2000年9月

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9/30 (Sat)

深夜0:00からのメンテナンス作業は、準備とテストの甲斐あって特にはまることも無く 予定通り終了。拍子抜けするくらいだ。

さっさと寝れば良いのに、なんとなく夜更ししてしまう。折角戻りつつあった生活リズムが また怠惰な方向へと流れて行く。

9/29 (Fri)

先週の金曜からバックグラウンドで細々と流していたバッチ処理。 本体のオペレーションになるべく影響を与えないように、サーバが空いている時に 押し込んでいる処理だからして、亀の這うような遅さでようやく全レコードを巡回し終えた。 こんだけ時間がかかってくるとつらいなあ。この後さらに、週末にもうひと処理やらなきゃならないんだが、 下手すると時間がかかりすぎて別の方法が必要になるかも。とりあえず夜中にダミーサーバを 使って処理を流して時間を測るようにセット。明日の朝までに終わっててくれれば良いんだが。


ワイキキまで歩いて10分にもかかわらずADSLのサービスが「準備中」だったわが家だが、 先日DSLを薦めるダイレクトメールが届いたのでネットで確認してみたらどうやらサービスが 受けられるもよう。早速書いてあった電話番号にかけてみたが延々と待たされた挙げ句 切れてしまった。Webからも申込みができるんで、指示に従ってメイルアドレスを入れといた んだがなしのつぶてだ。

11月からは妻がこっちに来るんで、それまでに常時接続にしておきたいのだ。 まず妻はまるっきりコンピュータ音痴であって、だからメイルくらい簡単に使えるような スクリプトを組んでおいてやろうと思うのだが、ダイアルアップが絡んで来ると話がややこしくなる。 というのはルータにしてるマシンの設定がいい加減なんで、具合が悪くなるとそっちに ログインしてifconfigいじったりpppをkillしたりしなくちゃならないことが時々あって、 自分で使うぶんには問題ではないんで放ってあったのだ。 それに私が仕事に出ている時にでも家に居る人がいるってことは、電話回線は 開けておきたいしな。うっかり繋ぎっぱなしになったりすると困る。

ところで全くの初心者が簡単に使える機能を絞ったメイラーって無いものか。Linux上で。 「初心者」というのはつまりウィンドウが最小化されてしまったらそれだけでパニックに陥る人の ことであって、窓がいくつも出て来てしまうようなソフトはもう対象外である。本人は 「コンピュータを使いたい」ではなく「メイルを使いたい」と思っているので、 基本操作を覚える意志はゼロである。むしろネットにつなげるメイル専用機器 みたいなのが良いのかもしれん。

9/27 (Wed) 国民性という幻想・血にこだわる人々

オリンピックで盛り上がっているからかどうか知らないが、最近 「欧米人は個人主義」とか「日本人は和を大切にする」とかいう話をちらちらWebで見かけた。 何とはなしに不愉快になる。自分だって時々うっかりそういう雑な言葉の使い方をして いるんだろうけど、人がしているのを見ると気になるものだ。

これが、「欧米社会は個人主義」とか「日本社会は和を大切にする」と書いてあったなら、 乱暴な括り方ではあるけれど、ひとつの意見なのね、として流せる。 「○○人は〜」と書いてあっても、「○○社会は〜」とか「○○文化は〜」というべきところを うっかり「人」で括ったんだろうな、と読める場合はそんなに気にならない (自分でもそう書いているところがきっとあるし)。 でも時には、本気で「○○人(民族)であること」が人間性さえも規定してしまうと信じていることが 透けて見えるようなテキストがあって、それはこちらの邪推かもしれないが、やっぱり気が滅入るのだ。 そういうことを信じる人は、自分自身が今の環境から切り離されてどんな社会環境に放り込まれても、 その人のいうところの「○○人(民族)」たる特質を保てると信じているのだろうか。 そして、自分の子供が全く異なる社会環境で育っても、やはり「○○人」たる特質を引き継いで いってくれると?

よしんば性格に影響を与える何らかの遺伝的要素が存在するとしても、 それによりある人種/民族の性質を一律に規定できるとは思えない。個人差や環境による影響の 方が遥かに大きいはずだ。○○人が○○人らしくふるまうのは、単にその人が ○○人と呼ばれる人々が主体をなす集団の中で受け継がれてきた慣習や価値観を学習したからに過ぎない。 しかし、以前書いたように、民族、国籍、 育った社会環境、生活している社会環境、それぞれにおいて属する国が異なるという人も、 決して少なくはない。個人個人を取り出した時、民族や国籍といったものの影響は 社会環境によるものと比べて微々たるものではないか。なのに何故「血」にこだわる?

もっとも、歴史を見れば、○○人(民族)の血というものに対する人々のこだわりというのは 並々ならぬものがあるようで、それが無ければ戦争の半分は起こっていなかったんじゃないかと さえ思える。血にこだわるのは、あるいは種族の防衛という本能的な感情なんだろうか。 だとしたって、現代的には無用な感覚だと思うが…

* * *

ちょっと切り口の違う話だが、この「欧米=個人主義」論の延長で、 「欧米では主張した者が勝つ。相手のことをいたわる思いやりが無い」みたいに述べてる テキストも見かけた。『何を考えているのかはっきり表明せずにいることが、 相手に対し失礼で思いやりの無い態度である』という可能性だってあるんだけどなあ。

以前、友人が「面白いよ」と "Dave Barry Does Japan" というペーパーバックを 貸してくれた。ジャーナリストのDave Barryが日本に滞在して、その時の体験を誇張して面白おかしく 語っているもので、日本社会で育った者としてはいまいちそのノリについて行けない ところもあったのだが、ひとつ印象に残ったのは、次のような指摘である。 「日本社会というのは、一種の会員制クラブのようなものだ。会員になって暗黙の規則を守っていれば、 実に快適で安全に暮らすことができる。そして、規則を知らないよそ者を笑っていられる」 みたいな。

その比喩を借りれば、『日本人の美点は相手のことを思いやって我を通さないことだ』なんてのは、 会員制クラブのメンバー特典みたいなもんだ。 クラブの中=日本社会というコンテキストの上ではそれは善いこととされ、 そういう特典を有していることを喜んでるかも知れないが、クラブから一歩外に 出たら何それ、何が嬉しいの、という反応に会うかもしれない。

本当のその人の特質というものは、しかし、どんなコンテキストに置かれた時でも 滲み出してくるものだと思う。もともと優しく慎み深いゆえに普段は我を通さない、という人と、 我を通さないことが優しさとされているから我を通さない、という人は、根本的に違うのだ。 前者は確かに美点であると思うし、そういう人々が育つ文化は誇りにできると思う。 それを「○○人」と括ったとたん、後者と一緒くたにされてしまう。 そこが気持ち悪いのだ。

* * *

ちなみに身近な米国人(=米国で育った人、の意)と欧州人(=欧州で育った人、の意。 ○○人、って言い方はやっぱり便利だなあ。)を見てると、 「欧」と「米」をひとくくりにするのもかなり無茶だという感じはしているのだが、 欧州に行ったことが無いからそのへんはよくわからない。

9/25 (Mon) 映画の宣伝と体験

昨年のお気に入り映画 "Being John Malcovich" が日本でも公開されているらしい (邦題「マルコヴィッチの穴」)。何やら、映画館の入口でマルコヴィッチのお面を配ってたとか なんとか。メジャーな配給ルートに乗っているみたいで、 オシャレな映画ということにされていて、販促にも力を入れてるらしい。 (Web上での評を散見しているだけなので認識違いがあるかもしれないが)

"Being〜" を観たのは、ハワイ大学の側のVarsity Theaterという映画館だった。 2スクリーンのその映画館は、ハワイの中でほとんど唯一、地味な作品や実験的な作品を扱う館だ。 Varsityで観たので印象に残っているのは "Limbo" とか "π" とか "Run, Lola Run" とか。 内装も古く、従業員はいつも暇そうにしてて、客席が2割以上埋まっているところを観たことがない。 初日に人が詰めかけるような映画はショッピングモールに併設されたシネコンに任せておけ、 というポリシーがちょっと感じられる。

そこで予告編を観て、おもしろそうだと思ったのが "Being〜" だ。TVを観ない生活を しているので、CMを流していたかどうかは知らない。よっぽど大きな映画で無い限り、 私が情報を入手するチャネルは映画館での予告編か、週間の新聞 "Honolulu Weekly" の映画評、 もしくは友人からの口コミ。観る前にごく簡単な設定くらいは頭に入っている場合もあるけど、 大抵は特に何かを期待せずに観る。何が出てくるかわくわくする感じが楽しい。 "Being〜" も次から次へと流れるリズムに振り回されて楽しめたのだった。

だから、お気に入りの映画があんまり宣伝されすぎて、ブームみたいになってしまうと、 なんだか寂しいのだ。より多くの人が観ることになるんだから興行的には重要なんだが、 何かを期待して観に行くことで、見方が固定されてしまうんじゃないか、それ以外の要素が 見落とされてしまうんじゃないか、みたいな気がする。「グリーン・マイル」に感動を 期待して行った人が肩すかしを食らったりとかね。一観客としての勝手な感慨。

作る側に足を突っ込んでる身としては、しかし、一人でも多く入ってくれるに越したことは ないという思いもよく分かるのだが。

9/24 (Sun) どっうしっておっなかっが出っるのっかな

正確には、問題は出ることではなく、出たあと引っ込まないことなのだ。 日本に居た頃は「食べても食べても太らない」身体だと思っていたのに、一体どうしたものか。 妻からは「出会った頃は痩せてたのに、詐欺だ」とまで言われるこの腹。 今日もインラインホッケーでかなり汗を絞ってきたのに、いっこうに引っ込む気配が無い。

確かに、芝居をやっていた20代半ばまでに比べれば、運動量は極端に落ちている。 ちょっと前に、自主トレで同じメニューをやってみようとして挫折したからなあ。 週1〜2回のホッケーごときでふうふう言っていてはいかんのかもしれぬ。

米国に来てから、車中心の生活になったせいか? 東京で暮らしてて電車で通勤していると、 何だかんだ言ってかなり歩く。その分の運動量が無くなったわけだが、それでもLAでは シェイプを保っていた。腹の脂肪が気になるようになったのはここ2〜3年、 すなわちハワイに来てからである。

ああハワイ。小錦や曙や武蔵丸を輩出したハワイ。週末には浜辺で日がな一日、 バーベキューをして、ちょっと泳いで、昼寝をするという魔のサイクルが私を誘う。

ここ2ヶ月くらい、食事の量を抑えて、肉料理の頻度も減らしたんだが、 果して効果は出て来るだろうか。

9/23 (Sat) Nurse Betty

久々に映画。コメディ "Nurse Betty"。脚本はかなり突飛な設定で、それに説得力を持たせようと 苦労しているがあまり報われていず、構成にも難あり。Morgan Freemanら俳優陣の演技も なんとなくちぐはぐ。しかしヒロインRenee Zellweger演じるBettyのキャラクターが 非常に良く出来ていて、結構気に入った。

Bettyはカンサスの田舎のレストランのウェイトレス。平和だが変化に乏しい生活を送っている。 病院を舞台にしたソープオペラ番組の大ファンで、ヒロインの看護婦に自分を重ねて観ている。 それがある事件を目撃したショックで、番組の中の物語が現実であり自分はその中のヒロインであると 思い込んでしまい、番組の中での元婚約者である医者に会いに、LAまで車を飛ばすのだ。

ところどころ面白いけど、あまりにリアリティに欠けて引いてしまうところもある。 でもBettyの笑顔でまあ許す。

9/22 (Fri) 試写/半神

法的に結婚したからと言って生活の中で何かが劇的に変わるってわけでもないが、 人と話してて "my fiancee" を "my wife" に言い替える時なんかにそこはかとなく 幸せな気分になるのであった。


"Final Fantasy the Movie" の社内試写会。芝居で言えば第一回通し稽古というところか。 現在地の確認。がんばりましょー。

「間」が難しい。原理的には、CGなんだから、データをちょいと変えてもう一回計算すれば 良さそうなものだが、一回の計算に現在のように時間がかかっているようではそれは無理。 役者なら、ダメ出ししてはいもう一回、で済むのに (済まないこともあるけど)。 技術屋としては、長期のゴールをそっちの方向に持って行きたいものだ。


まるで「半神」のような。 心臓と肺を共有して生まれた双生児。放っておけば二人とも死ぬ。一人を殺せば一人が助かる。 何もしないことが、神の意志に従うことなのか。一人でも救おうと努力することが、 神の意志に従うことなのか。正解の出ない問題。 外野がとやかく口出しするのは不謹慎かもしれないが…

どんないのちであっても、それは他のいのちの犠牲に支えられている。 片方を捨てるのでは無く、片方のいのちがもう一方を支えるのだ、 そんなふうに解釈するのは都合が良すぎるだろうか。 それでも決断を下した人間は心に十字架を背負って生きて行かねばならないが、 多かれ少なかれ、生きている人間は他の生命に負っているのだ。 (こういう考え方って仏教的なのか?)

そうは言っても、自分が当事者になったらどうなるか、わからない。

9/21 (Thu) 結婚

なんとなく照れくさくて今までこの日記にはほとんど書いてこなかったのだが、 私には婚約者がいて、昨日まで2週間ほどうちに滞在していた。更新頻度が低かったのは、 彼女とあれしたりこれしたりと忙しかったからだ。

で、昨日帰国した彼女が本日(日本時間9/22)婚姻届を役所に提出し、 晴れて法的に夫婦となった。彼女は配偶者ビザが下りるまでこっちに来れないので、 あと一月くらいは独身生活である。実感が湧かない。 気分的には、やはり、式を挙げる日が結婚記念日となるのであろう。

婚姻届には同居をはじめた日を書く欄があるんだが、うちのようなケースでは 同居をはじめる前に法的に結婚してなくてはならんので、困った。結局 適当に埋めといたんだけど。一応、式を先にあげることにすればその日付が 書けるんだが、式のあとビザの手続きのために別居というのもねえ。 まあそのへんは役所も柔軟に対応してくれるみたい。

さて、元婚約者の彼女であるが、この日記では何と呼ぼうか。「彼女」では 一般的な三人称と紛らわしい。奥さん、ってのもなあ。うちのカミさん、ってのは いい感じだけど、まだ一緒に住んでもいないので違和感がある。やっぱり「妻」かなあ。

9/20 (Wed) 駒場

ローカルネタ。 人間城の主氏と nack氏が 入り浸っていた部室って、学館裏? 明寮? どっちにせよ、 時間的空間的に極めて近傍にあったようなので、どっかですれ違っていたり、 或は共通の知り合いがいるかも知れぬ。生活サイクルも似ていた感じだし。

しかし何と言うか、御二方の履歴を読むと、 ほぼ同じ空気を吸ってて同じようにうだうだしてても、芝居野郎とバンドメンではなんか違うなあ。 バンドメンってのは悩み方が絵になるというか。変な言い方だが。 芝居野郎というのは、どうも汗臭いんだな。 特にあの頃の駒場近辺では、「考えすぎる脳」と「自然が支配する肉体」との断絶に悩める学生達が、 脳と肉体から汗を絞ることに解答を見出そうとうろうろしてたからな。

9/18 (Mon)

借りるのと買うのとでさほど値段が違わない場合、 一度しか使わないものでも買った方がオトク、と考えるのが普通らしい。 少なくとも、そう考えるのが普通であると信じている人がいる。 モノは置いておくだけでコストがかかるとか、 余分なモノを持たない生活の方が身軽で幸せだとかいう価値観は通じなさそう。 幸福観の違いか。

まあ、自分だって、捨てられないモノをだいぶん抱えてはいるのだけど。


究極のコンピュータ。 出来たとして、もちろん科学技術計算などの分野では性能はあるだけ使うんだろうが、 個人が膨大な計算力を使えるようになった時、何が起こるんだろう。 どっちかっていうと人体とのインタフェースがどうなるかの方が問題かな。

9/17 (Sun)

同僚が自宅での夕食に招いてくれた。奥さんが料理の腕の奮ってくれるという。 大勢でわいわいと押しかけるホームパーティ的なものは行く機会が多いし、うちでも やったことがあるが、総勢6名の夕食会ってのはちょっとどきどき。 6名の内訳は独露露露日日で、同僚の奥さん(露)は英語がまだ得手ではないので、 ロシア語がドミナント。いろいろな表現を教わったんだけど、帰る頃にはすっかり忘れてる。 「おいしい」は「フクースナ」だっけな。

9/15 (Fri) 通勤

最近ホノルル市内はあちこちで工事をしていて、車の流れが非常に悪い。 以前は混む時間帯を避けて通勤してたこともあってあまり影響は受けなかったのだが、 最近は何かとラッシュに当たることも多く、どこまでも続く車の列に少々うんざり気味だ。

だが冷静に考えると、うちから会社まで 途中で少々つっかえても25分はかからないのだ (空いていれば15分だけど)。 会社は裁量労働制だから、ミーティングなんかが無い限り10分やそこらでいらつく必要はない筈。

東京で暮らしてた時は、2分後に次の電車が来るとわかっていても駆け込み乗車してしまっていたが、 同じような心理なのかも。通勤や移動の時間を「無駄」と見倣しているのだろう。 無駄な時間なら短い方が良い。だがまてよ、それでいいのか。

窓を開けて走ってみると、腕をじりじりとあぶる日射しや、運河から吹いて来る 風が心地よい。車線を塞いで、ヤシの木を箭定している、切り落とされる葉の香り。 ゆっくり深呼吸すれば、なかなか楽しいドライブではないか。 気まぐれな南国の天気は、毎日驚く程違う顔を見せてくれる。

以前はずっと職住近接が良いと思っていたけど、通勤を楽しむ余裕を持てれば、 こういうのも悪くない。

9/12 (Tue) That's our job

毎日毎日考え続けて、コーヒーの消費量だけは増えて行くけれど、 設計仕様書の筆は遅々として進まない。

方向は間違い無いと思う。でも方向を唱えるだけなら誰にでもできることで、 それを具体的に実現するのが私の仕事だ。

何から何まで、都合の良いように問題領域を限れば、綺麗なシステムになる。 だが、それでは「使えない」。現実の問題はもっと例外が多く、そしてその例外を 切り捨てては実用にならないのだ。むしろ、ケースバイケースに、その時に使える 既存のものをツギハギして対応するほうが現実的ではある。でもそういうシステムは、 妥協に妥協を重ねた汚い矛盾を抱えて、そのことを呪いながらメンテを続けて行かざるを得ない。

大きなビジョンを持って、巨大なシステムを書き続けている人と話をして、 小手先の技術で現実に妥協しようとしていた自分を反省。 何もかもを自分だけで解決することは出来ないけれど、 自分がコミットしてそこに一点集中すれば、現状を変えられるというところがあるはず。

実用に耐え得る頑健性とシステムとしての柔軟性を備えつつ、 一定期間に書けるコードの量には限界がある。そのリソースを何処に割くか、 というところが、今回の設計の肝であるようだ。


先日のSIGGRAPHのデモ、日本でも発表会があった。 (→ インプレス 日経BP)。 うちの画が出せないのは権利関係の問題だろう。 今度の日経CG(休刊前の最終号)の記事には、ちょっとだけ画面写真が載るかも。

映像製作に関わっている人からは、まず「画はまあ綺麗だけど、何に使うの?」という 質問が出て来る。そこを示すのが、わしらの仕事なのだ。ふふふのふ。

9/11 (Mon)

せっかくテキスト庵で 推薦してくれた方がいるのに、最近更新頻度が落ちている。まとまったものを書く時間が 取れなくなってる。わりとだらだらと考えて文章を練るのではなく、短時間に集中して 書く習慣をつける必要があるな。

メモ:オアフ島を縦横無尽に走り回るバス、The Bus。時間がかかることを厭わなければ、 島の大抵の場所に行ける。こっちに来てすぐに車を買ったので滅多に使わなかったのだけれど、 ちょいと必要があって調べてみたら、 時刻表とルートマップはオンラインで手に入るんだ。 ただ、正しいマップを探すためには島の主要な地名を知らなくてはならないんで、 観光で来る人にはあまり使えないかなあ。

9/9 (Sat) 東洋の神秘

Ward Centerのモールをぶらぶらして、ちょっと小洒落た雑貨屋に入ると、 いろんな香りのする蝋燭に混じって、 般若心経を書き連ねた紙が巻いてある蝋燭があった。 ちょいとオリエンタルな雰囲気を出そうということらしい。 同行者と一緒に声に出して読み上げてみる。結構忘れてるねーとか言いながら 最後まで読んでふと見上げると、店の人々が並んで尊敬の眼差しでこちらをじーっと見ているではないか。

そして彼(女)等は一斉に口を開いた。
「これを読めた人はあなたがたが初めてだわ!」
「どういう意味があるんだい? 前から興味を持っていたんだ」
「私も持っているんだけども、意味がわからないのはつまらないもの」

色即是空を英語で何と説明すれば良いのだ。


ホノルルには日本語の書籍を扱う書店が数軒ある。 久々にその一つ岩瀬書店に行ってみたら、先月末で閉店していた。 日本のビデオが借りられるんで便利だったのに、ショック。 もう一軒の文文堂も暫く前に業務を大幅に縮小したし、日本語の書籍に関する 需要が減っているのだろうか。それとも新しい大手の書店がどっかに進出してるのを 私が知らないだけなのか?

9/8 (Fri) モノ作りの孤独

某イベントの準備。電話をかけてアポを取って会いに行ったりとか、書類を郵便で送ったり 受け取ったりとか、まあ、ごく普通のことなんだろうけど、普段の仕事をほとんど電子的に 済ませている身としては、妙に新鮮だ。


ものを作るという行為は、本質的に孤独な行為だと思う。

確かに、共同作業で何かを作り出す時の、ひとつのゴールへ向かってみんなで ノリを合わせて駆けて行く快感というのは大きくて、それがもの作りを続けることの 動機の一つで有り得るのだけれど。

作りたい、という根源的な動機は、もっと個人的なものであるように思える。 各人が、それと意識するしないにかかわらず、一生をかけても進んで行きたい というような抽象的な方向性を持っていて、個々の作品は、 それを具体化する過程で出て来る産物のようなものだ。 具体化された作品ひとつひとつが次のステップを決めている、という人もいるだろうし、 抽象的なゴールが既に見えていて、作品をその途中経過として位置付けている人もいるかも しれないが、結果から振り返れば、作品はその人の一生の道程にぽつりぽつりと残された 足跡であることには変わりない。

したがって、たとえ集団で何かを作り上げたとしても、その作品そのものが作った人の人生に おいて占める位置付けは、人によって異なるわけだ。例え客観的なクオリティについての認識が 一致したとしても、主観的には、ある人が「自分の能力を超える出来だった、 この作品で成長できた」と思う一方で、別の人は「これは俺のやりたい方向とは違ったかも しれない」と思う。その心情は、きわめて個人的なものだ。話し合えば、頭で理解することは できるかもしれない。だが、人生において進んで行く方向がぴったり一致していない限り、 そういった心情を自分のものとして感じることは出来ない。どんなジャンルでも、グループが 素晴らしい作品を出し続けるのが難しいのは、そういうことなんだろうと思う。

素晴らしいチームワークで、良い作品を出すことが出来たら、それは幸運である。 いろんな方向を向いて進む人生の糸が、時間的にも空間的にも揃った時にのみそれは起きる。 人生がいかに気まぐれであるかを考えると、かような機会に恵まれることは奇跡とさえ言えるかも しれない。そしておそらく、同じメンバーで同じだけ次のステップに進むことは無い。 暫くまとまっていた糸は再び別々の方向に向けて解けて行くのだろう。

大きな歴史の流れからみれば糸屑のような人生で、人は何回、そのような幸運に出会えるのだろうか。 せめて、目の間に流れて来た糸をタイミング良く掴めるように、準備だけはしておきたい。

9/5 (Tue) Spark

ハワイ島に居た後では、ホノルルが大都会に感じられる。人も車も多いなあ。


サンノゼマーキュリーに、 フォトリアリスティックなヴァーチャル俳優についての記事が出ていた→ "Digital scene stealers"。 (この話題に関連する日記:2000/8/25, 2000/7/30)。

ヴァーチャル俳優は生身の俳優を置き換えるかという話題に対し、 生身の俳優側からのコメントが、どうも観念的で、物足りない。 "There's sort of a human spark that [human actors] have that a digital character can't provide." というのは、確かにそうだと思うが、じゃあその "spark" というのは具体的に何なのか、 プロの俳優の口からそれを聞きたいなあ。

舞台に、ミューズが降りるとでも言うべき瞬間が訪れることがあるのは知っている。 私はそれを求めて舞台や映画を観に行くのだから。だが、他の創造形態、絵画や彫刻であっても、 ミューズの力が流れ込んだような作品がある。それらの根源は同じものなのだろうか。 同じだとしたら、人間による芝居と、「動く絵画/彫刻」として精魂込めて作られた CGアニメーションとの間の差は何だろう。 それとも、芝居には芝居の、絵画には絵画の、特別な何かがあるのだろうか。 その違いを生ぜしめる差とは何なのだろうか。演技を生業とする人が、そこを どう考えているかがとても気になる。「デジタルキャラクタには人間の魂は表現できないぜ」 みたいなお題目じゃなくて。

9/4 (Mon) ハワイ島放浪記

真夏のハワイ。上空には遮る雲ひとつ無く、 いつもより近く感じる太陽は遠慮無く肌を灼いてゆく。 にもかかわらず、絶え間無く吹き付ける風は驚く程冷たく、 暫く景色を眺めていると、身体の芯まで冷えてしまいそうだった。

標高4,200m。Mauna Kea山頂は、風の鳴る音だけが妙に寂しく、 時が止まったような場所だった。 植物の成育する限界を超えた高度のため、見えるのは赤茶色の土と黒い瓦礫のうねりだけ。 そこに場違いのように銀色に光るのは天文観測所群だ。 眼下に見えるはずのHiloの町は雲に霞み、 彼方にはMauna Loaがやはり黒と茶色の斑模様の山容を晒してそびえている。

山という言葉から受ける、どっしりとした印象とは違う。 子供の頃、土を掘り返して、赤土と石を積み上げて山を作った。 あの山は、巨人の子供が気まぐれに土遊びをした、そんな感じだ。

瓦礫の山を登る蟻のように、人間はこの山に這い上がり、 少しでも遠くを見ようと背伸びをしている。 それは、巨人の子供が気まぐれに戻って来て今度は山を崩すまでの、 かりそめの試みなのかもしれない。そうだとしても、何かが人を駆り立てるのだろう。

* * *

今回で2回目となるハワイ島だが (前回は98年3月)、 初めて訪れる友人と一緒だったので、 初めてでも楽しく、かつややマニアックなポイントを攻めてみた。 2泊3日の日程で、発着および宿泊はHilo。 初日は定番のKilauea火山見物。2日目は車でMauna Keaを駆け登り、 島の中部のWaimeaから北の海岸を回る。3日目は島の東南部をじっくりと回る。 思い切ってKona側の観光は捨てたにもかかわらず、なかなか変化に富んで楽しい旅行だった。 (以降、リンク先は画像データ。各々50KB程度)。

前回も訪れた熱帯植物園は、 季節が違っていたため、新しい花のバリエーションで目を楽しませてくれた。 「猫のヒゲ」Cat's Whiskers [ 上から横から] とか、色とりどりのGinger(だったと思う) [ 赤いのピンクの青いの] とか、 自然の造形センスが発揮される植物たち [Lobster CrawBird of Paradise名称不明。Heliconiaの一種?] なんかが目を楽しませてくれた。(一部、他の場所で撮影したものあり)。

島の東南部では、地図にある "Hot Spring" を求めて放浪。 しかし、地元の人に尋ねつつ、トロピカルな森の中をジープでごとごと駆けて行った先で 遂に発見したのは、温泉というよりは地元の人の呼び名 "Hot Pool" が似合う、 こんなとこだった。 水温は確かに高い。人肌よりちょっとぬるいくらいか? 暫く泳いでみたが、のぼせる程でもなく、 かと言って寒くなることもない。

同じく島の東南部にて。Lava Tree State Parkに寄る。木の間ににょきにょき立っている黒い岩がLava Tree。 溶岩が木を飲み込み、急速に冷やされて出来たもの。木そのものは燃えてしまったので、 中はきれいに空洞になっている。

最後に、麓から見た Mauna Keaとその山頂付近の 観測所群。 一番左に見えてるのが「すばる」かな。

9/1 (Fri)

SIGGRAPHの追い込みからひと月、やることは山積しているのに、波に乗れない状態が 続いていた。一人で考えてもまとまらず、手が進まない状態だ。 それに、ようやく回復の兆しが見えて来た、ような気がする。 ミーティング。ミーティング。コードを書けない時は、人と話すのが役に立つ。

某イベントの準備のため、あちこち電話をかけまくって、アポを取って、打ち合せ。 日程があまり無いのに、決めなければならないことがたくさん。そういう具体的なプレッシャーも 調子を取り戻す後押しをしてくれる。

明日からはLabor Dayの3連休。高校時代の友人が遊びに来ていて、ハワイ本島Big Islandに 行ってくる。こうやって遊ぶのもまた、回復に必要なのだ。ということにする。


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Shiro Kawai
shiro@lava.net