2000年4月

[前月][次月][一覧]:[表紙][映画][King][BBS]


4/29 (Sat)

週末の度に少しづつ進めていた「ベイグラントストーリー」をやっとクリア。 さて寝るか、と思ったはずなのに、気付くと2周目に突入していた。止められない…

来月、日本でプレゼンするのに、今時OHPでもないんで、ノートPCを持って行きたい。 しかし私のノートは買ってすぐにWindowsを消し去ってしまったので、PowerPointは使えない。 SunのStartOfficeを入れてみたのだが、4年前の非力なノートPCでは ソフトの起動だけでコーヒーが入れられる程時間がかかるので諦めた。 Unix用に良いプレゼンソフトはないかな、と検索したら、 MagicPointという 素晴らしいソフトが見つかった。軽いし、元ファイルをテキスト形式で準備出来る。

MagicPointを使うためにベクタフォントを扱うFreeTypeとかVFlibを入れたので、 ついでに普段の作業環境でも綺麗なフォントが使えないかといろいろいじくっているが どのライブラリがどの設定ファイルを読みに行っているのかがまだよくわからない。

4/28 (Fri) CGは金がかかる

なぜCGは金がかかるか(4/28)。人件費はまあ仕方無いとして、 クオリティを求めると、設備投資にも結構金がかかっていると思う。 人間の目を完全に欺く質というのは現在のコンピュータでは圧倒的に計算力が足りないので (多分、数ケタというオーダーで足りない)、上を望めばきりがない。 映画なんか作ろうものなら、現在のコンピュータの基準からすると相当な量の資源を 投入しなくてはならない。案外、スケールアップの限界というのは早く来るのである。

TVクオリティ (640×480、32ビット/ピクセル) の画像を非圧縮で持つと、一枚約1MB。 30分の番組を非圧縮で持っても 1800(秒)×30(フレーム/秒)×1(MB/フレーム) で 50GB超。製作の過程で複数バージョン保持したり、中間結果を保持したりする必要があるんで、 4倍して200GB。最近ハードディスク安いから、この程度なら大したことなさそうだ。

ではこれを映画にスケールアップしてみよう。 最終レンダリングは、2K×1Kとか3K×1.5Kピクセル、16ビットカラーってとこか。 これだと、RGB+alpha channelで、1ピクセル8バイト、つまり一枚の画が16MBから36MBってとこ。 ものすごく大雑把に言って、20倍くらいのデータ量になる。4TB。現場ではこれでも足りないけど、 オーダーとしてはまああまり外れていない。 これらのディスクは壊れたらえらいことになるから、RAIDにして冗長性を持たせる。 さらに、24時間絶え間無くアクセスがあるので(日中はアーティストが作業して、 夜中にはレンダリングが走る)、不具合が出たディスクは電源を切ること無く ホットスワップ出来なければならない。ま、それやこれやで金がかかるが、 とりあえず容量に関してはたくさん買って並べておけば何とかなる。

この大量のディスクへのアクセスを捌くための、ファイルサーバとネットワークは それほど簡単にはスケールアップしてくれない。単純に全てを均一なLANで繋ぐと、 夕方にレンダリングジョブが始まると突然ファイルサーバが亀になるという現象に 見舞われる。セーブするだけで2時間かかるとか。これを防ぐには、例えばレンダリングに 使うデータをミラーリングして、読み出しは並列に行うようにするなど、余分な冗長性が 必要だ。

レンダリングに使うCPUも、うまくスケールアップしてくれないので いろいろ工夫せねばならない。TV解像度なら256MBのメモリでレンダリングが出来た シーンを、映画解像度に向けて単純に作り込んで行くと、2GBのメモリがあっても レンダリングが出来ないという羽目になる。分割したり計算を分けたりすると今度は 作業のオーバーヘッドがばかにならない。20分のレンダリングが2時間になるのは 何とか許容できても、2時間のレンダリングが20時間になるとこれは仕事にならない。 唯一の対策は使えるCPUを増やす、物量作戦だ。大きなスタジオならどこも103のオーダーの CPUを抱えてると思う。それでもいろいろごまかしをやらないと足りない。

ソフトウェアのライセンス料も、まあ結構かかるんではないか。 大きなスタジオならベンダといろいろネゴシエーションしてたりするだろうけど。 そのへんは企業秘密だろう。

さて、今のスピードで計算機が速くなっていったら、現在製作に制限をかけている こういう限界は突破できるんだろうか。

解像度に関して言えば、際限無くクオリティを上げて行く必要は多分無くて、 2Dのイメージなら4Kから8Kくらいで止まるかなとも思う。IMAXの解像度だな。 確か銀塩写真の解像度もそれくらいだと聞いた覚えが有る。(もっとも、その次は3Dホログラム とか言い出すだろうから、するとまた必要な計算量が数ケタ跳ね上がるだろうが)。 あと数年もすれば、必要な解像度の映像をやりとりするためのディスクやネットワークも 安価になってくるだろう。

CPUの方はどうか。フォトリアリスティックな方向では、光源からの放射エネルギーの 吸収と反射を計算するグローバルイルミネーションが、これからは欲しくなってくる。 これは真面目に計算していたら到底間に合わないので、今はランダムにサンプリングして 近似値を求める方法が主流なため、動画にするとちょっと「ざわざわ」した感じになっているが、 これが力技で計算できるようになるにはまだ数年必要か。映像がリアルであればあるほど、 アニメーションのごく小さな問題が目立つので (特に人体)、それをカバーするための シミュレーションにも計算力が必要だ。衣服、自然現象、計算したいところはいくらでも出て来る。 まだ数世代先にならないと、今やりたいことが力技で実現できるようにはならないと思う。 つくづく、自然は偉大な並列計算装置だと思う。

というわけで、CG産業は当分は、ハイエンドの計算機資源の大量消費者でありつづけるんじゃ なかろうか。

4/27 (Thu)

朝、ダイアルアップでメイルをチェックして、切るのを忘れて そのまま出勤してしまった。15分くらいアイドルだとプロバイダ側が切るんだけど、 こっちでリダイアルするような設定になってたから、一日中つながりっぱなしだった。 フラットレートで無かったらえらいこっちゃ。はやいとこDSLにしたいなあ。 (うちのエリアはまだサービスされていないのだ)

速度よりも、思い立った時にすぐにネットにアクセスできるというのが重要だ。 常時接続ってったって、四六時中アクセスしているわけじゃない。ただ、今日の映画は 何時からだっけ、と思ったその瞬間にネットに繋がって欲しいわけだ。 広帯域ということが話題になるけど、普通の家庭の生活を変えるのはむしろそっちの方 かなと思う。多くの人にとっては、何故ネットにつなぐのにモデムが電話をかけなければ ならないのかというのはまだまだ大きな謎なのではないか。 (この文章を読んでる人には全然謎じゃないだろうけど)

母親が昨年、ノートPCを買ってネットにも繋ぎはじめたのだが、 当初はいろいろ不具合が出てちょくちょく電話がかかってきた。
「繋がらなくなっちゃったのよ」
「ふーん、何だろう、どういうメッセージが出たか覚えてない?」
「えーとちょっと待ってね… 今やってみたけど、やっぱり接続がどうのこうのって言われるのよ」
「え、ちょっと待って。今繋ごうとしてるの? …えーと、ノートパソコンの 後ろと、電話と、コードで繋いでる?」 (繋いでるわけない。うちは電話一回線しか無いんだから)
「あ、あら、わすれてたわ。あははははは。」
わりとありがちなケースなんじゃないかと思うのだな。

4/25 (Tue)

書きたいことはあるのだけれど、頭が完全にプログラマモードになっていて文章が出て来ない。 そのうち忘れてしまうだろうから、メモだけ。

* * *

先日、不法滞在ということについて書いたが、 Juicy Fruit Diary (4/24)で不法滞在に関する構造的な問題が詳しく取り上げられていた。 なるほど、そういう搾取の構造にも目を向ける必要がある。

現代の日本では、憲法に基本的人権というのが定められているけど、 それは日本国籍を持つ人に適用されるものであって、そうでない人はいろいろな制限があって、 不利な状況におかれる。「日本の法律だから日本人を第一に考えるのが当然」というのもロジカルな 意見ではあるが、これだけ情報と人と物が国境を越えて行き来する時代、経済と社会構造の 考察を「日本人」という枠内で閉じたものとして考えるのでは、いずれ限界が来るのでは。 もちろんこれは日本だけの問題ではない。私も今のところではガイジンだし。

* * *

宗教が思想に与える影響 ( 人間城の主な日々 (4/24))。 多くの米国の小説や映画では、やっぱり観客に聖書の知識はデフォルトで要求されてると思う。 折しも、 妄想系日記(4/22)でキングの「呪われた町」「グリーン・マイル」における キリスト教的倫理観に触れられていてメイルを交換したのだが、 私などはついつい、作品中に明示的にキリスト教への言及が無いと、見過ごしてしまいがちだ。 (キング作品においては、確かにキリスト教の影響は濃いが、pagan的な宗教への言及も多い)。

先日、キングの掲示版 の方で、キングの作品「ザ・スタンド」におけるある描写に関連して、 第2次世界大戦における原爆の使用とキリスト教的世界観のつながりを指摘する 投稿があってうならされた。 このへん論じるにはまだ知識が足らんかな。

4/23 (Sun)

イースターの週末。会社や学校によっては金曜からの連休だったとこもあるようで、 こういう連休は家族でのんびり過ごすことになっているのだろう。夕方、ホッケーの ピックアップゲームに行ったら、現われたのがたった3人。しばらく待ったが誰も来ないので 諦めて帰って来た。

こういう連休の時は、ショッピングモールなんかも軒並み休みになる。 家族連れでショッピングを楽しむ、ということにはならないらしい。

4/22 (Sat) 裁量労働制と自己管理/Where the Heart Is

裁量労働制を取ると、心理的負担が増えるという調査が出たそうな。 (http://www.asahi.com/0422/news/national22002.html)。 同じ部門で、心に不調をきたした人の割合が「裁量組」は「非裁量組」 の1.5倍だった、という調査結果。 「裁量組」で不調になった人達は、時間に関係なく自宅でも仕事に打ち込んで 休みをほとんど取らなくなり、不眠などを訴えるようになったという。

しかしそれって要するに、自己管理が出来なかった、というだけのような気がする。 通常勤務に直したら調子が戻ったと言うが、むしろやるべきことは、 自己管理能力を高められるようなプログラムを組むことではなかったかと思う。 例えば、自分の仕事のプロファイリングをきちんと取り、上司と緊密にミーティングを 持って進行状況と作業負荷をチェックする、といった方法によって、本人も適正な 負荷を知ることができるのではないか。勤務時間で縛りをかけることは、 本当の問題を覆い隠しているだけのように思える。

うちの会社も、開発職は裁量労働制を取っている。 一定時間こなせばそれに比例して仕事が進む、という業務ではないので、 それが自然な形態だろう。この仕事に就いている人なら、 時には無茶をしないと得ることが出来ないものがあるというがあることを知っている。 良いモノを出したくて仕事をしているのだから、勤務時間の縛りのために質を落とすというのは 本末転倒なのだ。ただ、それじゃ続かないから、休める時には自分で休みたい。 時間制で賃金をもらうのは、自分の時間を切り売りしているようで落ち着かない。

但し、裁量労働制が健全な形で運営されるためには、 雇用主と雇用者の関係がある程度は対等でないとならないだろう。 裁量労働制を、賃金を減らして仕事を増やす口実にさせてはまずい。 処理しきれない量の仕事が来た場合、「スタッフを増やすか、仕事を減らすか」と かけあうことができないとだめだ。 そういう議論をするためには、労働者の側も、自分の仕事の効率を 自分で分かっていないとならない。どんなに頑張っても、一日24時間しか 無いんである。その限られた資源の中で自分がどれだけ出来るかを 見積り、優先順位をつけて、なお足りない時はヘルプを頼む。 お金を貰って仕事をするということの中には、そういう自己管理も含まれていると思うのだ。


アミダラ女王、じゃないNatalie Portman主演の "Where the heart is"。 予告編がおもしろそうだったので観て来た。

臨月のお腹を抱え、ボーイフレンドに捨てられたNovalee (Natalie Portman)。 どこに行くアテも無く、Wal Mart (全米に展開する巨大なスーパーマーケットチェーン。ハワイには 無いんだけど) に住んで、その中で出産する。罰せられるかと思ったら 逆に "Wal Mart Baby" と評判になりTVの取材が相次ぐ。 徐々に町の人々に融け込んで、根を下ろした生活を始めるNovalee。

と、予告編でも見せてたこの出だしはそこそこ面白い。しかしその後はちょっと辛かった。 話の骨組みは面白くなりそうな可能性を持っているのに、製作段階でことごとくその 芽を摘んでしまったような作品。監督は何を見せたいのかを途中で忘れてしまったようだ。

4/20 (Thu)

閃き(4/20)。 ミューズは準備の出来た者のみに微笑む。Good Luck。


英語の読み書きについてメモメモ。(Cf. 毎日の記録(4/18)英語は会話よりも 読み書き英会話を 選択制にする理由)

書く内容はあるとして、それをどれだけ表現できるかという点については、 もちろん書く訓練を積むことも必要だが、たくさん読んで様々な表現方法を蓄えている ということも重要なように思う。 また、読むにしても、文章のリズムが分かり構造が把握できる程度に読めるには、 ある程度の速さで読めることが必要だ。英語を使おうと思ったら、 多読・速読ができるようになることが必要だ。

学校の英語の授業では、今でもやはり訳読中心なんだろうか。 訳読のペースってどのくらいだろう。訳を書き下すとすると、1時間でどんなに 頑張ってもペーパーバック2〜3頁がせいぜいではなかろうか。 キングの小説なら主人公が月を見て不吉な予感を得た、という事実を述べるだけで 軽くそのくらいはいってしまうから、物語を楽しむどころではない。ましてやリズムをや。 どうがんばっても訳読は楽しくなりようがない。

しかし、学校の授業で多読が出来るかというと、相当な宿題を出さないときつそうだ。 薄手の小説一冊を一ヵ月で読むとして、週2回授業があるとすると、一回の範囲が ペーパーバックで50ページとか。それを一年続ければそこそこ読めるようになるだろう。 というか、それ以下では読めるようにならないんじゃないか。 私が居た頃の大学の教養の英語の講義は到底その域には達していなかった。 どっかの大学ではこのくらいやってそうだと思うけど。

4/19 (Wed) ひざし

オフィスから歩いて2分くらいのところにある、ビルに囲まれた中庭でよく ランチを食べる。冬の間はビルの影になるのだが、しばらく前から昼時は 直接日光が当たるようになった。季節の移ろいをそんなところで感じる。 しかも、ガラス張りのビルに反射した日射しも届くから、ただでさえ強い日射しが もう目を開けていられないほどに眩しい。サングラスを持っていかなかったのが 失敗。目に映る映像が、露出過多で撮影した写真のように、白く飛んでしまっている。

以前住んでいた高層アパートで、「テラスにグラストップのテーブルを置かないように」 という注意が流れたことがあった。テラスに面したガラス戸が、テーブルに反射した太陽光で あぶられ続けることによって疲労し割れるのだという。 まあ、そういうことがあっても不思議は無いな、と思える程に強い日射し。

4/18 (Tue) 書く訓練

Amazon.comの「オススメ」はよく出来ている。リピーターに対して、 それまでの購買状況からオススメの本やCDを表示してくれるんだけど、 これが結構ツボを突いてくる。大抵、送料節約のために複数点注文するように しているんで、オススメをみて「お、いいな」とおもうとついついショッピングカートに 足してしまうのだ。ネット企業が顧客プロファイル獲得に血眼になるのがわかる気がする。


記事を書くのに締切直前の「火事場の馬鹿力」に頼ってしまうのは、 やはり普段から書く訓練をしていないために、脳のその場所を無理矢理叩き起こさねば ならないからではないか、と思った。 Web日記はここ2年半くらいマメにつけているが、 思い付くままの数パラグラフの駄文をいくら書いても、まとまった文章を書く訓練には ならないのだろう。 ( このへん(4/18)とシンクロ)。

仕様書やリファレンスドキュメントなんかは、いくらでも書けるほうだ。 プログラムを書く際に、インタフェース仕様やらアルゴリズムの説明やらを コメントで書き込んでゆくのが習慣になっていて、 後でそれをまとめて若干補足すればリファレンスドキュメントが出来上がる。 これは、半年もたてば自分の書いたものを忘れてしまうので、 後で困らないようにという理由でやっているのだけれど、 それが同時に訓練になっていたのかもしれない。

論文を書くのがずっと苦痛だったのだが、案外、リファレンスドキュメントを 書くのと同じくらいの頻度で書いていれば楽になるのかもしれない。 そんなにネタは出ないから無理か。

4/17 (Mon) ラストスパートに頼る悪癖

今日しめきりの予稿集に乗せる8頁ばかりの論文めいたものを書くのにまる2日。 ほとんど寝なかったのだが、実質的にものを書いていたのは最後の半日ばかりで、 その前の1.5日はとにかく気が散って余分なことばかりしていた。 このパターンは学生の頃とちっとも変わっていない。 論文を書き続けなければいけない職業に行かなくてよかった。毎回これでは身がもたない。

もっとも、このパターンは悪い癖のようなものなんだと思う。 絶対的な締切のぎりぎり前まで引っ張って、自分を追い詰めておいて 火事場の馬鹿力的な瞬発力に期待するという。 実際、徹夜して締切まで時間単位で数えるくらいに追い詰められると、 平常時には思いもよらなかった表現がつらつら出て来る。 学生の時分になまじこのパターンで通用してしまっていたので、つい毎回 期待してしまうのだ。 だがもちろん、しばらく寝かせて見直す暇なんか取れないんで、完成度は上がらない。

同僚にプルーフリーディングを頼んだら、真っ赤になって帰って来た。 冠詞、時制、単数形と複数形。自分でもわかっている弱点だが、相変わらずこの3つの 誤りが大半。チェックされればなるほどと思うのだけれど、 特別に注意して読まないと気付かないので、一度チェックした文章 に後から直しを入れた時なんかにおかしくすることが多いのだ。 あと前置詞の使い方の間違いとか。ふう。

4/15 (Sat) 不法入国/Frequency

石原知事の真意は「不法入国・滞在している外国人」にあったということで、 法を犯している人のことか、なら合法な在日の人は関係ないんでしょ、 いいんじゃない、っていう意見もあるようだ。

不法入国・滞在というのは、日本人ではない人が、 法律に定められた条件を満たさずに入国・滞在していることを言うのだろう。 だから、法律さえ守っていれば問題ないし、逆に法律を守ってなかったら それは悪いことなんだから取り締まって当然、というわけだ。 だがちょっと待て、何かひっかかるのだ。

ある人が日本人かどうかを規定しているのは日本の法律だ。 合法的な滞在条件を定めているのも日本の法律だ。 だから、日本人では無いとされた人は、その規定に口を挟むことはできない(投票できないからね)。 今日合法なのが、明日には違法になったとしても、それに異義を唱える 方法は用意されていない---現実にはそれほど無茶なことは起こらないだろうが、 自ら関与することができない制度によって外国人と規定されている人々にとって、 不法滞在と合法滞在の境界は、そうでない人が思うほと確固たるものでは無いのではないか。

例えば、たびたび書いているように、今私が会社をクビになったら、 猶予期間がどれだけあるか知らないけど、基本的に私はこの国に滞在する法的根拠を失う。 留まって転職活動をするわけにもいかないし、職が見つかるまでバイトで食いつなぐことも出来ない。 出入国さえしなければまあばれはしないだろうが、不法であることには変わりない。

自国の構成員は自国で決める、というのは確かにもっともな話なのだが、 ルールとしては不完全である。一旦全てをリセットして、改めて○○人 であることを定義しようとしてみよう。 ○○人である要件を定めるには、○○人の間で議論をする必要があるが、 議論を始める時点で誰がその議論に参加できるかがこのルールでは決められない。 このルールを適用するためには、アプリオリに○○人である、 と言える人の集合が最初に必要である。したがって、「民主的」な手続きにはなり得ない。 また、このルールでは多重国籍者や無国籍者など、システムからこぼれ落ちる ケースを防ぐことは出来ない。

だからどうすべきだ、という対案が有るわけではなくて、 現行のシステムは現実的な解だと思っているし、 安心して暮らせる社会にするために必要なら不法入国を取り締まって欲しいとも思うのだけど。


映画 "Frequency"、スニークプレビューで観る。太陽活動が活発化して、 ニューヨークの夜空に30年ぶりのオーロラが現われた時、奇跡が起こった。 主人公がふとスイッチを居れたアマチュア無線機が、 30年前に同じ無線機に向かう父親からの電波をキャッチしたのだ。 父親にとっての「未来」を知る主人公は、父親を死から救うのだが、 それが恐ろしいタイムパラドックスを引き起こして…という話。

料理次第でとても面白くなりそうな題材。映画の前半もなかなか撮影に力が入っていた。 ところが、後半にゆくにつれどんどんパワーダウン。竜頭蛇尾。 脚本家が力尽きたのかプロダクションが後半になってつまづいたのか、 まあ、ハリウッドに多いパターンではある。

4/14 (Fri) Erin Brockovich

昨日の日記に関して、いくつか追加メモ。


朝日新聞のサイトでプレステ2の輸出規制の記事 (http://www.asahi.com/0415/news/business15013.html)。 プレステ2の演算能力が兵器の輸出規制にひっかかるというものだが、 その事実は発売当時からSCEのサイトでもゲーム関連の諸サイトでも報じられて いたと思う。何故いまさら?


事実は小説より奇なりとは言うが、まこと人生の不思議さを思わせてくれる 映画 "Erin Brockovich"。実話の映画化である。

離婚して、3人の幼子を抱え、必死に職を探すErin。だが、資格も学歴もない 彼女を雇ってくれるところなんてなかなか見つけられない。おまけに車の事故に会い、 100%相手の責任なのに裁判で負かされて、泣きっ面にハチ。弁護士なんてくそったれだ。 破れかぶれで、事故の裁判で自分の側の弁護士を勤めたEdの事務所に押しかけ、 「職をもらうまでここを動きません」。負けた弱味もあってErinに書類整理を まかせるEd。ある日、Erinは仕事中に気になる書類を見つける。 大手ガス・電力会社が工場のそばの土地を買い上げようとしている資料だが、 その土地に住む家族の医療診断書がはさまっていた。何故? 好奇心を抑えられない彼女は調査に飛び出す。 ---米国史上、直接訴訟で最も多額の賠償金を勝ちとった公害訴訟はそうして始まった。

何も持たない者が努力で成功を掴む、絵に描いたようなアメリカンドリーム。 Erinを演じるJulia Robertsの演技が魅力的で厭味がない。 成功を望んだのではなく、彼女は自分に納得がいくように行動しただけ。 悪役回りの描写が類型的だったり、アメリカ的「成功」とはけっきょくあれかい、 ってな感じもあるけど、まあそういうのに乗せられて 素直にサクセスストーリーを楽しんでおけば良いのだろう。

4/13 (Thu) クローズド・キャプション

まついさんの日記読み日記にて、 ニュースにおける字幕は、日本ではまだまだこれから(4/12)というのを拝見した。 生放送が多い報道番組では字幕を事前に準備しておけないし、逐次変換型では遅延が 問題になるとのこと。 しかし、米国では随分前からニュースや生中継も含めかなりの番組に字幕 (closed caption, 以降CC) がついているような気がする。 ちょっと気になって調べてみた。

検索で最初にヒットした Closed Caption FAQ が非常に詳しい。放送のキャプショニングに関して簡単にまとめてみると:

数年前に何回か参加したTRONのイネーブルウェア研究会では、 公演者の発言をリアルタイムでBTRON PCにタイプしてプロジェクターに写すという ことを試みていた。日本語では漢字変換のオーバーヘッドもあり大変そうだった。 速記者用のステノタイプを使えばそのへんはクリアされるのではないかと思う。 専門のタイピストを育成して、番組の製作のフローに組み込まなければならないが、 逆に言えばそのコストさえクリアできれば日本でも広く導入が可能なのではなかろうか。

米国では1990年に障碍を持つアメリカ人法 (ADA) が制定され、 障碍を持っていても不利にならないように事業主に対して色々な義務が課せられた。 幅広いユーザに対応しようとすることは、大抵の場合製作費の増大を招くから、 法律で強制しないことにはなかなか実現されないのだろう。 一方、法制化することで、例えばCCに関してはClosed Captionerという 専門職が出来て雇用が産み出されるなど、経済効果にプラスの面もあろう。

日本でも10年くらい前に通産省がアクセシビリティ指針を定めたはずだが、 これは強制力が無かったと記憶している。 (最近、強化されたという報道を読んだ覚えがあるが、記事失念)。 CCに関して言えば、ボランティアがIRCなどを使ってリアルタイムキャプションを 行うといった試みも為されているが、確実に情報を届けるためには 制度として確立せねばならないだろう。

上記FAQでおもしろかったのは、「自分の見たい番組にCCが無いときどうすれば良いか」 という質問。答えは製作会社に依頼するというものだが、説得するために、 CC化により該当地域でどれだけ新しいマーケットが生ずるかという資料を作成することを 薦めている。困っている人がいるから助けるというだけでなく、経済的メリットもありますよ、 という議論をするわけだ。

以前、アクセシビリティに関する国際会議に行った時、 米国やオーストラリア、ヨーロッパではアクセシビリティのための技術を ペイする商売に結びつけようという努力が目立ったように感じた。 日本では、一般的には障碍者への対応というと「助けてあげる」ものであって、 それで儲けようなんて卑しい、という感覚があるようだ、というのを、 日本でアクセシビリティの普及に尽力されておられる方々がおっしゃっていたような記憶がある。

なお、長谷川さんが 4/11の日記にて手話ニュースに触れ、 「ただ情報を伝えるだけだったら字幕のほうが正確。あえて手話を流すということは、生身の 人間からの直接の発信を大切にするためなのだろうか」と述べておられる。この点についても FAQに説明があった。勝手に要約すると:

字幕通訳と手話通訳は対象が異なる。音声言語獲得以前に聴覚を失った 人にとっては手話が第一言語であり、英語は第二言語であるから、手話が使われた方が 理解しやすい。一方、音声言語獲得以後に失聴した人は英語字幕の方がわかりやすい。 どちらの言語にも一長一短がある。併用されるのが最も好ましい。

とのこと。(詳しくは原文を参照されたし。)

4/12 (Wed)

最近書くコードは、CommonLispが30%、Schemeが20%、Perlが30%にCが20%。 Lispで (define なんちゃら) とか書いたり、 Perlで my @list = ($x $y $z); と書いて、 何故エラーなんだーと怒ってみたりしている。

さてさて、今週末〆切の原稿は久しぶりに紙媒体向けなんで、やっぱりTeXかなあ。 もう全然覚えてないんだけどなあTeX。 組版ソフトとしてはそりゃあもう優れているわけだけど、現実にはオンラインで読める文書を 書くことの方がずっと重要になっていて、最近は、プレインテキストかHTMLベタ打ちが ほとんどである。Latex2Htmlとか使う気力も無いし。


へええ。学術情報センターが国立研究所になったのか。 NIIってここのことだったのね。 場所も移転したみたいだ。ところで、上記サイトにあるNII創設のアナウンス "Launchng the National Institute of Informatics"、 えらく難解である。何度も読み返してようやくおぼろげながらポイントを掴むことができた。 ひょっとするとこれは美文で、普段いいかげんな英語で世を渡っている私に理解できないだけ なのかもしれないが… どっちかというと、日本語の組み立てそのままを訳したんじゃないかと いう気がする。

どこがわかりにくいかという個人的な感想:

Olin Shiversの Dissertation Adviceは博士論文について述べたものだけど、 これを読んで以来、テクニカルレポートやマニュアルの類を書くときは常にこのアドバイスを 頭に置いている。(残念ながら、この文章に出会ったのは私がD論を書いた後だったのだが)。

あ、この日記の文章はどうなんだ、と突っ込まないように。

4/11 (Tue) 国内の外国人、海外の日本人

シゴトシゴト。まるでデバイスドライバを書いているような状況になってきた。 割り込みハンドラなんて書いたのいつ以来だろ。


「三国人」発言は言葉の問題では無いと思うのだ。 そればかり取り上げられて、問題が矮小化されてしまったらまずいと思う。

「犯罪を起こす外国人が多いから、すべからく外国人には気をつけろ」って考え (あるいはそうとられるような発言)がまずいんじゃないの。 釈明会見によれば、不法滞在して麻薬密輸などに関わっている外国人による組織的犯罪を 指して言ったらしいが、それを「日本人」「外国人(三国人)」というカテゴリで括ってしまう 思考の大雑把さが問題とされているわけだ。報道された限りでの会見での質疑応答では、 あまりそこに切り込んだやりとりは無かったようだ。


海外在住の方の文章を読んでいると、海外における一部の日本人の困った振舞いに 疑問や苦言を呈しておられることがある。大して親しくもないのに同じ日本人だからと 妙に甘えられたりとか、現地の慣習を尊重しない行動を取られたりとか。

幸いというか、不思議なことにというか、私はまだそういう人に当たったことがない。 殊更日本人の多い環境にいるのに。いや、むしろそうだからかもしれない。 旅行者や短期滞在者としての日本人を見るのと同じくらい、移民としてこの国に 根を下ろした日本人/日系人も見る。単に「お客さん」として外国に滞在している 日本人もいるけど、この国の中で自分の腕を磨いて実力で道を切り開いてゆこうと している日本人もいる。海外の日本人、というカテゴリは私にとっては意味のない分類である。

4/9 (Sun)

気がつくと、いろんな締切がすぐそこまで来ていた。 今までバックグラウンドに回していた仕事を進めなければならない。 朝ランドりー。ブランチの後会社。夕方ホッケー。また会社。 前回サスペンドした時点で何を考えていたのかを思い出して、同じ集中状態に もってゆくのに時間がかかる。

一つの問題を考えているとき、関連する知識は思い出しやすいところに 貯めておけるのだが、問題を切り替えると、スレッド切り替え時にレジスタが フラッシュされる如く、それらの関連知識は長期記憶の網のどこかにもぐり込んでしまう。 寝かせておく時間が長い程、思い出しにくくなる。これを防ぐにはなるべく仕事を 頻繁に切り替えることだが、そうすると今度は集中が切れる。さてどのくらいの周期で 切り替えるのが最適か。これまでの経験だと、一週間をサイクルとして、その中で 時分割で処理するくらいが丁度良いような気がする。今回は間があきすぎた。

帰宅したら、昨日のGeckoが玄関を入ってすぐの洗面所に居た。 どうやら暗いところで活発に活動し、明るくなると固まるらしい。 廊下にバリケードを築いて退路を絶ち、扉の外に追いたてた。 恐がらせて悪いが、夜中にトイレに立った私に踏まれるよりは良いだろう。

4/8 (Sat) Keeping the Faith/Gecko

島の北東岸のKualoa Ranchにてハイキング。 登りはかなり降られた。柔らかい雨で、風が出ない限りは それもまたトロピカルな風情でよろしい。火山灰による赤土でたちまち足元が泥まみれに なるのには閉口したが。グァバは季節外れだったようであまり見なかったが、 パッションフルーツはゆさゆさと成っていた。


予告編を観て楽しそうだった映画 "Keeping the Faith" の プレミア公開があったので観に行く。 役者Edward Nortonの初監督作品かな? 正統的なラブコメディ。 "There's something about Mary (メリーに首ったけ)" のBen Stillerが出てる。

ニューヨークで育った幼な馴染みの3人組 Brian (Edward Norton)、Jake (Ben Stiller)、 Anna (Jenna Elfman)。紅一点のAnnaは中学校の時に親の都合でカリフォルニアに引っ越して 行った。長じてBrianはカソリックの神父に、Jakeはユダヤ教のラビになり、それぞれ独特の ミサで人気を博している。そこにキャリアウーマンになったAnnaが帰って来た。

あとは、友情を取るか恋愛を取るかという古典的なドラマ。セリフはかなり面白くて、 ギャグの半分くらいしかわからなかったと思うのだがそれでも散々笑わせてもらった。 脚本にも監督にもカメラにも若さというか不器用さを感じるのだけど、直球で勝負してくる ところが観てて気持良い。作ってる側のノリが素直に伝わってくる感じ。 ヒロイン役のJenna Elfmanが気持に素直に行動する女性を魅力的に演じている。 どっかで見たと思ったら、"EDtv" に出てたんだ。うちの会社のプロデューサに何となく 似てるから印象に残っていた。


帰宅して、机に向かってくつろいていた。ふと横を観ると、Geckoの置き物が 床に落ちている。Geckoは辞書で引くとヤモリのことだが、ハワイでは親しまれていて GeckoのTシャツとかGeckoの置物とかGeckoグッズがたくさん売っている。 私もふと見つけた置物がかわいかったので買って本棚に並べている。

しかし、なぜそれが床に。しかもこんな色のって俺持ってたっけ? ひょっとして誰かが俺の知らぬ間に部屋に侵入したのか? そんなことを ぐるぐる考えていたら、置物が動いた。 ありゃ、本物だったのね。(写真)。

Geckoと部屋をシェアすること自体は構わないが、うっかり踏んづけてしまったら かわいそうである。捕獲/保護すべく袋をもって追っかけまわしら、意外とすばしこく、 押入の荷物の奥に逃げ込んでしまった。せっかく人が心配してやってるのに。 もう知らん。

4/7 (Fri)

ひと月くらい続いていた、強風とめまぐるしく変わる天候が一段落して、 南国のぎらぎら太陽が戻って来た。

トラブルに迅速に対応するためにってんで、自分用のツールをPerl/Tkで 書いていた。GUIを書くのは、人の注文でない限りは楽しい。しかしユーザが自分だけ というのは寂しい。自分の好きなように作れて、しかもたくさんの人が喜んで使ってくれる、 というのが、ツール書きにとっては一番幸福なシチュエーションなんだろう。


更新報告スクリプト を更新。 テキスト庵の 報告フォームの変更に対応。

4/6 (Thu) High Fidelity/ダウンタイム

アメリカンポップスを愛する人のためのような映画 "High Fidelity"。 残念ながら私は現代の音楽にはものすごく疎いので、主人公達が熱く語り合う音楽論はほとんど わからなかったのだが (固有名詞が全然わからない)、それでもなかなか楽しめた。

シカゴで、うだつのあがらない中古レコード店を経営するRob (John Cusack) は ガールフレンドをとっかえひっかえしているが、いつも長続きしない。今朝も、今度こそ うまく行きそうだと思ってたLola(Iben Hjejle) に出て行かれたばかり。しかもLolaが転がり込んだ 先は、かつてRobの家の真上に住んでいた怪しげな男 Ian(Tim Robbins)。 レコード店では音楽オタクの従業員達が客相手に騒動を繰り広げ、落ち込んだRobは 今まで別れた女の面影を追う。

Robのモノローグ (オフスクリーンのボイスオーバーではなく、 場面の途中でいきなりカメラに向かって話し始めるのだ) と、断片的に構成されるドラマは、 最初のインパクトを過ぎてそのリズムに慣れると実に心地よい。 一種、芝居かかっている---野田秀樹が舞台転換無しで場面を次々と展開してみせる、 あんな感じのリズムだ。ごく日常的な、ありふれたドラマに注目しながら、 その中に人の成長をとらえてみせる演出が見事。John Cusackは "Being John Malcovich" と似たような感じだが、くどくならないのが良い。 ヒロインIben Hjejleも良い。なんて読むのかわからない名前なんだが。 音楽オタクの店員を演ずるTodd LouisoとJack Blackや、Tim Robbins なんかの怪演も、あざとさ無しでそこはかとない可笑しさを醸し出している。 派手さは無いけど、観終わったあと得した気分になれる映画。


01:21am、風呂に入ってさて寝るべえと思ってたところに緊急メイルが届いた。 システムに異常があると監視プロセスからメイルが届くようになっているのだ。 久しくこういう事態は無かったので、自宅から会社にログインする方法を忘れている… 大慌てで古いメイルを探しだし、手動でルーティングを設定してなんとかログイン。 サーバマシンがリブートしたらしい。自動でマウントされるはずのデータベースの パーティションがマウントされていない。悪い予感。

私はサーバマシンのルートを持っていないので、システムアドミンの人の携帯に電話。 寝入りばなを起こしてしまったようだ。電話するときネットを切らなけれ ばならないのが煩わしい。早くADSLのサービスが始まって欲しい。

うわ、fsckかけてるって。運悪くディスクアクセスの最中にクラッシュしたらしい。 電話を切って結果の連絡を待つ。最後のフルバックアップは夜9時のはずだ。 サブサーバマシンに同じ環境が設定してあるから、そっちにデータファイルを リストアして、グローバル設定を変えて、と頭の中でシミュレート。

01:45am。まだシスアドから電話が来ない。ディスクは諦めた方が良さそうだな。 トランザクションログを同じディスクに置いていて、バックアップを取ってなかったのが 悔やまれる。あれがあれば、最後のデータファイルのバックアップ以降の変更が追えるのに。

02:10am。シスアドと連絡がついた。ディスクはほぼ無事みたい。 しかしバックエンドプロセスのひとつがうまく走らない。どこか壊れているのかも。 ダイアルアップ環境では原因を調べるのも不便なので、とりあえずサブマシンの 方にデータを移動してプロセスを再起動。診断プログラムを走らせる---データは 壊れていないようだ。03:20am、オペレーション再開。

ダウンタイムは約2時間。今後プロダクションのスケジュールがタイトになってくることを 考えると、事故時には自動的にサブマシンにスイッチするようにしといた方が良さそうだ。

4/4 (Tue)

養う妻子が居るじゃなし、医者にかかったわけでもなし。独り身の気楽さで 確定申告を今年もオンラインでちょいちょいと済ませたのだが、 今日同僚と雑談していたら、なんと業務に関連する書籍代や学会費は控除できると うではないか。しまったなあ。結構な額になるのになあ。

Yomoyomoさんが 翻訳に着手されている 「オープンソース・ゲームをプレイする」はおもしろい。ゲームをオープンソースで 開発するのは可能か、ということを考察した文章。 オーサリング環境はもっともっと充実させられるべきだと思う。

4/3 (Mon)

うーむ…。現場はいろいろあることよのう。まあ中で何があろうと、 当事者は黙して語らず、評価されるのは出力のみ。 第三者には好きなように評する自由があるが、時にそれはとんでもなく 見当違いなことを言っているのかもしれない。 私も第三者としての立場からいろいろなものを評しているんで、 その誤りを犯す可能性からは逃れられない。 せめてその評が何か新しい見方を呈示できるものであるように心がけたい。

4/2 (Sun) 語りの効果/インストール

今日も降ったり照ったりの天気。窓から見えるダイアモンドヘッドの側面は険しい崖になっていて、 岩肌には茶色のブッシュがへばりついているのだが、雨の合間にふと差し込んだ日射しに 照らされて今日は金色に輝いているように見えた。

同僚の結婚式。カハラマンダリンホテルのランチビュッフェ。ビュッフェ形式ってのは 堅苦しくなくて良い。JさんRさんお幸せに。


しばらく前に出たスティーブン・キングの新作短編集 "Blood and Smoke" を聴いた。 聴いた、というのはこれ、オーディオブックなのだ。米国では小説を読み上げた オーディオブックは、本屋でも専用のコーナーがあるくらいで、 キング作品も大抵はオーディオブックになっている (皆どこで聴いてるんだろう。車の中かな)。 しかしこの短編集は他と違う。オーディオブック専用に書き下ろされた短編で、 紙媒体では手に入らない。しかもキング本人が読み上げているのだ。 最近のe-book専用出版と言い、実験好きなキングらしい。

分からないところがあったら手軽に何度も聴き直せるようにCD版を買ったのだが、 ほとんど止まらずに最後まで聴いてしまった。分からないところが無かったわけじゃないのだけれど、 キングの語りのペースが気持良くて中断したく無かったのだ。

やはり、キングの文体には語りのペースがよく似合う。彼の作品は、膨大で緻密な描写からよく「映像的」 と評されることがあるが、実際に映像になってみるとあんまり恐く無くなってしまうことが多い。 むしろ、暖炉を囲んで怪談を語り合うような感覚なんだろう。 しつこいくらいの描写も、語りならばより効果を発揮する。

呪われたホテルの部屋の話「1408」のクライマックスでは、あんまり集中して聴いてたもんで びくっと飛び上がりそうになった。「Warning: Listening after dark may cause fear, trembling and lead to acute paranoia」というパッケージの注意書きは あながちジョークでは無いかも。


やっぱりWindows98はプライマリIDEの マスターディスクのプライマリパーティションからしかブートしないという情報をいくつか頂いた。 仕方ないのでLinuxが入っているディスクをスレーブに移したのだが、 何だか色々はまっていた。

Linuxのディスクの移行は簡単だった。/etc/fstabを書き換えて、 LILOを再コンフィギュアするだけである。ところがLILOをマスターブートレコードに入れると、 Windowsが起動しなくなってしまった。以前はデュアルブートで使えていたんで、 何が悪いんだかよくわからない。色々やってるうちにめんどくさくなったので、 市販のブートセレクタであるSystem Commanderを買って来た。これで一件落着、 のはずだったのだが、今度はSystem Commanderがマスターディスクのパーティションしか 認識してくれない。謎。結局、マスターディスクにLinuxのbootパーティションを切って、 そこからスレーブのLinuxをブートするようにした。こんなに手間取るとは。

しかし最近はほんとに低容量のディスクが無い。15GBなんていつ使い切るんだろう。

4/1 (Sat) 雨の境目

珍しく一日中降り続けていた。それでもいくらか波があって、たまに一瞬、強い南国の太陽が 雲の裂け目を見つけて影を路面に焼き付ける。

子供の頃、雨の境目はどうなっているのだろうと不思議に思っていた。ある地点で 雨が降っていて、別の地点では降っていない、ということは、そのどこかに境界があるはずだ。 そこに立てば、身体の右半分には雨が降ってて左半分には降ってないって状態に なってるはずだ。

雨が降り始めたまさにその時が雨の境目なのだということに気付いたのは だいぶん後になってからである。雨の領域は移動しているので、定点観測していれば 空間的な境界線は時間的な境界線として現われるわけだ。もっともその境界線は ぼやけていて、マンガのように片方土砂ぶり、片方が晴れ、ということはあんまりない。 東京では。

でもハワイに育った子供はこんなことをごちゃごちゃ考えないのだろうなあ。 だって雨の境目が見えるんだもの。ちょっと小高い所に登れば、あああそこまで雨が来ているって はっきり見える。車で走っていると、乾いた路面からいきなりざんざか降っているところに 突入することもある。

時々、図上に雲が無いのに雨が降ることがある。北の山から吹き下ろして来る強い風が、 山で降っている雨を運んで来るのだ。曇りから雨への遷移ではなく、 晴れから雨へ直接遷移する。そして虹が空を飾る。


[前月][次月][一覧]:[表紙][映画][King][BBS]

Shiro Kawai
shiro@lava.net