニカだのホノルルだの に住んでいるというのにさっぱり遊びに来る気配も見せず、今回ハワイで式をやるということで ようやく引っ張り出すことに成功したくらいだから、これもいわゆるひとつの親孝行だと都合良く解釈 することにする。

10/2 (Mon) CD-R/私は間違っていない

一昨日の最適化オペレーションの効果はいかに、と今日一日業務の傍らディスプレイの隅に 表示している負荷統計メーターを睨んでいたのだが、期待した程の効果は上がらなかったようだ。 先週までの危機的状況は脱したけれど、抜本的な対策を立てねば。


週末にCD-R/RWドライブを買った。個人ではあんまり使い道を思い付かなかったんで今まで 手を出さずにいたのだが、2〜3枚焼きたいものが出て来たんで思い切って買ってしまった。 妻がこっちに来たらあまり浪費できなくなりそうだし、という心理が働いたことは否定しない。 最新のはCD-Rで10倍速以上の書き込み速度をうたっているが、 ワンランク下の8(R)x4(RW)x32(ROM)にすれば値段もぐっと安くなって手頃だし。 うちはLinuxなんであんまり最新のものを追うと失敗することがある。

今まで使っていたCD-ROMはSCSI接続だったんだが、買って来たドライブはIDEなんで 結局メインマシンはIDEオンリー構成となった。IDEでCD-Rを使うにはSCSIエミュレーション モジュールが必要とのことなんで、カーネルをそのように再コンフィグしてコンパイル。 あとはあっけなく動いた。早速ホームディレクトリのバックアップを取ってみると、 8倍速書き込みだと途中で失敗する。4倍速ならOK。CPU速度は十分だと思うんだが、 SCSIエミュレーションのせいで遅くなってるんだろうか。

実際に使ってみると、手軽だし、バックアップメディアとしても「消せない」ということが むしろテープやリムーバブルディスクに比べ安心感を高めている。 数字の上でどのくらい信頼がおけるのかってのは実は知らないのだけど。 まあ当分読めなくなることも無さそうだし (永久ではないけれど)。

あと、書き込んである様子が「見える」というのもいい。 もちろん内部で書き込みをしくじっていたら意味無いわけだが、 テープやディスクだと全く見えないからなあ。 例えイリュージョンであったとしても、データという目に見えないものが 反射の違いという目に見えるものになるっていうのは心理的な効果大だ。 これはインタフェース全般に言えることなんだろう。 結局、その実在を感じられるものしか信頼できないんだ人間は。


ネット上で論争をしていて、君は間違っている、私は間違っていない、と主張しだす人がいる。 きっと、正解が決まる世界の中で暮らして来たのだろうと思う。 或は、常に正解が決まるように世界を解釈して来たのかもしれない。

現実の問題を解くとき必要なのは、誰が正しくて誰が間違っていたかではなくて、 結果として何を生み出せたか、何を変えられたか、だと思うのだ。 何故そういう判断をしたかということはケーススタディとしては有用であるかもしれないけれど。

もちろん、譲れない勝負処、勝たなきゃいけない正念場というのはあるけど、 それは往々にして実生活がかかった場面、自分の人生の方向を決する場面でもある。 ネット上での論争にそこまでの重きを置けない私は、やはりネットワーク社会の実在性というものを あまり信用していないのかもしれない。


[前月][次月][一覧]:[表紙][映画][King][BBS]

Shiro Kawai
shiro@lava.net